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兄 かぞくのくに

2013-09-22 | 映画を見ました
BS放送を観た。かぞくのくに ビデオ撮りの映画だ。複雑な思いになった。どうしようもないことがある、映画をW座で評した。あちらでは考えることはない、考えると頭がおかしくなる、思考停止だ、上からの言うことに従うだけだ、そうしていきることをするだけだ、こういうことはいつもある、したがうだけだ、理由なんかいつもない、理由を考えることはない、と兄が語る。兄は任務を持っていた。妹に告げる。それを聞いた。何を言っているかわからない、それをやっと理解してさけぶ。兄と生き方を別にする宣言だ。



かぞくのくに

『かぞくのくに』は、2012年8月4日に公開された日本映画。在日コリアン2世のヤン・ヨンヒ監督による第3作。
ヤン監督が自身の実体験を基に書き起こしたフィクション映画で、今なお北朝鮮で暮らす家族を想い書き下ろした作品である。

初公開: 2012年8月4日 (日本)
監督: 梁英姫
上映時間: 100分
音楽: 岩代太郎
脚本: 梁英姫

ストーリー
在日コリアンのソンホは総連の重役を務める父の勧めに従い、当時「理想郷」と称えられていた北朝鮮の「帰国事業」に参加し半島に渡り、現地で結婚し子供も生まれたが、離れ離れとなった家族の再会は果たされていなかった。
それから25年、ソンホの一時帰国が実現する。ソンホは脳に悪性の腫瘍を患い、その治療のため、3ヶ月の期間限定で日本滞在が許されたのだ。久々の再会に妹のリエや母ら、家族は歓喜し、ソンホを暖かく迎え入れる。だがソンホには常に同志ヤンが付き従い、その行動を制限・監視していた。
検査の結果、ソンホの治療は3ヶ月では足らず半年以上の入院が必要だと告げられ。手術を断られてしまう。なんとかソンホの腫瘍を治療させようとリエがソンホの幼馴染で医者に嫁いだスニに相談していた矢先、朝鮮本国より突然の帰国命令が下る。ウイキペディアより


http://realtime.wsj.com/japan/2013/03/18/自伝的映画「かぞくのくに」─梁英姫監督インタビュー

>【ソウル】東京を拠点に活動する映画監督、梁英姫(ヤン・ヨンヒ)氏は、韓国籍を取得してから約10年たつが、いまだに自分がどこに属しているのか分からずにいる。

朝鮮人の両親を持ち、大阪で生まれ育った梁氏は、わずか6歳のときに家族と引き裂かれることになる。韓国南端にある済州島出身で北朝鮮シンパの父が、日本と北朝鮮によって企画された在日朝鮮人の帰還事業の一環として1971年に当時10代の梁氏の兄3人を平壌に送り出したためだ。唯一家に残された子供が少女の梁氏だった。

現在48歳の梁氏は、韓国では自身の複雑な家族の歴史を追ったドキュメンタリー映画の監督として知られている。梁氏の兄や両親、めいへのビデオインタビューを基に製作した「ディア・ピョンヤン」(2005年公開)と「愛しきソナ」(2010年公開)だ。先日、初の長編映画「かぞくのくに」が韓国で公開された。これは、99年に腫瘍治療のために短期間たった1度だけ許された三兄の日本への再入国を題材にした作品だ。

梁氏と両親は北朝鮮を時折訪れることを許されていたが、兄たちは、三兄が病気治療のために訪日したときを除いて、北朝鮮を離れることは許されなかった。「ディア・ピョンヤン」の公開後、梁氏は北朝鮮への入国を禁じられるが、この出来事によって「自分がいかに語り手となることを望んでいるかに気づかされた。たとえそれが兄に2度と会えなくなることを意味するとしてもだ」と梁氏は話す。父と、うつを患っていた長兄はいずれも09年に死亡した。

梁氏の兄たちは、1950年代-70年代に日本から北朝鮮へ渡った推定9万3000人を超える在日朝鮮人のうちの1人だ。梁氏はウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)のインタビューで、新作映画や亡き父の思い出、三兄の訪日時の大阪での思い出などについて語った。

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