0731 浜岡、原発
浜岡周辺4市、再稼働同意前提で会合 11年1月 地元協議会直前 中日新聞トップ記事、見出しである。20140731
リードには、二〇〇九年の駿河湾地震後に運転を停止していた中部電力浜岡原発5号機(静岡県御前崎市)の再稼働をめぐり一一年一月、御前崎市など地元四市長や住民代表らでつくる浜岡原発安全等対策協議会(四市対協)が臨時会を開く直前、四市の担当職員が会合を開き、再稼働同意を前提にした文書を作成し、四市対協での段取りも話していたことが本紙の調べで分かった、とある。
中段の見出しに、使用済み燃料の乾式貯蔵施設、浜岡に新設へ とある。20140731
記事には、中部電力は浜岡原発(静岡県御前崎市)の使用済み燃料を保管する「乾式貯蔵施設」を敷地内に新設し、二〇一八年度の使用開始を目指す方針を固めた。電力各社がほとんどの原発で採用している水を張ったプールでの貯蔵方式(プール式)に比べ、津波や地震に対する設計上の強度が高く、地元自治体も中電に採用を求めていた、とある。
トップ記事の左、写真記事には、ゲレンデにユリのパレット 郡上・ダイナランド 20140731
記事に、色とりどりに咲き誇り、ゲレンデを彩るユリ=30日午後、岐阜県郡上市高鷲町のダイナランドで(川柳晶寛撮影)
岐阜県郡上市高鷲町のスキー場・ダイナランドで、夏場のゲレンデを活用したゆり園が見頃を迎えている とある。
中部の看板エコノミスト2氏、教壇へ 20140731
中部地方の看板エコノミスト二人が、所属シンクタンクから相次いで大学教授に転身する。共立総合研究所の江口忍名古屋オフィス代表(49)が名古屋学院大教授に、三菱UFJリサーチ&コンサルティングの内田俊宏シニアエコノミスト(46)は中京大客員教授にそれぞれ就任する
中日春秋
2014年7月31日
その時、上空から見た地上の光景は「黒く、煮えたぎったタールのようだった」という。一九四五年八月六日朝、人類初の原子爆弾を投下した直後、爆撃機エノラ・ゲイから目撃した広島の姿を搭乗員の一人バンカーク氏はそう表現した
街が「煮えたぎったタール」になって三日目、自宅の焼け跡に呆然(ぼうぜん)と立った時の思いを詩人・大平数子さんは綴(つづ)った。<めぐりめぐってたずねあてたら/まだ灰があつうて/やかんをひろうてもどりました/でこぼこのやかんになっておりました>
<“やかんよ/きかしてくれ/親しい人の消息を”/やかんが/かわゆうて/むしょうに むしょうに/さすっておりました>。原爆で家族を奪われた大平さんはこうも書いた。<子どもたちよ/あなたは知っているでしょう/正義ということを/正義とは/つるぎをぬくことでないことを>(『原爆詩一八一人集』)
米国にとり原爆は「早期終戦を実現するために抜いた正義の剣」だった。エノラ・ゲイ搭乗員の最後の生存者で、先日、九十三歳で逝ったバンカーク氏もそう言い続けてきた
彼はこんな言葉も口にしていたという。「戦争も原爆も、何も解決はしない。核兵器が全廃されるのを見たいとも思う。だが誰かが核兵器を一発持つのであれば、僕は敵より一発でも多く持ちたい」
そうして今も世界には一万発以上の核弾頭がある。
浜岡周辺4市、再稼働同意前提で会合 11年1月 地元協議会直前 中日新聞トップ記事、見出しである。20140731
リードには、二〇〇九年の駿河湾地震後に運転を停止していた中部電力浜岡原発5号機(静岡県御前崎市)の再稼働をめぐり一一年一月、御前崎市など地元四市長や住民代表らでつくる浜岡原発安全等対策協議会(四市対協)が臨時会を開く直前、四市の担当職員が会合を開き、再稼働同意を前提にした文書を作成し、四市対協での段取りも話していたことが本紙の調べで分かった、とある。
中段の見出しに、使用済み燃料の乾式貯蔵施設、浜岡に新設へ とある。20140731
記事には、中部電力は浜岡原発(静岡県御前崎市)の使用済み燃料を保管する「乾式貯蔵施設」を敷地内に新設し、二〇一八年度の使用開始を目指す方針を固めた。電力各社がほとんどの原発で採用している水を張ったプールでの貯蔵方式(プール式)に比べ、津波や地震に対する設計上の強度が高く、地元自治体も中電に採用を求めていた、とある。
トップ記事の左、写真記事には、ゲレンデにユリのパレット 郡上・ダイナランド 20140731
記事に、色とりどりに咲き誇り、ゲレンデを彩るユリ=30日午後、岐阜県郡上市高鷲町のダイナランドで(川柳晶寛撮影)
岐阜県郡上市高鷲町のスキー場・ダイナランドで、夏場のゲレンデを活用したゆり園が見頃を迎えている とある。
中部の看板エコノミスト2氏、教壇へ 20140731
中部地方の看板エコノミスト二人が、所属シンクタンクから相次いで大学教授に転身する。共立総合研究所の江口忍名古屋オフィス代表(49)が名古屋学院大教授に、三菱UFJリサーチ&コンサルティングの内田俊宏シニアエコノミスト(46)は中京大客員教授にそれぞれ就任する
中日春秋
2014年7月31日
その時、上空から見た地上の光景は「黒く、煮えたぎったタールのようだった」という。一九四五年八月六日朝、人類初の原子爆弾を投下した直後、爆撃機エノラ・ゲイから目撃した広島の姿を搭乗員の一人バンカーク氏はそう表現した
街が「煮えたぎったタール」になって三日目、自宅の焼け跡に呆然(ぼうぜん)と立った時の思いを詩人・大平数子さんは綴(つづ)った。<めぐりめぐってたずねあてたら/まだ灰があつうて/やかんをひろうてもどりました/でこぼこのやかんになっておりました>
<“やかんよ/きかしてくれ/親しい人の消息を”/やかんが/かわゆうて/むしょうに むしょうに/さすっておりました>。原爆で家族を奪われた大平さんはこうも書いた。<子どもたちよ/あなたは知っているでしょう/正義ということを/正義とは/つるぎをぬくことでないことを>(『原爆詩一八一人集』)
米国にとり原爆は「早期終戦を実現するために抜いた正義の剣」だった。エノラ・ゲイ搭乗員の最後の生存者で、先日、九十三歳で逝ったバンカーク氏もそう言い続けてきた
彼はこんな言葉も口にしていたという。「戦争も原爆も、何も解決はしない。核兵器が全廃されるのを見たいとも思う。だが誰かが核兵器を一発持つのであれば、僕は敵より一発でも多く持ちたい」
そうして今も世界には一万発以上の核弾頭がある。