ある旅人の〇〇な日々

折々関心のあることや読書備忘を記録する

小椋佳と国益

2005年11月23日 | Weblog
この前、TBSのニュース23だっただろうか、歌手の小椋佳が取り上げられていた。
新曲「再会」や新刊著書「小椋佳 言葉ある風景」が紹介されていた。「再会」は同窓会で歌われるのにふさわしい歌のようだ。著書についてはアナウンサーが「国益」という言葉により戦争も正当化されてしまうというところを朗読していた。米国のイラク攻撃のことなど当てはまるだろうか。国益のためなら不正なことさえ行う。米国は中南米の国々の政府をCIAの工作によって転覆した事実さえある。日本の小泉政権も国益を基本に動いているのだろうか。BSE牛肉の輸入は米国の圧力により再開することになるのか。靖国神社参拝は中国や韓国との関係を悪化させてしまっているが。前者は国益になると判断するのだろうが、後者は国損だろう。

小椋佳の歌を知ったのは、川崎市にいたころ知人の小倉さんの家に行ったとき、シンガーソングライター小椋佳のレコードを聴いたときだったと思う。孤独を歌った聴かせる曲だった。「しおさいの詩」や「六月の雨」だった。それから、ステレオを買って、小椋佳のLPレコードをよく聴いた。声がとてもいいのだが、彼の顔がわからない。松本清張に似ていると聞いた。それでテレビなどに露出しないのかとも思った。彼は第一勧銀の銀行員だったのがその大きな理由だったのかもしれない。その後もコンスタントにヒット作を出していた。「愛燦燦」「夢芝居」「揺れるまなざし」など。彼の代表作は「シクラメンのかほり」だろう。
「シクラメンのかほり」の出だしは「真綿色したシクラメンほど清しいものはない 出逢いのときの君のようです」である。小生、よくカラオケで歌ったものだ。彼は「小椋佳いたずらに」(新潮文庫、昭和56年)のなかで、彼にとってこれは物足りない曲だと述べている。「シクラメンのかほり」も「うす紫のシクラメン」も実在しないし、「清しい」「季節がほほをそめて」「暮れ惑う」は北原白秋の詩からの借用だという。LPの曲からこぼれ落ちた一曲であり、予想外にヒットしたようだ。
かなり前、テレビ番組の「ミュージックフェア」で布施明と共演して歌っていたことがある。明らかに布施明のほうが声量もあり上手だった。
もう還暦の年齢だが、ガンも克服してますます活躍している。