「感受性が豊か」「感受性が繊細」
この言葉のニアンスには少し開きがあるように感じます。
「豊か」には太くて動かし難いイメージ、
「繊細」には細くて壊れやすいイメージを感じます。
「母性愛」には繊細という言葉が似合いません。
やはり「豊かな母性愛」が似つかわしいようです。
つまり「豊か」という言葉には動かし難い、
太くて大きくて深いものを感じます
獣たちは本能のままに命を長らえていますが、
人は言葉を作り、文字を伝え合って理性を身に付けてきました。
医学が進歩し、寿命も飛躍的に伸びました。
しかし、そのために本能が押さえ込まれ、人間本来の能動的要素よりも
受動的要素の方が優先されてきたのではないかと推測しています。
この人たちが草食系、
人の気持ちを優先する心優しき人たちと呼ばれているかもしれません。
音楽を聴いて心が癒されるのは受動的要素ですが、
楽器を自ら練習し弾きこなす喜びは能動的要素と思われます。
グループを組んで音楽活動をするのは、
この二つの要素を同時に高められるので、とても有効且つ合理的と云えます。
繊細すぎて人の言葉が心に突き刺さるような方は、
人間本来の本能を呼び起こし、肉体と同時に心の筋肉を鍛えるために、
もっと能動的になってみてはどうでしょうか。
音楽がもし好きなら自分でも何か簡単な楽器を弾けるよう努力する。
スポーツ観戦が好きな人は、自分でも何かやってみる。
読書が好きなら日記から初めて何でもいいから書いてみる。
映画が好きなら簡単なストーリーを考えてみる。
情報を受け入れ、親の躾に縛られるだけでは繊細になる一方で
肉体だけではなく心の筋肉は貧困になっていき、
心の幹も太くならないような気がしています。
感受性をもっと豊かにするには自ら能動的なものにトライしてみてはどうでしょうか。
たとえば、実際にピアノやギターでドミソ(コード:C)の和音を弾いてみて下さい。
そして、自分でシという音を一つ加えるだけで
今まで知っていたただ明るい音の世界が一変し、
とてももの悲しく、しかも陰影が生まれ、音の世界が深くなります。
あの晴天の霹靂のような感動は、今も忘れ得ぬ記憶です。
私の場合はギターでこの感動を得ました。
ギターは全部で6弦ですが、2弦はシの音なので解放し弾き
あとの弦をドミソの音のどれかを押さえ弾くのです。
(1弦は解放でミなので押さえません)
野球に明け暮れた小学校時代、その後の3年間は柔道少年でした。
しかし、高校生になって音楽を一生の友にするきっかけが、この深みにある6弦の和音でした。
人には能動的要素の強い人と受動的要素が強い人がいます。
重要なのはこのバランスのような気がしてなりません。
そして能動的なものを一つでも自分のもの(一般レベルより上)にしながら、
より高いものを学ぼうと努力する姿勢がいいようです。
できれば尊敬できる先輩や先生の門を叩く状況を望ましく思いますが、
謙虚である限り先生はいつも周囲に存在します。
「心を豊かにしたい」と思うことは
まだまだ自分の心が貧しいと思っているわけです。
この姿勢・想いが大切です。
昨年の夏、大阪の梅田でマイミクになっていただいた先生の
速読法のセミナーに参加しました。
会社以外で実費でセミナーを受けたのは初めてでした。
「見ること」と「読むこと」は違うことを学びました。
若くて美しい先生が最後にこう云われました。
「まず、<見る>と<読む>の時間に大きな差をあることを知ることが大切。
そして、見るを読むに近づける。
これが速読法の極意」
この極意は「心を豊かにしたい」にも通ずるものがあると感じています。
「豊か」と「繊細」は違うことを知る。
そして、繊細な心を太くて動かざるものにしていく。
受動的な心と同時にもっと能動的姿勢を持つ。
能動的要素が高い人は、先輩や先生と呼ばれる人に教えを請う。
音楽や芸術や文学の世界に長けている人がきっと近くにいるはずです。
野球やサッカーのようなスポーツは守りと攻撃のバランスがとても重要です。
どちらが優先か、それは云うまでもなく守りです。
これは私たち人間も同じはずです。
家から一歩出れば、毎日が戦いと云って過言ではありません。
虐めや引きこもりはその最たる例です。
繊細なだけでは、その虐めや引きこもりを誘発させかねません。
心の筋肉は自分で鍛えずして、誰も手伝ってくれるはずがありません。
そのためには自分の能動的要素に刺激を与え、
比較的興味が持てるものを見つけて挑戦してみて下さい。
そして、「心を豊かにする」ことは強くすることと同義だと思って下さい!
