日本語文法議論23811
本が読みたくなって小遣いを握っては駅前の古本屋に顔を出した
阪急電車西宮北口駅の改札を出て線路沿いに歩くとビルの1階部分にある
震災でその風景は一変してしまっている
というほどの店構えではなくてシャッターをあげればそこに2畳ほどの空間で
店主は奥に座っているか店先の裸電球のもとにパイプ椅子のようなものを出して
店番をしているその横のコンクリの壁に積み重ねられていた古典文学大系が
100冊みえていて欲しくてたまらなかったのを見抜かれて、
月に何度か顔出しをしてはまだる、あると、
と、ひょいと、持って行っていいよと声がかかったのには驚きを通り越して
欣喜雀躍の感を抱いて通い続けての顔なじみだけであるから信用もいいところ
何ら証明するものもなくて金はできたら持っておいでといわれたので
そうすることにしてもらってそのときの古本屋のおやじの顔をまじまじと
記憶に焼き付けた学生時代の始まりであった。
古書店はいくつかめぐっていたが、そこは一番に陳列収書の分かりよさで
三上章選集を買ったのもここか7冊1970年の復刻版と1960年代のものである
大阪阪神地下街、いまはもう様変わりして、あの頃は天井が崩れてきそうな狭さで
萬字屋書店のタッグが貼ってある、時枝誠記著日本文法文語篇口語篇19690703購入
文学専攻で教養課程のあとに国文学に進んだ、懐かしい学生のころ、学制は専門部に
読み始めはそのときの入学後にさあこれで本を読もうとなって手当たり次第の雑読に
国文法を然りと読み込んでいるのは三上章著作もそうだった、橋本進吉著作集には
国語の概論で音韻研究に実証があることを学びそれからも国文学と国語学の目配りであった
理論も実証もわからないなりの言語学にも、しかし、象の鼻が学説は辟易すること多々
ひるがえって原論は仮説と証明を知る、その証明ができない、さらに言語観、言語本質
学史のジャンルにいざなわれて行方には国語教育の言語にもおよぶが、文章論が難題と
その文章単位の設定に文章論文法を見通せるようになって文法論よりも文章論という
古典文学大系は品詞分析の総索引づくりが学界の流行にあって大いに役立ったものだ
4年と5年、加えて1年で10年の読み続ける時代で一区切り、読み終わることはない