GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「金が持つ負のパワー」

2009年11月17日 | Weblog
私は大の映画好きですが、現実感のない物語にはあまり<共感>できません。
かといって「千と千尋の神隠し」のような、まるで夢の中の出来事のような物語でも、
親を救いたいという純粋な想いが自分探しへと移行していく展開と、
無意識に自立を目指していく清々しい少女の姿に、
リアリティを感じて感銘を受けました。
また、他を圧倒する湯バアバやいかがわしい神々、
そして、登場するわき役達も、現実に存在する大人達を彷彿させ、
リアルな存在感がありました。
宮崎アニメの中では最も好きな作品です。


アニメや映画の世界ではなく、
現実をリアルに生きていながら、その実感が希薄な若者たちが数多く存在します。
その要因はどこにあるのでしょうか?

私は人との繋がりが希薄なせいだと思います。

恋をしてますか?
何かに夢中になっていますか?


私は大学の頃、学業も忘れクラブ活動で円形脱毛症になるほど、
夢中になってクラブ存続の為に一所懸命になっていました。


そして、ファミリーレストランDに就職し、新店を10店オープンさせました。
ゼロから人を揃えるために、面接会場を決め、社員の寮を決め、
保健所で営業許可を取り、タバコ販売の申請をし、
面接し教育し、チームワークや組織を構築しました。

その後、バブル崩壊まえに退職し、関西のH電鉄に再入社しました。
ここでも新しい飲食店(2店)、異動して、今も飲食部の組織、他部門の組織を構築しています。

今振り返れば、大学のフォークソングクラブのコンサートマスターとなんら変わりがありません。
あのときの延長上の仕事を今までしてきたように思います。


一言で云えば「ゼロからの組織の構築」です。

つまり、あのときがあったから今があると云えます。
過去と今の延長線上に未来が必然的に存在するのです。


「2点が決まれば直線が決まる」
これは数学の公理であり、人生の公理でもあります。

世界中の出来事が(リアルかどうかわかりませんが)毎日のように報道され、
国内の目を覆いたくなるような悲惨な事件が繰り返し報道され、
新政府の出航も順風満帆とは云えない、綱渡り的にも思える状況です。
景気の動向も以前不景気の風が止まらず、
就職率は依然と低く、失業率も高く、
先進国での貧困率は最高水準(悪い方で)にあります。

『2000年なかばの統計によれば、日本の相対的貧困率は14.9%で、メキシコの18.4%、トルコの17.5%、米国の17.1%に次いで4番目に貧困率が高かった(OECD加盟国の平均は10.6%)。 逆に、西欧諸国は大半が10%以下であり、全調査国中もっとも低いスウェーデンとデンマークの5.3%を筆頭に、北欧諸国の貧困率が低い。日本政府の2009年の発表では、日本は2006年の時点で15.7%だった。
 2007年の国民生活基礎調査では、日本の2006年の等価可処分所得の中央値(254万円)の半分(127万円)未満が、相対的貧困率の対象となる。これは、単身者では手取り所得が127万円、2人世帯では180万円、3人世帯では224万円、4人世帯では254万円に相当する。』(ウィキペディアより)

このように先進国と呼ばれながらも、格差社会は依然として広がりつつある国、
それが日本という国の現実です。
このような社会の中で、私たちは自分を見失わず生きて行かねばなりません。

 60~70年代の優秀な大学生は日米安保に反対し、もっと平等な社会を目指し、政府や封建的な大学そのものに立ち向かって戦いました。日本を米国の隷属から脱却させたい、平等な社会を作りたい、という純粋な情熱でした。

 東野圭吾氏の『白夜行』『幻夜』の主人公のような悪意に満ちた輩が、大麻を栽培したり、その他の麻薬を学内で販売したり、振り込め詐欺を組織したり、売春組織を運営したりしています。まるでヤクザの仕事を真似て、しかも彼ら以上に巧妙に試みようとしています。すべて金の為です。汚れた金を掴もうとしているのです。彼らにはそんな汚れた金も同じ金なのです。


何が日本の若者たちをこんなにまで堕落させたのでしょうか?
金でしか現実を実感することができなくなったのでしょうか?
エコノミックアニマルと蔑みの言葉を受けてきた親たちのせいなのでしょうか?


イスラムの賢者たちは、この金が持つ巨大な負のパワーがなんであるかを
承知しているからこそ、西欧化に「NO!」と言い続けているのでしょう。


「金が持つ負のパワー」とはどういったものなのか、
私たちはじっくりと考える時期に来ている感じています。

千尋が豚にされた両親を助けるという行為には、熱い純粋さが存在します。
商売人の次男だった私は東京の大学に進学させてもらった親へのお返しは、
「自らの自立」以外にないと決めていました。

千尋の純粋さとあの頃の私の純粋さには差がないと思います。
この千尋と私の純粋さは、日本を憂い、
安保に反対した高潔な純粋さとは質が違うかもしれませんが、
人を陥れ、究極の自己本位に走る悪意に満ちた連中の金への執着に比べれば、
限りなく純粋だと断言できます。