この言葉のニアンスには少し開きがあるように感じます。
「豊か」には太くて動かし難いイメージ、
「繊細」には細くて壊れやすいイメージを感じます。
「母性愛」には繊細という言葉が似合いません。
やはり「豊かな母性愛」が似つかわしいようです。
つまり「豊か」という言葉には動かし難い、
太くて大きくて深いものを感じます
獣たちは本能のままに命を長らえていますが、
人は言葉を作り、文字を伝え合って理性を身に付けてきました。
医学が進歩し、寿命も飛躍的に伸びました。
しかし、そのために本能が押さえ込まれ、人間本来の能動的要素よりも
受動的要素の方が優先されてきたのではないかと推測しています。
この人たちが草食系、
人の気持ちを優先する心優しき人たちと呼ばれているかもしれません。
音楽を聴いて心が癒されるのは受動的要素ですが、
楽器を自ら練習し弾きこなす喜びは能動的要素と思われます。
グループを組んで音楽活動をするのは、
この二つの要素を同時に高められるので、とても有効且つ合理的と云えます。
繊細すぎて人の言葉が心に突き刺さるような方は、
人間本来の本能を呼び起こし、肉体と同時に心の筋肉を鍛えるために、
もっと能動的になってみてはどうでしょうか。
音楽がもし好きなら自分でも何か簡単な楽器を弾けるよう努力する。
スポーツ観戦が好きな人は、自分でも何かやってみる。
読書が好きなら日記から初めて何でもいいから書いてみる。
映画が好きなら簡単なストーリーを考えてみる。
情報を受け入れ、親の躾に縛られるだけでは繊細になる一方で
肉体だけではなく心の筋肉は貧困になっていき、
心の幹も太くならないような気がしています。
感受性をもっと豊かにするには自ら能動的なものにトライしてみてはどうでしょうか。
たとえば、実際にピアノやギターでドミソ(コード:C)の和音を弾いてみて下さい。
そして、自分でシという音を一つ加えるだけで
今まで知っていたただ明るい音の世界が一変し、
とてももの悲しく、しかも陰影が生まれ、音の世界が深くなります。
あの晴天の霹靂のような感動は、今も忘れ得ぬ記憶です。
私の場合はギターでこの感動を得ました。
ギターは全部で6弦ですが、2弦はシの音なので解放し弾き
あとの弦をドミソの音のどれかを押さえ弾くのです。
(1弦は解放でミなので押さえません)
野球に明け暮れた小学校時代、その後の3年間は柔道少年でした。
しかし、高校生になって音楽を一生の友にするきっかけが、この深みにある6弦の和音でした。
人には能動的要素の強い人と受動的要素が強い人がいます。
重要なのはこのバランスのような気がしてなりません。
そして能動的なものを一つでも自分のもの(一般レベルより上)にしながら、
より高いものを学ぼうと努力する姿勢がいいようです。
できれば尊敬できる先輩や先生の門を叩く状況を望ましく思いますが、
謙虚である限り先生はいつも周囲に存在します。
「心を豊かにしたい」と思うことは
まだまだ自分の心が貧しいと思っているわけです。
この姿勢・想いが大切です。
昨年の夏、大阪の梅田でマイミクになっていただいた先生の
速読法のセミナーに参加しました。
会社以外で実費でセミナーを受けたのは初めてでした。
「見ること」と「読むこと」は違うことを学びました。
若くて美しい先生が最後にこう云われました。
「まず、<見る>と<読む>の時間に大きな差をあることを知ることが大切。
そして、見るを読むに近づける。
これが速読法の極意」
この極意は「心を豊かにしたい」にも通ずるものがあると感じています。
「豊か」と「繊細」は違うことを知る。
そして、繊細な心を太くて動かざるものにしていく。
受動的な心と同時にもっと能動的姿勢を持つ。
能動的要素が高い人は、先輩や先生と呼ばれる人に教えを請う。
音楽や芸術や文学の世界に長けている人がきっと近くにいるはずです。
野球やサッカーのようなスポーツは守りと攻撃のバランスがとても重要です。
どちらが優先か、それは云うまでもなく守りです。
これは私たち人間も同じはずです。
家から一歩出れば、毎日が戦いと云って過言ではありません。
虐めや引きこもりはその最たる例です。
繊細なだけでは、その虐めや引きこもりを誘発させかねません。
心の筋肉は自分で鍛えずして、誰も手伝ってくれるはずがありません。
そのためには自分の能動的要素に刺激を与え、
比較的興味が持てるものを見つけて挑戦してみて下さい。
そして、「心を豊かにする」ことは強くすることと同義だと思って下さい!