君子と小人のことである。しょうじん と読んで、度量や品性に欠けている人をさす。小人物のことであるが、君子の反対語である。。 徳の高いりっぱな人を、また、大人という。。度量がある人をさすさ大人物であるが、大人君子となると、論語、李氏篇にある、>孔子曰、君子有三畏、畏天命、畏大人、畏聖人之言、小人不知天命而不畏也、狎大人、侮聖人之言 君子も畏れを抱く、大人である、となる。さて、君子の行う善に対して、小人の不善は徳を積むようなことではない。理想の徳を追求するものは独行を慎む、君子必慎其獨也 というのは、所謂誠其意者,毋自欺也,如惡惡臭,如好好色,此之謂自謙,故君子必慎其獨也! 小人はそれに対する不善である。
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大學:
所謂誠其意者,毋自欺也,如惡惡臭,如好好色,此之謂自謙,故君子必慎其獨也!小人閑居為不善,無所不至,見君子而後厭然,掩其不善,而著其善。人之視己,如見其肺肝然,則何益矣!此謂誠於中,形於外,故君子必慎其獨也。曾子曰:「十目所視,十手所指,其嚴乎!」富潤屋,德潤身,心廣體胖,故君子必誠其意。
四書 <大學> 中文白話解釋-3
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所謂誠其意者,毋自欺也。如惡惡臭,如好好色,此之謂自謙。故君子必慎其獨也。小人閒居為不善,無所不至,見君子而后厭然,揜其不善,而著其善。人之視己,如見其肺肝然,則何益矣。此謂誠於中,形於外,故君子必慎其獨也。
大学
小人閑居為不善。無所不至。
小人間居して不善を爲し、至らざる所なし。君子を見て而る後厭然として其の不善を揜ひ、而して其の善を著はす。人の己を視ること其の肺肝を見るが如く然り。則ち何の益かあらん。これを中(うち)に誠あらば外に形(あら)はると謂ふ。故に君子は必ず其の独りを慎むなり。
小人間居爲不善、無所不至。見君子而後厭然揜其不善、而著其善。人之視己如見其肺肝然。則何益矣。此謂誠於中形於外。故君子必愼其獨也。
所謂其の意を誠にすとは、自ら欺くことなきなり。悪臭を悪むが如く、好色を好むが如くす。此れを之、自ら謙(こころよ)くすと謂う。故に君子は必ず其の独りを慎むなり。
小人は閒居して不善を為し 至らざる所無し。君子を見て然る後に厭然として其の不善をおおい、其の善を著さんとするも、人の己を視ること、其の肺肝を見るが如く。然れば則ち何ぞ益あらんや。此れを「中に誠なれば、外に形る」と謂う。故に君子は必ず其の独りを慎むなり。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/bknk/kotonoha.html
>君子必慎其独也,小人閑居為不善。
君子は独りでいる時に必ず慎み深くするが,小人は他人の目がないと悪い事をする,これが正しい意味である。そもそも,「閑」(原書では木ではなく月の入った字であるが,異字体と解釈しておく)というのは「閑散」の「閑」で,「余暇」の「暇」と同じである筈がない。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/knowledge/words1/daigaku005.html
『大学』の名言5:小人閑居して不善を為す
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小人閑居為不善。無所不至。(伝六章)
小人閑居して不善を為す。至らざる所なし。
徳を備えていないつまらない小人は、暇を持て余していると悪事に手を染めてしまう。暇があるがために、ここまでという限度が無くなってしまう。
有徳・知識人としての君子の対極にある存在が『小人』であり、小人は仁徳や教養、勇気、節制を持っていないために、仕事をせずに暇を持て余しているとどうしても悪事を犯しやすくなってしまうという戒めの言葉である。
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所謂誠其意者,毋自欺也,如惡惡臭,如好好色,此之謂自謙,故君子必慎其獨也!小人閑居為不善,無所不至,見君子而後厭然,掩其不善,而著其善。人之視己,如見其肺肝然,則何益矣!此謂誠於中,形於外,故君子必慎其獨也。曾子曰:「十目所視,十手所指,其嚴乎!」富潤屋,德潤身,心廣體胖,故君子必誠其意。
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所謂誠其意者,毋自欺也。如惡惡臭,如好好色,此之謂自謙。故君子必慎其獨也。小人閒居為不善,無所不至,見君子而后厭然,揜其不善,而著其善。人之視己,如見其肺肝然,則何益矣。此謂誠於中,形於外,故君子必慎其獨也。
大学
小人閑居為不善。無所不至。
小人間居して不善を爲し、至らざる所なし。君子を見て而る後厭然として其の不善を揜ひ、而して其の善を著はす。人の己を視ること其の肺肝を見るが如く然り。則ち何の益かあらん。これを中(うち)に誠あらば外に形(あら)はると謂ふ。故に君子は必ず其の独りを慎むなり。
小人間居爲不善、無所不至。見君子而後厭然揜其不善、而著其善。人之視己如見其肺肝然。則何益矣。此謂誠於中形於外。故君子必愼其獨也。
所謂其の意を誠にすとは、自ら欺くことなきなり。悪臭を悪むが如く、好色を好むが如くす。此れを之、自ら謙(こころよ)くすと謂う。故に君子は必ず其の独りを慎むなり。
小人は閒居して不善を為し 至らざる所無し。君子を見て然る後に厭然として其の不善をおおい、其の善を著さんとするも、人の己を視ること、其の肺肝を見るが如く。然れば則ち何ぞ益あらんや。此れを「中に誠なれば、外に形る」と謂う。故に君子は必ず其の独りを慎むなり。
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>君子必慎其独也,小人閑居為不善。
君子は独りでいる時に必ず慎み深くするが,小人は他人の目がないと悪い事をする,これが正しい意味である。そもそも,「閑」(原書では木ではなく月の入った字であるが,異字体と解釈しておく)というのは「閑散」の「閑」で,「余暇」の「暇」と同じである筈がない。
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『大学』の名言5:小人閑居して不善を為す
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小人閑居為不善。無所不至。(伝六章)
小人閑居して不善を為す。至らざる所なし。
徳を備えていないつまらない小人は、暇を持て余していると悪事に手を染めてしまう。暇があるがために、ここまでという限度が無くなってしまう。
有徳・知識人としての君子の対極にある存在が『小人』であり、小人は仁徳や教養、勇気、節制を持っていないために、仕事をせずに暇を持て余しているとどうしても悪事を犯しやすくなってしまうという戒めの言葉である。