釈迦の遺骨である。釈迦が荼毘に付された際の遺骨及び棺、荼毘祭壇の灰塵を指す、と説明する。釈迦の遺骨、遺灰、毛髪というが、それは限られたものなので、宝石や貴石を代替品とすることがあるそうである。さてその舎利で身近な、それでいて、舎利であることの名を伝えるのが、覚王山日泰寺 である。超宗派の寺院である。 それは、タイ王国から寄贈された 真舎利、釈迦の遺骨を安置するために、創建され、覚王とは、釈迦の別名だそうだ。
ウイキペディアより
>「舎利」は遺骨または遺体を意味する梵語シャリーラ(śarīra)の音写(śarīra शरीरの本義は単に「肉体」の意で、死体も指す)。
>釈迦入滅の地クシナガラの統治部族マッラ族は当初仏舎利の専有を表明し、仏教を国教とする周辺国との間に仏舎利を巡って争いが発生する事態となったが、結果として8等分され、それに、容器と残った灰を加えて周辺内外の10か所の寺院に奉納された。
200年の後、インドの敬虔な仏教徒であったマウリヤ朝のアショーカ王はインド統一を果たした後、全国8個所に奉納されていた仏舎利のうち7か所の仏舎利を発掘し、遺骨は細かく粉砕しひと粒ひと粒に分け、灰塵は微量ずつに小分けする作業を行って、最終的に周辺国も含めて8万余の膨大な寺院に再配布を実施した。
五番目物(切能)
切能とは、能において鬼・天狗・天神・雷神・龍神などがシテとなる曲。
五番立においては最後の五番目に演じられることから、切能または五番目物と呼ばれる。
また鬼畜物とも言われる。
http://www.ic.nanzan-u.ac.jp/club/kanze/noh-story.htm
<切能物> 五番目物とも言う
人間ではない生物が主人公のもの。その生物とは、幽霊や天狗・妖怪や鬼(四番目物の鬼は人間が突然変異したもの 。五番目物の鬼は生まれも育ちも純粋な鬼。)で、彼らは別世界から人間界に来訪します。
そして、人間界でいろいろなこと(善いことをするものも悪いことをするものもいます)をして、最後には自分の世界に帰っていきます。 全体的に豪快で・テンポがよいものが多いです。
一日の最後(キリ)の演目、という意味から切物能と言われます。
詞章
>
ワキ「旅の衣のはるばると。旅の衣のはるばると。都にいざや急がん。これは出雲の国美保の関より出でたる僧にて候。われ未だ都を見ず候う程に。ただ今思い立ち都へ上り候。朝立つや。空行く雲の美保の関。空行く雲の美保の関。心はとまる古里の跡の夕べもなごりある。日数を重ねて程もなく。都に早く着きにけり都に早く着きにけり。急ぎ候うほどに都に着きて候。承り及びたる東山泉涌寺へ参り仏舎利を拝まばやと思い候。いかに誰か御入り候。
間狂言「何事を御尋ね候ぞ。
ワキ「これは遥かの田舎より上りたる僧にて候。当寺の御事を承り及びはるばる参りて候。大唐より渡りたる十六羅漢。又、仏舎利をも拝み申したく候。
間狂言「げにげに聞しめし及ばれて御参り候うか。聊爾に拝み申すこと叶わず候。ただし今日かの御舎利の御出である日にて候。われら当番にて唯今戸を明け申さんとて。鍵を持ちてまかり出で候。まずこの舎利を御拝みあつて。その後山門に登りて。十六羅漢をも拝ませ申し候べし。こなたへ御出で候らえ。
ワキ「心得申して候
間狂言「からからさっと御戸を開き申して候。よくよく御拝み候らえ。
ワキ「あらありがたや候。さらば御供申しり候べし。げにや事として何か都のおろかなるべきなれども。ことさら霊験あらたなる。仏舎利を拝する事の.たっとさよ。これなん足疾鬼が奪いしを。韋駄天取り返し給い。験徴奇特の牙舎利の御相好。感涙肝に銘ずるぞや。一心頂礼.万徳円満釈迦如来。地謡 ありがたや今も在世の心地して。今も在世の心地して。まのあたりなる仏舎利を。拝する事のあらたさを。何にたとえん墨染の袖をもぬらす心かな。袖をもぬらす心かな。
