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日本語文法文章論 人形芝居

2014-09-24 | 日本語文法文章論
現代日本語文法文章論 題材は、タイトルが、人形芝居「綱火」たすき継ぐ とあり、副題に、茨城「小張松下流」の家元、400年の伝統を持ち独自に発展 大橋健一 とある。日本経済新聞の文化面、20140924付けである。執筆者は大橋健一氏である。なお、有料会員サイトであり、著作の全文をこのように言語分析に資料としているので、そのことをお断りするとともに、ここにお礼を申したい。

冒頭の文は、次である。

>神社の境内に張った綱に花火を仕掛けたからくり人形をつるして操り、伝統的な日本の物語を演じる。 

末尾の文は、つぎである。

>来年は本番の開催日がずれるので、ぜひ両流派の違いを見比べていただきたい。

書き出しの文段は、次のようである。

> 神社の境内に張った綱に花火を仕掛けたからくり人形をつるして操り、伝統的な日本の物語を演じる。茨城県つくばみらい市に伝わる「綱火」という人形芝居だ。火祭りの一種だが、派手で凝った演出や精巧な舞台装置が持ち味で、全国的に非常に珍しい行事だろう。

末尾の文段は、次のようである。

> 両流派とも800人以上の観衆を集めて盛大に開催された。来年は本番の開催日がずれるので、ぜひ両流派の違いを見比べていただきたい。

段落は、見出しのもと、次のようである。

>市内に2流派が共存
 ユニークなのは同じ市内に「小張(おばり)松下流」と「高岡流」という2流派が共存している点だ。両派はともに400年以上の歴史を持って独自の発展を続け、良きライバルとして切磋琢磨(せっさたくま)しながら行事の発展・継承に努めてきた。私は小張松下流綱火保存会の家元だが、両派を代表して綱火の魅力について語ろうと思う。

>綱の張り方が違う
 大きく違うのは綱の張り方。小張松下流は高さ10メートルほどの大柱3本を立て、そこに基本となる3本の大綱と数本の小綱を張る。高岡流は縦横に張り巡らされた多数の綱に人形を取り付けるのだが、人形を3本の綱でつり上げるのが大きな特徴。1つの人形に最低3人の人間が必要で、かなりの労力がいる作業だ。

>重要無形民俗文化財に
 綱火は1976年に国の重要無形民俗文化財に指定された。この時、両流派の横断的組織として「綱火保存連合会」が発足した。それぞれに流派を運営してきたが、一致結束して綱火の保存・継承に当たる必要があるとの判断だ。結束の成果もあり、2008年には両流派合わせてサントリー地域文化賞も受賞した。



春秋
2014/9/24付
日本経済新聞 朝刊

 「君からのメールがなくていまこころ〔………〕より暗し」(笹公人)。さて、カッコのなかにはどんな言葉が入るでしょう。歌人の栗木京子さんが若い人向けに書いた著書「短歌をつくろう」で、こんな練習問題を出している。比喩の面白さを分かってもらうためだ。

 答えは「平安京の闇」。きらびやかな都の底知れない暗さが「メールの来ない絶望感を示すにはうってつけ」と栗木さんは感心しきりなのだが、闇のなか、わずかな明かりの下でしたためたのだろうか。平安期の遺跡で出土した土器片に残る平仮名が、字の稽古で古今和歌集の一首を写したものだという新説が発表された。

 切れ切れでこれまで解読できなかった字の連なりは、詠(よ)み人知らずの「幾世しもあらじ我が身をなぞもかく海人(あま)の刈る藻に思ひ乱るる」と読めるそうだ。意味は「ずっとは生きられぬ私なのになぜ漁師が刈る海藻のように心が乱れるのだろう」。なにゆえの心の乱れか、平安人はそれを海藻のゆらめきにたとえたのである。

 もちろん土器片をどんなに眺めたって素人にはチンプンカンプン。うまい下手も分かりはしない。で、思い出したことがある。落語家、柳家小三治師が「ひじきをばらまいたような字」と言って笑わせた高座である。どんな字をたとえたかはご想像に任せるとしても、土器片の墨跡がひじきに見えてくる我が身が情けない。

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