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豌痘瘡  古典が語る病名史7

2013-09-08 | 病名のことば
豌痘瘡 古典に見る病名史7

病が語る日本史 講談社学術文庫本 を読む。病名についての語の変遷を学ぼうとする。医学のことであるので正確な知識の記述はこの本書によるか、専門書のよるべきを参照する必要があるが、病名のさまざまなとらえ方があるので日本語の病名がわかるように読んでみたい。

豌痘瘡わんずがさ 痘瘡が、続日本紀しょくにほんぎ の天平7年、735年の記事に、全国的に豌痘瘡をを患って、若死にする者が多かった、とあった。このように記録されている豌痘瘡は、裳瘡もがさ という俗称がある。発疹が着物の裾へ広がるように頭から広がっていく様子がある。豌豆えんどう は、発疹がエンドウに似ているからであった。痘瘡また疫瘡というのは、その発疹が破れ化膿して崩れると瘡になるからであった。痘痕あばた は、その治った痕である。痘瘡と麻疹はいずれも怖い病気で、それぞれ、器量定め、命定め、と呼ばれたりもした。この時から、疫病と言わずに豌痘瘡という病名で初めて登場するのは、唐、朝鮮から医学書が入ったため、医学知識が普及したからであると、病が語る日本史では述べている。

天平7年、735年の夏から、大宰府で流行した豌痘瘡は新羅から伝わった。新羅で疫病が大流行しているのを知らずに、天平8年、736年に新羅に派遣された一行、百人余は壱岐で泊まったときに、奇病で死んだと記録があるようである。そして天平9年の正月に帰国した時に、遣新羅使は四十人になっていた。帰国できたものも、三月まで朝廷に復命のために参内することができなかったという。病を患い、持ち帰ったためであろう。

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