居安思危 思則有備 有備無患 こあんしき しそくゆうび ゆうびむかん 左傳、襄公十一年による。
また、さらには、
惟事事 乃其有備 有備無患 これ事を事とすれば すなわちそれ備え有り 備え有れば患え無し 書經˙說命中による。
ちなみに英語訳は漢語サイトのものである。
解釈には日本語読みとしてのこと、いずれを出所としていても、おおかたのところ、理解が得られている。自然災害に充てて、防災に寄せて語られているのは、原典出所の字句まで、その意味するところに、現代日本風土の言いとなる。
http://www.chinesewords.org/idiom/show-13100.html
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有備無患
簡拼: ybwh 拼音: yǒu bèi wú huàn
反義詞: 措手不及、臨陣磨槍、臨渴掘井 同義詞: 未雨綢繆、防患未然、有恃無恐
英語翻譯: be prepared against want
用法: 多用來勸勉人事前要有準備以避免禍患。一般用謂語、賓語。
解釋: 備:防備;患:患難;災禍。事先有防備就可能避免災禍。
出處: 《尚書·說命中》:“惟事事;乃其有備;有備無患。”
成語出處:
(1)書經˙說命中:惟事事,乃其有備,有備無患。 (2)左傳˙襄公十一年:居安思危,思則有備,有備無患。
(3)文明小史˙第四十三回:「雖然現今沒有事情,然而我們總是防備的好。古道:『有備無患。』」
https://ctext.org/shang-shu/charge-to-yue-ii/zh?searchu=%E6%83%9F%E4%BA%8B%E4%BA%8B%EF%BC%8C%E4%B9%83%E5%85%B6%E6%9C%89%E5%82%99%EF%BC%8C%E6%9C%89%E5%82%99%E7%84%A1%E6%82%A3%E3%80%82
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說命中:
惟說命總百官,乃進于王曰:「嗚呼!明王奉若天道,建邦設都,樹后王君公,承以大夫師長,不惟逸豫,惟以亂民。惟天聰明,惟聖時憲,惟臣欽若,惟民從乂。惟口起羞,惟甲冑起戎,惟衣裳在笥,惟干戈省厥躬。王惟戒茲,允茲克明,乃罔不休。惟治亂在庶官。官不及私昵,惟其能;爵罔及惡德,惟其賢。慮善以動,動惟厥時。有其善,喪厥善;矜其能,喪厥功。惟事事,乃其有備,有備無患。無啟寵納侮,無恥過作非。惟厥攸居,政事惟醇。黷予祭祀,時謂弗欽。禮煩則亂,事神則難。」
https://ctext.org/shang-shu/charge-to-yue-ii/zhs?searchu=%E6%83%9F%E4%BA%8B%E4%BA%8B%EF%BC%8C%E4%B9%83%E5%85%B6%E6%9C%89%E5%82%99%EF%BC%8C%E6%9C%89%E5%82%99%E7%84%A1%E6%82%A3%E3%80%82
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说命中:
惟说命总百官,乃进于王曰:“呜呼!明王奉若天道,建邦设都,树后王君公,承以大夫师长,不惟逸豫,惟以乱民。惟天聪明,惟圣时宪,惟臣钦若,惟民从乂。惟口起羞,惟甲胄起戎,惟衣裳在笥,惟干戈省厥躬。王惟戒兹,允兹克明,乃罔不休。惟治乱在庶官。官不及私昵,惟其能;爵罔及恶德,惟其贤。虑善以动,动惟厥时。有其善,丧厥善;矜其能,丧厥功。惟事事,乃其有备,有备无患。无启宠纳侮,无耻过作非。惟厥攸居,政事惟醇。黩予祭祀,时谓弗钦。礼烦则乱,事神则难。”
http://www.1-em.net/sampo/sisyogokyo/gokyo/syokyo/index.htm#%E8%AA%AA%E5%91%BD%E4%B8%AD
書經(朱熹集註序説)
說命中【読み】說命中[えつめいちゅう]
>自ら其の善を有りとせば、則ち己勉を加えずして德虧く。自ら其の能を矜れば、則ち人力を效[いた]さずして功隳[やぶ]る、と。
>惟れ其の事を事として、乃ち其れ備え有り。備え有る、故に患え無し。
張氏が曰く、車馬を修め器械を備え、兵事を事とするときは、則ち兵其の備え有り。故に外侮も之が憂えを爲すこと能わず。稼器を簡[えら]び稼政を修め、農事を事とするときは、則ち農其の備え有り。故に水旱も之が害を爲すこと能わず。所謂事事備え有りて患え無き者此の如し、と。
http://www.kanbun.net/?p=576
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「有其善」(書経・說命中)を如何に訓むか
水曜日 , 25, 12月 2013 永山裕介 漢文法覚書 Leave a comment
有其善、喪厥善、矜其能、喪厥功 (書経・說命中)
「其の善を恃みとすれば、為に人から善有りとせられず、其の能を以って威張れば、為に却って人から有能とはせられない」といったような意味であります。其れは漢文自体からも分りましょうが、註を見ればさらによく分かる、
人生尚謙讓而憎自取、自有其善、則人不以為善、故實善而喪其善、自誇其能、則人不以為能、故實能而喪其能、由其自取、故人不與之 (尚書正義)
問題はこの「有其善」をどう読み下すかであります。塚本氏の漢文叢書では「其の善を有すれば」と訓んであります。しかし、意味はそうではない。意味は、「自らを以って善を有すると為したらば(自以為有其善)」、であります。これを理論的に説明しますと、「有」が臨時に一致性(生産性)を帯びており、且つ既に非生産態化しておるわけであります(四三六項)。すなわち「有」は「有り」ではなく、「有りとす」の意味であります。「有りと」と「す」との関係は、山田博士の所謂「賓格」と「形式用言」との関係に同じであります(山田孝雄『日本文法学概論』六九八項)。「夫色智而有能者、小人也」(孔子家語)の「有能者」も同様の用法であります。また「有」が臨時に帯びた生産性動詞に随伴して生じる他動的帰着性に対する客体(*)、簡単に申せば「~を~とす」の「~を」に当たる部分でありますが、其れは自己を指すことは明らかでありますから非帰着化せられておるわけであります。すなわち「自分で自分を善有りとす」るわけです。以上に依りまして「有其善」を、「其の善を有りとすれば」の如く読み下したいと思います。
淸 「 說 命 」 の 主 題 に つ い て
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しかし今、我々が目にすることができるのは、その一. でしかない。 古文『尙書』が僞作であることは、淸の閻. 璩『尙書古文. 證』に. よ. っ. て ... により僞古文と斷定された僞古文尙書二五篇の一つ「說命」上中下三. 篇. が、. 戰 ...... 傅說之命中』新讀」. (. 二. 〇. 一.
http://nippon-chugoku-gakkai.org/wp-content/uploads/2019/09/66-02.pdf
中國古代において
その一
いわば中國古代思想の共通基。學派の枠を越えて重視されていた、れ
古代思想を硏究する上では避けて、と言っても過言ではなく
。でしかない
その一、我々が目にすることができるのは、しかし今。は通れない
に』尙書古文證『淸の閻璩、が僞作であることは』尙書『古文
の眞本とは如』尙書『ち』 、尙書『では本來の。よって證朙された
そして閻。長らく朞待されてきた、實像が朙らかにされるものと
近年發見の相次ぐ新出土文獻によってその。