0728 高1女子が同級生殺害
高1女子が同級生殺害疑い 長崎、遺体切断、容疑認める 中日新聞トップ記事、見出しである。20140728
リードには、長崎県佐世保市のマンションの室内で、同市祇園町の高校一年松尾愛和(あいわ)さん(15)の遺体が見つかり、長崎県警は二十七日、殺人容疑で、クラスメートでこの部屋に住む女子生徒(15)を逮捕した、とある。
その左に見出しに、危険ドラッグ現行犯逮捕 鑑定前に 事故多発で愛知県警 とある。20140728
記事には、大麻や覚せい剤に似た成分を含む危険ドラッグ(脱法ドラッグ)の吸引が原因の交通事故が多発している問題で、愛知県警は薬物の影響で正常な運転ができなかったのが原因と判断できれば、物損事故でも道交法違反(過労運転等の禁止)の疑いで運転手を現行犯逮捕する方針を決め、各警察署に通知した、とある。
>全国初の取り組みで、鑑定結果を待たず現行犯逮捕することで捜査を速め事故の減少を図る。
その中段に写真記事とともに、白鵬30度目V、史上3人目 大相撲名古屋場所 とある。20140728
記事には、大相撲名古屋場所で30度目の優勝を果たし、パレードでファンに赤いバラを投げる横綱白鵬=27日、愛知県体育館で(畦地巧輝撮影)
大相撲名古屋場所(日本相撲協会、中日新聞社主催)の千秋楽が二十七日、名古屋市の愛知県体育館で行われ、東横綱白鵬(29)=本名ムンフバト・ダバジャルガル、モンゴル出身、宮城野部屋=が13勝2敗で二場所連続三十度目の優勝を飾った とある。
中日春秋
2014年7月28日
打ち上げ花火の掛け声といえば、玉屋に鍵屋ということになる。花火大会の季節である
花火の掛け声というのは難しい。打ち上がって、花が開き、それが落ちていくまで「たーーーまやーーー」と声を出し続けるのが本寸法と聞くが、現在のようにひと晩に二万発も打ち上がるとあっては、そんな声の掛け方も無理であろう。享保十八(一七三三)年の両国での花火大会はせいぜい二十発程度だったという
<橋の上 玉屋玉屋の声ばかり なぜに鍵屋といわぬ情(じょう)なし>。花火商では玉屋、鍵屋の二軒が有名だったが、江戸の人がほめる掛け声は玉屋ばかりだったそうだ。古い川柳の<玉屋だと またぬかすわと 鍵屋いい>。それほど玉屋びいきが目立っていた
「江戸東京地名辞典」(講談社学術文庫)によると、鍵屋弥兵衛の鍵屋は江戸花火商の元祖で、その六代目の時、番頭だった人物が独立してできたのが玉屋なのだという
気の毒に玉屋は天保十四(一八四三)年、自火を出し、罪に問われてつぶれてしまった。玉屋への掛け声は、弱い者に心情を寄せる江戸っ子が玉屋の悲劇を思ってのことかもしれぬ
判官びいきは日本人の美徳の一つと信じるが、当世は政治、社会そして学校でも弱きが助けられるどころか、くじかれてはいまいか。鍵屋には悪いが、闇に輝く花火には、やはり「玉屋」と大きな声を掛けたい。
高1女子が同級生殺害疑い 長崎、遺体切断、容疑認める 中日新聞トップ記事、見出しである。20140728
リードには、長崎県佐世保市のマンションの室内で、同市祇園町の高校一年松尾愛和(あいわ)さん(15)の遺体が見つかり、長崎県警は二十七日、殺人容疑で、クラスメートでこの部屋に住む女子生徒(15)を逮捕した、とある。
その左に見出しに、危険ドラッグ現行犯逮捕 鑑定前に 事故多発で愛知県警 とある。20140728
記事には、大麻や覚せい剤に似た成分を含む危険ドラッグ(脱法ドラッグ)の吸引が原因の交通事故が多発している問題で、愛知県警は薬物の影響で正常な運転ができなかったのが原因と判断できれば、物損事故でも道交法違反(過労運転等の禁止)の疑いで運転手を現行犯逮捕する方針を決め、各警察署に通知した、とある。
>全国初の取り組みで、鑑定結果を待たず現行犯逮捕することで捜査を速め事故の減少を図る。
その中段に写真記事とともに、白鵬30度目V、史上3人目 大相撲名古屋場所 とある。20140728
記事には、大相撲名古屋場所で30度目の優勝を果たし、パレードでファンに赤いバラを投げる横綱白鵬=27日、愛知県体育館で(畦地巧輝撮影)
大相撲名古屋場所(日本相撲協会、中日新聞社主催)の千秋楽が二十七日、名古屋市の愛知県体育館で行われ、東横綱白鵬(29)=本名ムンフバト・ダバジャルガル、モンゴル出身、宮城野部屋=が13勝2敗で二場所連続三十度目の優勝を飾った とある。
中日春秋
2014年7月28日
打ち上げ花火の掛け声といえば、玉屋に鍵屋ということになる。花火大会の季節である
花火の掛け声というのは難しい。打ち上がって、花が開き、それが落ちていくまで「たーーーまやーーー」と声を出し続けるのが本寸法と聞くが、現在のようにひと晩に二万発も打ち上がるとあっては、そんな声の掛け方も無理であろう。享保十八(一七三三)年の両国での花火大会はせいぜい二十発程度だったという
<橋の上 玉屋玉屋の声ばかり なぜに鍵屋といわぬ情(じょう)なし>。花火商では玉屋、鍵屋の二軒が有名だったが、江戸の人がほめる掛け声は玉屋ばかりだったそうだ。古い川柳の<玉屋だと またぬかすわと 鍵屋いい>。それほど玉屋びいきが目立っていた
「江戸東京地名辞典」(講談社学術文庫)によると、鍵屋弥兵衛の鍵屋は江戸花火商の元祖で、その六代目の時、番頭だった人物が独立してできたのが玉屋なのだという
気の毒に玉屋は天保十四(一八四三)年、自火を出し、罪に問われてつぶれてしまった。玉屋への掛け声は、弱い者に心情を寄せる江戸っ子が玉屋の悲劇を思ってのことかもしれぬ
判官びいきは日本人の美徳の一つと信じるが、当世は政治、社会そして学校でも弱きが助けられるどころか、くじかれてはいまいか。鍵屋には悪いが、闇に輝く花火には、やはり「玉屋」と大きな声を掛けたい。