読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

戦争で消えたもの

2011-02-11 10:46:09 | 歴史
 1941年(昭和16年)12月8日、日本は太平洋戦争に突入した。

これらは、 それ以前からだが、国民の前から消えていたものだ。

時刻表からは、連絡船の発着時刻が消えた。

 当時の連絡船は、青函航路、関門航路のほかに、関釜(かんぷ)航路、
稚泊(ちはく)航路があった。
 関釜航路は、下関と朝鮮半島南部の釜山を結んでいた航路で、
 現在は、関釜フェリーとして復活しているが。
 稚は稚内、泊は樺太(現在のサハリン)の大泊(おおどまり)で、北海
道と樺太の連絡航路である。
 太平洋戦争末期は、アメリカの潜水艦が日本近海に出没していたため、
 連絡船の時刻を掲載により、アメリカ軍にその情報が漏れる事を恐れたのである。
 やがて、時刻表を印刷するための用紙さえも不足するようになった。
ほかには、ラジオニュース、新聞紙面から『天気予報』が消えました。
天気予報も軍事情報だったのである。
 これは、アメリカ空軍に空襲予定地上空の天候を知らせないためだ。