現代日本語百科   けふも  お元気ですか

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ふうむ、ここから

2017-11-20 | 思い遥かに
30年をどう生きるか、と、自らに問うて、30歳から30年、40歳から30年、50歳から30年を区切った。そして60歳になって、30年を目指すとどうなるか、それでも区切ってみた。それぞれにテーマがある。文学、国語、日本語そして教育をおいた。この日本語現代百科をブログにするように、あと10年、このテーマがあり、そして70歳を過ぎた今は、新たにこの2年をかけてテーマが見えてきた。終活になるのだろう。100歳までを見通して、まだなお、生の慾がある。営々と生命を保ちうるか、永遠の回生は望むべくもない。いま、見えたことがある。いま、わかったことに、60歳で30年はとても難しいと知ったが、それでも15年は永らえるから、次を見据えた。姓名判断は徳と人望と世が世なら、というようなことを言っていた。先祖の徳があって、守護霊があり、運に恵まれて、大将か、大臣か、博士かと、70を生きてきてそのどれも実現したわけではないから、あてどころなしと思い、13歳の頃にもそんなことを言われていたな、と、苦笑いである。しかし、よく考えれば、まっとうに生きてきている中で、3つや5つは、7つぐらいになるか、その危機をこえてきているわけであるから、よしとすべく、頑固な意地があるとも見えたらしいから、それも良しとして、徳をさらに積むことになるというわけである。つけた名前でそんなことであるから、これは親に感謝をしなければならないというのだろう。



職種には、営業見習い、セールスを、社会人経験のスタートとしたが、18歳から3年を経て、うまくいかないことがあり、商売をあきらめる。
それは都合、4年続くから、家業の勉強にサラリーマンを目指した内訳は、健康を崩した18歳の影響であったから、それが回復したことにもなる。
勉学の志やみがたく、大学に求めて救われることとなった。あしたに礼拝、ゆうべに感謝をする、入学をして毎日、頭を下げて祈っていた。
本願の御影堂があるから自然と校門で行うことである。そのころ弥陀の本願がわたしたちに祈りを教えると知ったことで、いま、かわらない。
学生は9年プラス1年ということになって、学究生活が偶然にも続くように、転職以来、50年を教育と研究に捧げる。波乱のことがあるとは思わなかった。
そこで36歳となると、いわば、大学院生活から教師の道を歩む初心のころである。思うがまま、するがままのことになるが、信とともにあった。

正義、大義をも知る、それを求めるようなことである。研究、教育にはそれなくしてならないことである。
いまに思えば、そのこじつけによる数字は、人生の人間相関の闘いの秋、とき、であったかもしれない。
時間を繰って、ここになって、職を円満に退くなどは、2度の転出を思いおこせば、とても考えられない。
組織と、権力、権威に安住するを好まなかった、というふうに、歩んできてしまったが、そのスタートにあったのはプロモートの変化である。
助手から講師になることは、地固め、その足固めはすぐにも助教授となるから、そこで確固として、確かに固としてはじまったところである。
そこで何が始まったかとなると、私学教員の文学部助教授のポストは、官立教官の教授ポストとなり、次いで私学教員のポストで円満退職となった。

出世街道を進んできた。姓名判断はそこにある。





ブルーな日
2006年11月20日22:36

雨となった、冷たい1日だった
秋の陽射しは隠れて驟雨にもやった
ブルーな週明けに、やっとこらえた
運命を動かす空気をつかむことができるか

大学の合併が話題になっている
薬学部の大学を私学の最大手が医学部に併設するかたちでひとつになろうとする
大学の法人化は国立で2004年から始まっている
大学再編は私学でも加速するか、経営至上の時代があらためて来る

ニュースによると18歳人口は年々減少、大学志願者数は減り続け
2006年度は約351万人と、ピーク時の7割以下に落ち込んだ
第2次ベビーブーム世代が受験した1992年度には、国公私立大を延べ約506万人が受験していた
公立大の新設、私立短大の4年制への改組で、2006年度は709校に増え56万人に増えた

2002年度は523校で定員は約47万人だった
文部科学省は2007年度にも大学全入時代が来ると予測
ここ数年定員割れに陥る大学が急増
日本私立学校振興・共済事業団によると、2006年度に定員割れとなった私大は、全体の4割を超えた
そんな中、2004年に国立大が法人化された
国からの運営費交付金が毎年1%ずつ減らされる中、受験料や入学金が貴重な自主財源となり、国立大も学生集めに本腰を入れ始め、学生の争奪戦が激しさを増している


輪読会は空蝉のさわりに想像を掻き立てる
文学の力が想像力に支えられた表現にあるとするならば
想像をする側に求められる知識と経験がある
源氏物語がフィクションであることを証明するには古典文学のツネとして事実を指摘しなければ真実は見えない

それで想像力は何でも出来る
言葉による造形が芸術として存在するのは
もし、芸術が美を追及する、追求しなければとてつもないグロテスクをも現出する
文学に限ったことではない

胃検査の結果が回ってきた
今回は要観察、治療はないが、異常はないわけではない
なにやら絵に線が入っている
校医の所見では精密検査を進めている

さて、ブルーなわけは、こういうことではない
乗り切ったのでまあ、次への展開を期す
今に始まったことではない
200年来の出来事で知る人ぞ知る2002年かなぁ

このごろ万歩計をしなくて
歩数の記録がない
またつけてみよう
12月5日までは中性脂肪値の食事療法なのだから


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