シテ「あら有難の御事や。仏在世の御時は。法の御声を耳にふれ。聞法値遇の結縁に。一劫を浮かみこの身ながら。二世安楽の心をうるに。後五の時世の今さらに。なお執心の見仏の縁。嬉しかりける.時節かな。
ワキ「われ仏この寺に旅居して。そのまま夜ふくる寺の鐘。声澄みわたる折ふしに。御法をたっとぶ声すなり。いかなる人にてましますぞ。
シテ「これはこの辺りに住む者なるが。お舎利を拝まんそのために。よりより寺辺に来れるなり。
ワキ「よし誰とてもその望み。お舎利を拝まん為ならば。同じ心ぞ我も旅人。
シテ「来るもよそ人。
ワキ「所も
シテ「また。
シテ・ワキ「都のほとり東山の。末に続ける峰なれや。
地謡「月雪の古き寺井は.水澄みて。ふるき寺井は水すみて。庭の松風さえかえり。ふけゆく鐘の声までも心耳に澄ます夜もすがら。げに聞けや峰の松。谷の水音澄みわたる嵐や法を唱うらん.嵐や法を唱うらん。それ仏法あれば世法あり。煩悩あれば菩提あり。仏あれば衆生もあり。善悪又不二なるべし。
シテ「しかるに後五百歳の仏法。既に末世の折を得て。
地謡「西天唐土日域に。時至って久方の。月の都の山並や。仏法流布のしるしとて。仏骨をとどめ.給いにき。
シテ「げに目前の妙光の影。
地謡「この御舎利に。しくはなし。しかるに仏法東漸とて。三如来四菩薩も。皆日域に地をしめて。衆生を済度し給えり。常在霊山の秋の空。僅かに微月に臨んで魂を消し。泥洹双樹の苔の庭.遺跡を聞いて腸を断つ。有難や仏舎利の.御寺ぞ在世なりける。げにや鷲の御山も。在世の砌にこそ草木も法の色を見せ皆仏心を得たりしが。
シテ「今はさみしくすさまじき。
地謡「月ばかりこそ昔なれ。孤山の。松の間には。よそよそ白毫の秋の月を礼すとか。蒼海の浪の上に。はるかに四諦の暁の雲を引く空の。さみしささぞな鷲の御山。それは上見ぬ方ぞかし。ここはまさに目前の。仏舎利を拝するこの寺ぞたっとかりける。
ワキ「不思議やな今までは。さやけき月のかき曇り。堂前に輝く稲光。こわそもいかなる事やらん。
シテ「今は何をかつつむべき。昔の執心疾鬼が心。なおこの舎利に望みあり。許し給えや人びとよ。
ワキ「げにげに見れば怖ろしや。面色変れる鬼となって。
シテ「舎利殿に臨み昔のごとく。
ワキ「金冠を見せ。
シテ「法座をなして。
地謡「栴檀沈水香の。栴檀沈水香の。上にかきくる雲煙を立てて稲妻の。光に飛びまぎれて。もとより。足疾鬼とは。足疾き鬼なれば。舎利殿に飛びあがり。くるくるくると。見る人の目をくらめて。そのまぎれに牙舎利を取って。天井を蹴破り。虚空に飛んであがると見えしが行方も知らず失せにけり。行方も知らず.失せにけり。
<中入>
ツレ「そもそもこれは。この寺を守護し奉る。韋駄天とはわがことなり。ここに足疾鬼といえる外道。昔の執心残って。またこの舎利を取ってゆく。いづくまでかは遁すべき。その牙舎利置いてゆけ。
シテ「いや叶うまじとよこの仏舎利は。誰も望みの。あるものを。
地謡「欲界色界無色界。
<舞働キ>
地謡「欲界色界無色界。化天夜摩天他化自在天。三十三天よぢ登りて。帝釈天まで追いあぐれば。梵王天より出であい給いて。もとの下界に。追っ下す。もとの下界に追っ下す。
シテ「左へ行くも。右えゆくも。
