読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

漢字「美」について

2010-09-25 10:02:09 | 漢字
阿辻哲次氏の「漢字逍遥」のなかで
「美は羊と大とを組み合わせた字形である」と書かれてあった。そして、羊は古代中国では神に対するいけにえとして多く使われたが、大きい羊が神も喜ぶから羊に大を付けたとも説明されていた。この説明も変だと思ったので調べてみた。
例によって、白川静著「常用字解」に拠った。
「美」は羊の全形の象形文字。羊は羊の上半身を前から見た形で、羊の後ろ足まで加えて上から見た形が美である。美の下の大は子羊が生まれ落ちる形の羍(たつ)の大と同じく牝羊の腰の形であるから、羊の角から後ろ足までの全体を写した形が美である。とあった。美の下部の大は大きいと言う意味を表すのではなく、羊の腰の形だったのである。

足を洗う

2010-09-23 09:26:29 | 漢字
「足を洗う」と言う意味は国語辞典によれば、悪事や苦難の世界から脱することを言うとある。インドで托鉢僧が裸足で乞食をし、庵に帰ってから足を洗った後、法談をしたことに由来していると言う。が、漢字の字源からの研究からは「旅が終わる」事を意味する。人が氏族霊に守られている地から外出するとき、その地の外は邪霊に満ちて危険である。帰ったとき、その邪霊は足の裏に付いて自分の居住地を汚す畏れがある。その足を洗い流す必要が有るのだ。「洗」と言う漢字は「先」つまり足の先を洗う事を意味するのである。更に爪も切った。その中にも邪霊は潜んでいるのである。古代中国では足を洗うことは重要な儀礼であった。
白川静著「文字遊心」平凡社から

休の漢字の成り立ち

2010-09-21 10:36:38 | 漢字
阿辻哲次氏の「漢字逍遥」を読んでいたら、「休」と言う漢字の成り立ちは「人」と「木」からできており、木陰で人がほっと一息ついている形であると書いている。私はその解釈はちょっと安易に過ぎるのではと思って、調べてみた。

図のようにこの漢字の「木」の部分は、古い字形(金文)では禾(か)の形に書かれ、それは横木のついた柱のことである。軍営の門の両脇に軍門の標木(目印の木)として禾を立て、そこで軍事的な誓いや和平交渉などが行われた。禾の前で講和することが和である。戦で手柄をたてた人を表彰することを「休」と言った。「休」は「さいわい、よい、めでたい、よろこび」と言うのがもとの意味であった。
この文字を人が木の下で休むと解釈するのは誤りであるとしている。
白川静著「常用字解」から

「労」と言う漢字

2010-09-09 15:56:12 | 漢字
阿辻哲次著「漢字逍遥」を読んでいたら、漢字の「労」についての文字の成り立ちが説明してあって、それによれば、この漢字は元は「勞」と書かれ、力とウ冠、ウ冠は家を示す、と火が二つから成り立っていて屋根が火で燃える時に人が出す労力の意味から、「大きな力を出して働く」ことを言うと有る。それは違うのではないかと思って調べてみた。白川静著「常用字解」を見てみた。それによれば、「勞」と言う漢字で火二つを上に乗せたウ冠の部分は、「エイ」と読まれる篝火の形で、これは聖火意味し、力と言う文字が表す農具の耒(すき)を祓い清める儀式を示す文字だと有った。こちらの説明の方が納得できると感じた。

童謡は労働歌だった?

2010-09-05 14:00:54 | 漢字
童謡の「童」と言う文字は「辛」と「里」とから成る文字である。辛は取っ手の付いた入れ墨用の大きな針である。「里」は古代文字にまで遡ると「東」と「土」でこの二つが省略された形が里である。この「童」と言う文字は、元来「辛」「目」「東」「土」から成る文字であったが、後に「目」の部分がなくなった。辛と目で目の上に入れ墨を入れられた受刑者を意味していた。この受刑者が奴隷となった者が歌う労働歌が「童謡」だったと言う事だ。この奴隷は結髪が許されず、その姿が子供に似ており、そのため「わらべ」の意味になった。一方、「妾」は女の奴隷を言う。
小山鉄郎著「白川静さんと学ぶ漢字百熟語」PHP新書から

