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菊酒は厄払いの重陽節句

2015-09-09 | ほんとうのところは
ちょうよう、重陽の節句、菊酒を飲む日となる。年中行事を知る人もなく、めでたいかと思っていたが、気が強すぎるのを払ったとか、そうではなくて吉祥であるとか、陰陽思想では奇数は陽の数であり、陽数の極である9が重なる日であることから、奇数の重なる月日は陽の気が強すぎるため不吉とされ、それを払う行事として節句が行なわれていた、と解説などにある。>邪気を払い長寿を願って、菊の花を飾ったり、菊の花びらを浮かべた酒を酌み交わして祝ったりしていた[。また前夜、菊に綿をおいて、露を染ませ、身体をぬぐうなどの習慣があった。現在では、他の節句と比べてあまり実施されていない。


人民中国インターネット版
>重陽節の由来についての歴史上の伝説がある。後漢(25~220年)のころ、桓景という人が、ふるさとを離れて、道士の費長房に武芸を習っていた。9月9日のその日は、費長房に言われたとおりに帰郷した。そして家族を連れて、茱萸(カワハジカミ)の袋を腕に結び、高みに登って「菊花酒」を飲み、災いを避けた。
 夕方になり、半信半疑の桓景が帰宅すると、飼育していたニワトリ、犬、牛、羊がいずれも命を落としていた。道士の費長房はそれを聞くなり、こう言った。「主人の代わりに家畜が難を受けたのだ」。この話が広まり、人々が真似するようになっていった。こうして重陽になると、高みに登り、茱萸をつけて、菊花酒を飲むという慣わしができたのである。
>詩人・王維が詠んだ「9月9日憶山東兄弟」(9月9日、山東の兄弟を憶う)には、こう表されている。
「独り異郷に在りて 異客と為り、佳節に逢う毎に 倍す親を思う。遙かに知る 兄弟の高き処に登り、遍く茱萸を插して 一人を少くを」。
 http://www.peoplechina.com.cn/zhuanti/2007-12/10/content_89664_2.htm

ウイキペディアより。
中国の重陽
>『芸文類聚』巻四「歳往月来、忽復九月九日。九為陽数而日月並応。俗嘉其名、以為宜於長久、故以享宴高会。……思食秋菊之落英、輔体延年。莫斯之貴。謹奉一束、以助彭祖之術」
中国では、『芸文類聚』に魏の文帝が鍾繇へ菊花を贈った記事が見える[2]。 上記の菊を使った習慣の他に、茱萸(グミ)ではなく呉茱萸(ゴシュユ)の実を入れた袋を肘に下げたり、郊外の丘など高い場所へピクニックに出掛け遠くを見る(これを登高と呼ぶ)ことが行われた。
中国で重陽が正式な節句として認められたのは漢代である。劉歆による『西京雑記』に、高祖の愛妾であった戚夫人が殺害された後、宮廷より放逐された侍女の賈佩蘭が、9月9日は宮廷では茱萸を肘に下げ、菊酒を飲み長寿を祈る習慣があったと人に話したことにより、民間でも祝われるようになったとある。
唐代の重陽は2日あるいは3日間にわたって祝われていた。これは李白の『九月十日即事』からもうかがい知ることができる。 2012年6月26日、十一回全国人大常委会第二十七次回ではじめて高齢者の権利保障法修訂草案が審議された。草案では每年陰暦九月九日(重陽節)を老年節(老人の日)としている。


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