地謡「前後も天地もふさがりて。疾鬼は虚空にくるくるくると。渦まいめぐるを韋駄天立ちより宝棒にて。疾鬼を大地に打ち伏せて。首を踏まえて牙舎利はいかに。出せや出せと責められて。泣く泣く舎利をさしあげければ。韋駄天舎利を取り給えば。さばかり今までは足疾き鬼の。いつしか今は。足弱車の力もつき。心も茫々と.起きあがりてこそ.失せにけれ。
ウイキペディアより
>「舎利」は遺骨または遺体を意味する梵語シャリーラ(śarīra)の音写(śarīra शरीरの本義は単に「肉体」の意で、死体も指す)。
>釈迦入滅の地クシナガラの統治部族マッラ族は当初仏舎利の専有を表明し、仏教を国教とする周辺国との間に仏舎利を巡って争いが発生する事態となったが、結果として8等分され、それに、容器と残った灰を加えて周辺内外の10か所の寺院に奉納された。
200年の後、インドの敬虔な仏教徒であったマウリヤ朝のアショーカ王はインド統一を果たした後、全国8個所に奉納されていた仏舎利のうち7か所の仏舎利を発掘し、遺骨は細かく粉砕しひと粒ひと粒に分け、灰塵は微量ずつに小分けする作業を行って、最終的に周辺国も含めて8万余の膨大な寺院に再配布を実施した。
五番目物(切能)
切能とは、能において鬼・天狗・天神・雷神・龍神などがシテとなる曲。
五番立においては最後の五番目に演じられることから、切能または五番目物と呼ばれる。
また鬼畜物とも言われる。
http://www.ic.nanzan-u.ac.jp/club/kanze/noh-story.htm
<切能物> 五番目物とも言う
人間ではない生物が主人公のもの。その生物とは、幽霊や天狗・妖怪や鬼(四番目物の鬼は人間が突然変異したもの 。五番目物の鬼は生まれも育ちも純粋な鬼。)で、彼らは別世界から人間界に来訪します。
そして、人間界でいろいろなこと(善いことをするものも悪いことをするものもいます)をして、最後には自分の世界に帰っていきます。 全体的に豪快で・テンポがよいものが多いです。
一日の最後(キリ)の演目、という意味から切物能と言われます。
詞章
>
ワキ「旅の衣のはるばると。旅の衣のはるばると。都にいざや急がん。これは出雲の国美保の関より出でたる僧にて候。われ未だ都を見ず候う程に。ただ今思い立ち都へ上り候。朝立つや。空行く雲の美保の関。空行く雲の美保の関。心はとまる古里の跡の夕べもなごりある。日数を重ねて程もなく。都に早く着きにけり都に早く着きにけり。急ぎ候うほどに都に着きて候。承り及びたる東山泉涌寺へ参り仏舎利を拝まばやと思い候。いかに誰か御入り候。
間狂言「何事を御尋ね候ぞ。
ワキ「これは遥かの田舎より上りたる僧にて候。当寺の御事を承り及びはるばる参りて候。大唐より渡りたる十六羅漢。又、仏舎利をも拝み申したく候。
間狂言「げにげに聞しめし及ばれて御参り候うか。聊爾に拝み申すこと叶わず候。ただし今日かの御舎利の御出である日にて候。われら当番にて唯今戸を明け申さんとて。鍵を持ちてまかり出で候。まずこの舎利を御拝みあつて。その後山門に登りて。十六羅漢をも拝ませ申し候べし。こなたへ御出で候らえ。
ワキ「心得申して候
間狂言「からからさっと御戸を開き申して候。よくよく御拝み候らえ。
ワキ「あらありがたや候。さらば御供申しり候べし。げにや事として何か都のおろかなるべきなれども。ことさら霊験あらたなる。仏舎利を拝する事の.たっとさよ。これなん足疾鬼が奪いしを。韋駄天取り返し給い。験徴奇特の牙舎利の御相好。感涙肝に銘ずるぞや。一心頂礼.万徳円満釈迦如来。地謡 ありがたや今も在世の心地して。今も在世の心地して。まのあたりなる仏舎利を。拝する事のあらたさを。何にたとえん墨染の袖をもぬらす心かな。袖をもぬらす心かな。