鳥と島

2010-07-21 08:50:50 | 漢字
「沈まぬ太陽」と言う映画を見た。その中で、子供が母親に尋ねるシーンが有る。
「鳥と島は字が似ているのに何故意味が違うの?」と。
鳥は鳥の形をそのまま写した象形文字である。
島と言う漢字の舌の部分の山は海面に突き出ている大きな岩礁である。
その岩礁の上に鳥が、その数に限らず留まっている様子を表した文字である。
これも象形であろう。

門と可

2010-07-16 10:19:45 | 漢字
「慕夏堂記」(モハダンギ)正確には「慕夏堂文集」と言う朝鮮の古い漢文が有るそうだ。
それによると秀吉の朝鮮の役の折り、兵三千名を率いる日本の武将が朝鮮側に投降したと言う内容の文が有ると言う。この武将は投降の後、日本軍に向かって戦ったと言う事だ。更にその武功により王から寵愛を受け大臣相当の官位にまで登ったと記載されている。こうした事実を記録した文書は日本にはなく、司馬遼太郎はこの「慕夏堂記」の作者に疑いを持っている。
この武将の名が「沙也可」(さいえが)と記述されている。日本語読みにすれば「さやか」となるがおよそ日本の武将らしくない名である。司馬は沙エ門ではないかと書いている。
門と可は読み間違えられると言っているが江戸期の古文書をみればそれらの文字が良く似た崩し文字で書かれている。が「慕夏堂記」はどんな書体で書かれているのだろう。

谷と言う字

2010-07-10 08:49:48 | 漢字
司馬遼太郎と井上ひさしが対談している「国家、宗教、日本人」と言う講談社の文庫本を読んでいたら谷と言う字に「やと」というルビがふってあった。やとと言う語は始めて聴く言葉で広辞苑で調べても野兔(やと)や野渡は有ったが谷の読み方としては、「やと」は無かった。
白川静の「常用字解」で谷を調べて見ると、象形文字で上の八の重なった部分は山並みを表しており下の口はサイと言う祝詞を入れる容器を表していると言う。
別の漢和辞典では、谷る(きわま)と言う読みと意味が載っていた。この意味からすると日本の谷は本当は峡か渓を当てるのが正しいと言う事だそうだ。何れにせよ、「やと」の意味は解らなかった。

字書三部作について

2010-07-07 09:20:22 | 漢字
白川静著「桂東雑記」から
桂東雑記は白川静さん晩年のエッセイ、対談、講演などが纏められたもので、五冊あるが最後の五冊目は白川静さんの娘さん(津崎史)が白川さんがなくなってから纏められたものだ。その中に「字書三部作について」と言う短い文が有り、そこでこの字書三部作の著作に向かった気持ちが書かれている。
字書三部作とは「字統」「字訓」「字通」である。72歳で大学を退職された。自身が高齢である事を意識し、時間に追われて70年以上に亘る研究を纏められたものである。
「字統」は字源を述べたもので一年で書かれ、「字訓」は国訓と字義との関係を解明しようとしたもので、これも一年で纏められた。「字通」は語例などを含め、漢字の形、音、義の関係を統括したもので11年半を要した。この三部作はほぼ予定した期間で刊了したそうである。
89歳で勲二等、94歳で文化勲章、そして96歳で亡くなれたと記憶している。
知の巨人である。

「夫」と言う漢字

2010-05-22 09:15:25 | 漢字
NHKのテレビ番組「にほんgo」を見た。
人と言う漢字は人が二人で支えあっている形だ、と言うのは間違いで人そのものの象形であるという事である。それは白川文字学の解き明かしたところで良いが、夫と言う字について司会者が人が二人で夫婦になり、それで夫だと言う説明をしていた。これは間違いなのだ。夫と言う文字は、手足を広げて立っている人を正面から見た大と言う文字に一を加えた文字なのである。その一は頭の髪の髷(まげ)に簪(かんざし)を差した状態を示しているのだ。一方、妻と言う漢字は三本の簪を髪に差し、それに手(又(ゆう))をそえて髪飾りを整える女の姿を表したものである。
夫も妻も結婚式のときに正装した晴れ姿を示す文字なのである。
白川静著「常用字解」平凡社から