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にっぽんご、にほんご

2015-08-01 | 日本語百科
日本語文法、日本語文章論と言葉を並べると、にっぽんご、にほんご、の読み方に、どうだろうかと思う。
日本語文法には、にっぽんご、こう読むのがふさわしく、日本語文章には、にほんご、というふうに、読みたくなる。

にっぽんごぶんぽう、にほんごぶんぽう、にっぽんごぶんしょう、にほんごぶんしょう、そのいずれでもよしとする議論は、そのはじまりにおいて、にっぽん、にほん、この選択を迫られる。

大和であった国号が表記を変えて日本となった、その国号をどのようにとらえてきたのか。
日本の国号であった、その名称を大日本帝国の国号としたときに、それは大日本国であったかもしれない。

しかし大日本国憲法ではない大日本帝国憲法をいただいたのであるから、その後この国号が変更されたわけでもなく憲法の名称において日本国憲法となったように、大日本帝国から日本国になっただけのようである。

だいにっぽんは、にほん だいにほん、となるべく、それは大日本ではない、だいにっぽん、これが、大日本である。
だいにっぽんていこく、大日本帝国であったはずであるが、その実証は、だいにほんていこく、と読むことを可能にしてきている。

日本が大日本となるのは、その類推において、和を大和とする、そしてこれはいずれにおいても、やまと、と読むべきものであったわけである。それを、にっぽん、だいにっぽん、と読み慣わして、いまにいたることになるが、にほん、だいにほん、とはならないはずであったから、だいにっぽん、この読みに倣って、にっぽん、としている。

にっぽん か、にほん か、それをきめなければならないとするなら、なやましいことである。
それを論じて、にっぽん が正しいとしたことがある。

にほん であっても、それはそれでよいので、日本 とする表記があって、そのままに日本が国号となる。
17世紀初頭の日葡辞書には、にっぽん にほん この二つを項目に持つ語を記載するだけでなく、じっぽん がある。

これはまた、日字において、今日まで、いまひ でもない、こんじつ でもない、こんにち である。
日は、にち であり、ひ であり、じつ であるが、にっ であったとしても、に はありえない。

日記、日録は、にちき にちろく であったのか、にっき となったが、日録はそのままである。
それはまた、にち にっ としているのは、に き が、どうしてか、にっき となった。

じつ があって、じっぽん であるのは、十本である。
近日、元日であっったから、日本というのは、じっぽん とならず、それは、十本のことである。

こんにちは を、狂言では、こんにった と言う。
日が、のちに、にち にっ となったしても、日本の、日字が、に とはならず、にほん は、二本である。

さて、そうなると、にちほん ではあっても、にほん とは、なりえないし、にっほん でもない。
なぜ、にっぽん と、にほん なのだろうか、これには、本を数えてみて、次のようである。

一本、二本、三本、いっぽん にほん さんぼん、ippon nifon sambon
数詞の、いち、にー、さん、この発音を類推して、にっぽん 二ッフォン 二―フォン 二ホン となるか。

ではなぜに、日本語文法、にっぽんごぶんぽう、であり、日本語文章、にほんごぶんしょう、であるのか。
もちろん、日本語文法、にほんごぶんぽう、となってよいし、にっぽんごぶんしょう、となってよいわけである。

漢字表記を正しいとする。
読み方は、音読み、訓読みの、読みをきめる語となる一方で、音訓を漢字文字につけて日本語としてきた。

したがって訓読みを許すのは語構成の読み方に現れて重箱、湯桶のごとくに語を成立させている。
音読みにおいては漢字音をとりいれた経緯に複数の読みを持つ漢字があることになった。

そのいずれをも言語としての使い分けから言語音が存在して日本語となってきたわけである。
ただし日本語を、にっぽん、ではない、やまと、とすると、それは漢字表記で、大和語であって、表記のように、違うものとなっている。

そして、日本語文法であるが、この名称は、日本語文法学という分野を開拓して日本語文法研究を進めているようである。
文章論、文章表現法として、日本語を冠するもの、日本語文章論はまだないといってよい。

なお、架蔵に、日本文法文章論、浅野信、桜楓社、 1964 がある。
また、文法.文章論、時枝誠記、岩波書店、 1975 がある。


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