シテ「あら有難の御事や。仏在世の御時は。法の御声を耳にふれ。聞法値遇の結縁に。一劫を浮かみこの身ながら。二世安楽の心をうるに。後五の時世の今さらに。なお執心の見仏の縁。嬉しかりける.時節かな。
ワキ「われ仏この寺に旅居して。そのまま夜ふくる寺の鐘。声澄みわたる折ふしに。御法をたっとぶ声すなり。いかなる人にてましますぞ。
シテ「これはこの辺りに住む者なるが。お舎利を拝まんそのために。よりより寺辺に来れるなり。
ワキ「よし誰とてもその望み。お舎利を拝まん為ならば。同じ心ぞ我も旅人。
シテ「来るもよそ人。
ワキ「所も
シテ「また。
シテ・ワキ「都のほとり東山の。末に続ける峰なれや。
地謡「月雪の古き寺井は.水澄みて。ふるき寺井は水すみて。庭の松風さえかえり。ふけゆく鐘の声までも心耳に澄ます夜もすがら。げに聞けや峰の松。谷の水音澄みわたる嵐や法を唱うらん.嵐や法を唱うらん。それ仏法あれば世法あり。煩悩あれば菩提あり。仏あれば衆生もあり。善悪又不二なるべし。
シテ「しかるに後五百歳の仏法。既に末世の折を得て。
地謡「西天唐土日域に。時至って久方の。月の都の山並や。仏法流布のしるしとて。仏骨をとどめ.給いにき。
シテ「げに目前の妙光の影。
地謡「この御舎利に。しくはなし。しかるに仏法東漸とて。三如来四菩薩も。皆日域に地をしめて。衆生を済度し給えり。常在霊山の秋の空。僅かに微月に臨んで魂を消し。泥洹双樹の苔の庭.遺跡を聞いて腸を断つ。有難や仏舎利の.御寺ぞ在世なりける。げにや鷲の御山も。在世の砌にこそ草木も法の色を見せ皆仏心を得たりしが。
シテ「今はさみしくすさまじき。
地謡「月ばかりこそ昔なれ。孤山の。松の間には。よそよそ白毫の秋の月を礼すとか。蒼海の浪の上に。はるかに四諦の暁の雲を引く空の。さみしささぞな鷲の御山。それは上見ぬ方ぞかし。ここはまさに目前の。仏舎利を拝するこの寺ぞたっとかりける。
ワキ「不思議やな今までは。さやけき月のかき曇り。堂前に輝く稲光。こわそもいかなる事やらん。
シテ「今は何をかつつむべき。昔の執心疾鬼が心。なおこの舎利に望みあり。許し給えや人びとよ。
ワキ「げにげに見れば怖ろしや。面色変れる鬼となって。
シテ「舎利殿に臨み昔のごとく。
ワキ「金冠を見せ。
シテ「法座をなして。
地謡「栴檀沈水香の。栴檀沈水香の。上にかきくる雲煙を立てて稲妻の。光に飛びまぎれて。もとより。足疾鬼とは。足疾き鬼なれば。舎利殿に飛びあがり。くるくるくると。見る人の目をくらめて。そのまぎれに牙舎利を取って。天井を蹴破り。虚空に飛んであがると見えしが行方も知らず失せにけり。行方も知らず.失せにけり。
<中入>
ツレ「そもそもこれは。この寺を守護し奉る。韋駄天とはわがことなり。ここに足疾鬼といえる外道。昔の執心残って。またこの舎利を取ってゆく。いづくまでかは遁すべき。その牙舎利置いてゆけ。
シテ「いや叶うまじとよこの仏舎利は。誰も望みの。あるものを。
地謡「欲界色界無色界。
<舞働キ>
地謡「欲界色界無色界。化天夜摩天他化自在天。三十三天よぢ登りて。帝釈天まで追いあぐれば。梵王天より出であい給いて。もとの下界に。追っ下す。もとの下界に追っ下す。
シテ「左へ行くも。右えゆくも。
地謡「前後も天地もふさがりて。疾鬼は虚空にくるくるくると。渦まいめぐるを韋駄天立ちより宝棒にて。疾鬼を大地に打ち伏せて。首を踏まえて牙舎利はいかに。出せや出せと責められて。泣く泣く舎利をさしあげければ。韋駄天舎利を取り給えば。さばかり今までは足疾き鬼の。いつしか今は。足弱車の力もつき。心も茫々と.起きあがりてこそ.失せにけれ。