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日本語文法文章論 新鋭力作

2014-09-21 | 日本語文法文章論
現代日本語文法文章論 題材は、タイトルが、新鋭力作 とある。日曜版はエッセイである。日本経済新聞の文化面、20140921付けである。執筆者は角田光代氏である。なお、有料会員サイトであり、著作の全文をこのように言語分析に資料としているので、そのことをお断りするとともに、ここにお礼を申したい。

冒頭の文は、次である。

> 新鋭力作のことを、ときどき思い出す。

末尾の文は、つぎである。

>今、新鋭力作は、あたらしい書き手のそばで、その姿を見守っていたりするのだろうか。

書き出しの文に続く、文段は、次のようである。

>二十四年前に新人賞をいただき、文芸誌に小説を載せてもらうようになった。一年に一度、多くて二度くらい。自分の小説がそうして掲載されるのは、本当にうれしかった。掲載時、タイトルの横に、「新鋭力作」と印刷されている。その言葉もうれしかった。この作者は鋭い新人で、力作を書いたのだと、認めてもらえたような気がしたのである。

末尾の文の前にある文段は、次のようである。

>それでもときどき、新鋭力作、と思い出す。その言葉が出てくると、はじめて目にしたときのよろこびではなく、あの、つらい気持ちがともによみがえる。闘ったなあ、と思うのである。負けまいとして、本当によく闘った、新鋭力作とは。そんなふうに思うのである。

段落は、次のようである。

>袋小路で足踏みしながらも、でも、その状況でできるだけいいものを書こうと努力して書き、でも何かが足りなかったと思いながら校正を終えて手放し、その小説の載った掲載誌が送られてくる。自分の小説の載ったページを開く。そこには、ああ、相変わらず「新鋭力作」の文字。

>この次に何か書いても「新鋭力作」だろうか、と私は考えた。それはもはやおそろしいことだった。この次もその次も、その次も、どんなにがんばって書いてもやっぱりこの四文字か。四十歳になっても五十歳になっても、ずーっと「このあいだと、まあ、だいたいおんなじ」だろうか。

> 同い年の友人たちは部長とか課長とか編集長とか、「長」のつく人になっているけれど、小説の世界では今の私はベテランからはほど遠い。けれどもさすがに、新人、と分類するのは図々(ずうずう)しい。「新鋭」なんてだれも思っていない。私ですらも。



春秋
2014/9/21付日本経済新聞

 その支配地域をあらわす地図を見ると、かれらの活動はアメーバのごとく変幻自在、まさに筋金入りのゲリラ組織であることがわかる。それが版図を急速に拡大して国家を名乗り、無法の限りを尽くしてやまない。「イスラム国」――いま世界で最も危険な存在だろう。

イラクとシリアにまたがる広大な「国」は何を企て、どこへ向かうのか。残虐行為と恐怖支配はこれまでの過激派にも通じる所業だが、軍事力や統治能力はひときわ高度だという。そして何よりも戦慄すべきは外国からおびただしい数の戦闘員を集めていることだ。1万人を超すそのなかには多数の欧米人も含まれている。

スケールは違うが、オウム真理教を思い起こさずにいられない。教祖の妄念は国家転覆のもくろみを生み、教団にたくさんの若者が吸い寄せられた。不遇をかこつ人々だけではなく、多くのエリートが罠(わな)にはまったのである。みんな現実社会の「虚(むな)しさ」からの解放を求めていたと、宗教学者の島田裕巳氏は分析している。

「イスラム国」に走る欧米の若者にも、中流以上の家庭の出身者は少なくないようだ。退屈な日常、閉塞感、孤独……。誰もがさいなまれる、そんな「虚しさ」を過激思想は巧みにすくい取っていくのだろうか。不気味に膨張するその「国」との戦いは、じつはわたしたちの社会のなかの魔物との戦いであるかもしれない。

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