日治か 日拠か 台湾、日本の植民地支配どう表記 朝日新聞コラムの、世界初2013の見出しである。2013年8月27日付け。
リードには、戦前50年、日本に植民地支配された時代を何と呼ぶか、台湾で最近、議論が起きた、と言う。
議論は民間出版社、史記文化事業が新たに作った高校1年向けの3種類の歴史教科書で、日本の植民地統治を日拠と記したのがきっかけだ、と記事は報じている。
日拠には日本の軍事占拠や不法な占拠といった意味合いがあるようだ。
台湾における日本統治時代の呼称に、日拠、日本占拠時代と、日治、日本統治時代があり、その使われ方には台湾の歴史を見る歴史観にある。すなわち、日拠を用いるのは大陸中国のもの、日治を用いるのは台湾独立史観のも、いずれもイデオロギーにかかわる。
日清戦争後の1895年から1945年まで下関条約による日本統治の時代があった。
1949年には大陸中国で国民党が敗れ台北に逃れ、台湾と日本とは日華平和条約を調印している。
1972年に日台断交、これは日中国交正常化による。
そして1988年に台湾初の総統就任で、それまで日拠であった歴史教科書の記述が1997年に日本植民統治時代となった。
さらに2000年に政権が移り、日拠が認められなくなり、日治に統一される。
2006年から歴史に台湾史と中国史が記述されるようになった。
2008年に政権が交代して、国民党体制下の日拠がふたたび使われるようになった。
次は、湾歡迎參與、台灣是日本的生命線!部落格、請多多支持!による。
>一九五一年の台湾省政府公報により、国民の「日治」の使用が禁じられ、「日拠」が強要された。その後九〇年代に李登輝総統時代に入り、学校の歴史教育で「日拠」に象徴される大中国史観の見直し、史実重視の台湾歴史観の確立が進められ、九七年の課程綱領(学習指導要領)により、中学校用の社会科教科書では「日治」が用いられた。高校の歴史教科書も、民進党の陳水扁総統時代の〇六年に施行された課程綱領で「日治」の使用が指導された。
>李登輝、陳水扁時代に「日拠」から「日治」へと記述が変わった歴史教科書。国民党のイデオロギー教育からの脱却を意味したが…
しかし〇八年に国民党の馬英九政権が発足。一二年に再び歴史教育に大中国史観を導入すべく、台湾大学政治学部の張亜中教授を教科書検定委員会へ押し込み、物議を醸した。張亜中氏は歴史の専門家ではないが、現行の歴史教科書を「台湾独立教科書」として激しく非難していた。
その後、張亜中氏は検定委員を辞し、「一部の歴史用語は台湾史と中国史を切り離し、また日本の植民地統治を美化している」として、三つの教科書会社を開設。高校用歴史教科書で「日治」を「日拠」と改めた他、「鄭氏統治時期」を「明鄭時期」(鄭成功一族による台湾統治を明国の統治とする歴史捏造に基いた国民党史観)、「台湾史・中国史」の区分を廃し、両者を「本国史」で統合するなど、李登輝時代以前の教科書の復活を試みた。
そして今年一月、それらは教育部(文科省)の検定を受けたものの、「日拠」は不可として差し戻された。
かくして巻き起こったのが「日治」か「日拠」を巡る論争である。
リードには、戦前50年、日本に植民地支配された時代を何と呼ぶか、台湾で最近、議論が起きた、と言う。
議論は民間出版社、史記文化事業が新たに作った高校1年向けの3種類の歴史教科書で、日本の植民地統治を日拠と記したのがきっかけだ、と記事は報じている。
日拠には日本の軍事占拠や不法な占拠といった意味合いがあるようだ。
台湾における日本統治時代の呼称に、日拠、日本占拠時代と、日治、日本統治時代があり、その使われ方には台湾の歴史を見る歴史観にある。すなわち、日拠を用いるのは大陸中国のもの、日治を用いるのは台湾独立史観のも、いずれもイデオロギーにかかわる。
日清戦争後の1895年から1945年まで下関条約による日本統治の時代があった。
1949年には大陸中国で国民党が敗れ台北に逃れ、台湾と日本とは日華平和条約を調印している。
1972年に日台断交、これは日中国交正常化による。
そして1988年に台湾初の総統就任で、それまで日拠であった歴史教科書の記述が1997年に日本植民統治時代となった。
さらに2000年に政権が移り、日拠が認められなくなり、日治に統一される。
2006年から歴史に台湾史と中国史が記述されるようになった。
2008年に政権が交代して、国民党体制下の日拠がふたたび使われるようになった。
次は、湾歡迎參與、台灣是日本的生命線!部落格、請多多支持!による。
>一九五一年の台湾省政府公報により、国民の「日治」の使用が禁じられ、「日拠」が強要された。その後九〇年代に李登輝総統時代に入り、学校の歴史教育で「日拠」に象徴される大中国史観の見直し、史実重視の台湾歴史観の確立が進められ、九七年の課程綱領(学習指導要領)により、中学校用の社会科教科書では「日治」が用いられた。高校の歴史教科書も、民進党の陳水扁総統時代の〇六年に施行された課程綱領で「日治」の使用が指導された。
>李登輝、陳水扁時代に「日拠」から「日治」へと記述が変わった歴史教科書。国民党のイデオロギー教育からの脱却を意味したが…
しかし〇八年に国民党の馬英九政権が発足。一二年に再び歴史教育に大中国史観を導入すべく、台湾大学政治学部の張亜中教授を教科書検定委員会へ押し込み、物議を醸した。張亜中氏は歴史の専門家ではないが、現行の歴史教科書を「台湾独立教科書」として激しく非難していた。
その後、張亜中氏は検定委員を辞し、「一部の歴史用語は台湾史と中国史を切り離し、また日本の植民地統治を美化している」として、三つの教科書会社を開設。高校用歴史教科書で「日治」を「日拠」と改めた他、「鄭氏統治時期」を「明鄭時期」(鄭成功一族による台湾統治を明国の統治とする歴史捏造に基いた国民党史観)、「台湾史・中国史」の区分を廃し、両者を「本国史」で統合するなど、李登輝時代以前の教科書の復活を試みた。
そして今年一月、それらは教育部(文科省)の検定を受けたものの、「日拠」は不可として差し戻された。
かくして巻き起こったのが「日治」か「日拠」を巡る論争である。