愚ダメ記、真誤付き、思い津記

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公衆電話ボックスがどこにでも在った頃

2020-09-06 | 日記

ラジオの番組で「公衆電話の思い出」がテーマになった。公衆電話という響きを久しぶりに聞く。投稿しようというわけじゃないが、「そういえば、公衆電話に思い出があったかな?」と自分の思い出を振り返った。スマホはもちろん、ガラケーもピッチも無い時代、外出先での電話といえば公衆電話。昔は公衆電話ボックスは町のあちこちにあり、場所によっては順番待ちの列ができることも珍しくなかった。最初は10円玉しか使えない市内電話優先の時代、後で100円玉が使える市外・長距離電話が出て来て、最後はテレフォンカードを持ち歩く時代へと変わった。

 自分にとって公衆電話の思い出は、やはり電話ボックス。若い頃、早稲田駅近くの電話ボックスに手帳を置き忘れたことは忘れられない。約10分後に気付いて探しに戻り、交番にも届けたが結局出て来ず、同じクラスや同じ部活以外の知人の電話番号の多くが手帳と共に消えてしまった。あるいは遠距離交際の頃、硬貨をかき集めて駅前の公衆電話に通ったことも。冬の夜、地吹雪の中を町まで2km近く歩き、開いている商店で小さな買物をして100円玉を作ったものだ。100円で1分くらいしかもたない公衆電話で喧嘩を繰り返し、真っ暗な地吹雪の道を歩いて戻る虚しさも今は思い出となった。

 とは言え、色や形まで覚えている個別の電話ボックスというのは一つしかない。そこには一度だけ入って友人の下宿に電話を掛けたことがあるが、印象深く今でも覚えている理由はその外見のレトロ感からに違いない。当時(数十年前)の電話ボックスのほとんどが全方向がガラス(または透明樹脂製)に骨組みで中の人の全身が見えるタイプだったのだが、そこにはまだ電話ボックスが普及し始めた頃の古いタイプが残っていた。角が丸く黄色味を帯びた樹脂製で、肩から上が見える程度のガラス窓が付いていた。近くには郊外電車から路面電車に乗り換える駅があり、線路の両側に並ぶ枕木の柵にその古い電話ボックスが寄りかかるように立っていた。

 かぐや姫の "赤ちょうちん" に出てくる「あなたと別れた雨の夜、公衆電話の箱の中、膝を抱えて泣きました・・・」という歌詞を聞く度に、何故かあの公衆電話ボックスの絵が浮かぶ。べつにその中で電話する女性とか、泣いている姿を見たわけでは無いのだが。多分、自分にとっての公衆電話ボックスのイメージが、小さい頃はじめて見た古い電話ボックスのままなのかも知れない。確かに、昔の電話ボックスは雨宿りの場所でもあり、寒い日に焼き芋を抱えて走り込み木枯らしを避けて暫し暖を取る "避難所" 的な存在のようにも映っていた。

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