敗戦による戦争終結1945、終戦記念日は敗戦の日である。
73年を経て御霊を鎮める。世界大戦にはポツダム宣言の受諾となった。大東亜戦争には終戦の詔勅となった。第二次世界大戦は連合国の勝利となって、日本は占領統治を余儀なくされる。1952年まで占領米軍によった支配されたあと、サンフランシスコ条約で主権を回復する。日本歴史上の独立をする。自立した国家は大日本帝国ではなくなった。隷属した日本国家であったから、属国の意識のもとに、日本国は66年を経て独立の意義をかみしめない。
>
8月敗戦編
2007年08月15日07:00友人
15日
この日は
>第二次世界大戦終結の日なので多くの関係国で記念日になっている。
終戦の日/戦没者を追悼し、平和を祈念する日(日本)
1945年8月15日の正午に、天皇による終戦の詔書のラジオ放送(玉音放送)が行われた。日本はポツダム宣言を受諾し、太平洋戦争は終戦。1963年以降、毎年この日に「全国戦没者追悼式」が行われる。
光復節(韓国)・祖国解放記念日(北朝鮮)
日本がポツダム宣言を受諾したことにより朝鮮が日本の統治から解放されたことから。
対日戦勝記念日(連合国)
次もウイキペディアより
解説のうち、玉音放送に限って言うなら、米英との戦い
昭和16年12月8日に対する
終戦記念日と呼ばれる
>終戦記念日は、日本においては一般の認識として専ら、盧溝橋事件以来の対中戦争およびそれに付随しておこった東南アジア各地域での戦争、太平洋戦線の終結を象徴する玉音放送が行なわれた8月15日を指すことが多い。
しかし、天皇が御前会議での聖断によってポツダム宣言の受諾を決定し中立国を通して連合国に通告したのが8月10日、ポツダム宣言受諾が確定し受諾の詔勅が発せられたのは8月14日、軍隊への停戦命令が出されたのは8月16日、日本政府が降伏文書に調印したのは9月2日、ソ連との戦闘終結は9月4日であり、その後も降伏命令の届かなかった部隊・兵士や、邦人保護のための自衛にあたった部隊などによる連合国軍との小規模な戦闘は続いた。
玉音放送
終戦の詔勅
朕深く世界の大勢と帝國の現状とに鑑み非常の措置を以て時局を収拾せむと欲し茲(ここ)に忠良なる爾(なんぢ)臣民に告く
朕は帝國政府をして米英支蘇四國に対し其の共同宣言を受諾する旨通告せしめたり
抑々帝國臣民の康寧を図り万邦共榮の楽を偕にするは皇祖皇宗の遺範にして朕の拳々(けんけん)措(お)かさる所
曩(さき)に米英二國に宣戰せる所以も亦実に帝國の自存と東亞の安定とを庶幾するに出て他國の主權を排し領土を侵すか如きは固(もと)より朕か志にあらす
然るに交戰己に四歳を閲し朕か陸海將兵の勇戰朕か百僚有司の励精朕か一億衆庶の奉公各々最善を尽せるに拘らす戰局必すしも好転せす世界の大勢亦我に利あらす
加之敵は新に残虐なる爆彈を使用して頻(しきり)に無辜を殺傷し惨害の及ふ所眞に測るへからさるに至る
而(しか)も尚交戰を継続せむか終に我か民族の滅亡を招來するのみならす延て人類の文明をも破却すへし
斯の如くは朕何を以てか億兆の赤子を保し皇祖皇宗の神霊に謝せむや是れ朕か帝國政府をして共同宣言に応せしむるに至れる所以なり
朕は帝國と共に終始東亞の解放に協力せる諸盟邦に対し遺憾の意を表せさるを得す
帝國臣民にして戰陣に死し職域に殉し非命に斃れたる者及其の遺族に想を致せは五内爲に裂く
且戰傷を負ひ災禍を蒙り家業を失ひたる者の厚生に至りては朕の深く軫念(しんねん)する所なり
惟ふに今後帝國の受くへき苦難は固より尋常にあらす
爾臣民の衷情も朕善く之を知る
然れとも朕は時運の趨く所堪へ難きを堪へ忍ひ難きを忍ひ以て万世の爲に太平を開かむと欲す
朕は茲に國體を護持し得て忠良なる爾臣民の赤誠に信倚し常に爾臣民と共に在り
若し夫れ情の激する所濫に事端を滋(しげ)くし或は同胞排擠(はいせい)互に時局を亂り爲に大道を誤り信義を世界に失ふか如きは朕最も之を戒む
宜しく擧國一家子孫相傳へ確く神州の不滅を信し任重くして道遠きを念(おも)ひ総力を將來の建設に傾け道義を篤くし志操を鞏(かた)くし誓て國體の精華を発揚し世界の進運に後れさらむことを期すへし爾臣民其れ克く朕か意を體せよ
米国英国ニ対スル宣戦ノ詔書
------------------------------------------------------
天佑ヲ保有シ万世一系ノ皇祚ヲ践メル大日本帝国天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス
朕茲ニ米国及英国ニ対シテ戦ヲ宣ス
朕カ陸海将兵ハ全力ヲ奮テ交戦ニ従事シ朕カ百僚有司ハ励精職務ヲ奉行シ朕カ衆庶ハ各々其ノ本分ヲ尽シ億兆一心国家ノ総力ヲ挙ケテ征戦ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ
抑々東亜ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄与スルハ丕顕ナル皇祖考丕承ナル皇考ノ作述セル遠猷ニシテ朕カ拳々措カサル所而シテ列国トノ交誼ヲ篤クシ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ之亦帝国カ常ニ国交ノ要義ト為ス所ナリ
今ヤ不幸ニシテ米英両国ト釁端ヲ開クニ至ル洵ニ已ムヲ得サルモノアリ
豈朕カ志ナラムヤ
中華民国政府曩ニ帝国ノ真意ヲ解セス濫ニ事ヲ構ヘテ東亜ノ平和ヲ攪乱シ遂ニ帝国ヲシテ干戈ヲ執ルニ至ラシメ茲ニ四年有余ヲ経タリ幸ニ国民政府更新スルアリ
帝国ハ之ト善隣ノ誼ヲ結ヒ相提攜スルニ至レルモ重慶ニ残存スル政権ハ米英ノ庇蔭ニ恃ミテ兄弟尚未タ牆ニ相閲クヲ悛メス
米英両国ハ残存政権ヲ支援シテ東亜ノ禍乱ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞ウセムトス
剰ヘ与国ヲ誘ヒ帝国ノ周辺ニ於テ武備ヲ増強シテ我ニ挑戦シ更ニ帝国ノ平和的通商ニ有ラユル妨害ヲ与エ遂ニ経済断交ニ敢テシ帝国ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ
朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ回復セシメムトシ隠忍久シキニ弥リタルモ彼ハ毫モ交譲ノ精神ナク徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ此ノ間却ッテ益々経済上軍事上ノ脅威ヲ増大シ以テ我ヲ屈従セシメムトス
斯ノ如クニシテ推移セムカ東亜安定ニ関スル帝国積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ帰シ帝国ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ
事既ニ此ニ至ル
帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破砕スルノ外ナキナリ
皇祖皇宗ノ神霊上ニ在リ
朕ハ汝有衆ノ忠誠勇武ニ信倚シ祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ速ニ禍根ヲ芟除シテ東亜永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝国ノ光栄ヲ保全セムコトヲ期ス
御名御璽
昭和十六年十二月八日
各国務大臣副署