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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

彼岸入り・曼珠沙華

2015年09月20日 | Weblog

 今年は、彼岸の入りを知らせるように、畦のあちこちで咲き始めた曼珠沙華。あの独特の色に亡き人等を偲ぶ。息子等と墓参りに出かけ、水を換えて手を合わせる。年末と寒中とには、掃除に来なければと、辺りの様子に思う。古里の面影もなく・・・

 青空の広がる上天気に、布団と洗濯物を干す。午後からは、水遣りもして、庭木の様子を見ておく。枇杷葉も、硬い葉に育ってきており、クリスマスローズやフリージアの新芽が出ている。秋は冬への準備と、春を呼び込む用意をしよう。球根も買おう。

 きらん草が、そこら中に生えてきている。ブルーベリーの下に、群生しているのが、飛んでいるのだ。自然の営みの不思議を、目の当たりにする。人間には誰にも不可能な誕生だが、与えてもらったことを感謝して、恩恵を分けてもらえる歓びを持とう。

 明日からの仕事に備えて、ゆっくりと休みたいところだが、余りの天気の良さに、家事が増える。そういったことも、自分のできることと有り難く遣る。休日は出かけないのに限る。人混みに疲れるのと、余計な散財もしたくない。図書館で借りた本を。

 リエさん。365日のおはなしは、とても人気が好いようです。僅かな時間でも、親子で過せることは大切ですもの。両親が揃っていてもいなくても、或いはどんな職種でも、時間を共有できることがいいのですからね。加えて、親子で楽しめたら最高ね。

 幼稚園や保育所で、人気の絵本は何だろう?ねこまるせんせいの絵本は、どのタイトルも楽しい。雨の日のねこまるせんせいを最後に、最近は見かけなくなった。ネタが尽きてしまった?少なくとも、日本の伝統行事は多いので、出してもらいたい。

 このシリーズを、楽しみに待っている子どもさんもいるのです。出版社の方や、編集者さんにもお願いしますね。画家さんが多忙な方ゆえ、できないのでしょうか?ねこまるせんせいのキャラクターが親しみ易いのも、人気の秘密ですから、よろしくね。

 春の庭を彩どる、ムスカリの小さな花。春爛漫になると、チャイコフスキーの、くるみ割り人形の、花のワルツが聴こえる。

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運動会にて・・・

2015年09月19日 | Weblog

 孫の通う、小学校の運動会。空はドピカーンとした、白い雲こそ浮かんでいるが、快晴の日和になる。今朝は5時起で、巻き寿しを作り、娘を迎えに行って運動会に。日曜日で無いので、婿は仕事だ。息子も同じく居ず、中学生の姉が出場してやる。

 少ない人数での演技、競技なので殆んど出ずっぱり。水分補給は小まめにしていた。珈琲を淹れて、ポットに持って行く。缶コーヒーは飲めませんです。枇杷葉茶も大きめのに入れて持参する。中学生の孫が、甘い物ばかりに手を出すのを注意す。

 いつの間にか、枇杷葉茶を飲まなくなっているようだ。糖尿だけではなく、万能のお茶なのだが、横着になって沸かさない。咽喉の渇きや、肥り過ぎを防ぐのに、市販品ばかりを口にしているようだ。肝臓にも、腎臓にも影響がある。困った孫等です。

 会場で、勤務先で亡くなった方のご家族に遭う。入所されていた時のお礼を言われるので、改めて悔やみを述べる。昼食は、11時前からになり、さっき朝食をと思いながら、箸を使う。息子が居ないので、分量がなくならない。梨と林檎は売れました。

 午後も早々と済んで、閉会式の前に帰宅する。娘を送って行くのもあり、巻き寿しの残りを持たせて帰す。半袖でも汗が出る陽気だ。その帰りに図書館に寄り、浅見光彦の謎を延長してもらう。このところ、新聞を読むのに、とても時間がかかるのだ。

 国民への説明も、憲法学者の言い分も聴かず、馬の耳に念仏、とばかりに牛歩戦術を取ろうとした、山本太郎議員だが、後に続く者は居ず、僅か10分で終わったらしい。何が何でものごり押しと知っていながら、安倍内閣不信任案 否決とは絶句!

 こんな者が、総理であるという暴挙を赦してはいけない。嘘つきで、茶番劇を独断でやる。然も、観客を締め出して、身内ばかりでの興行ではないか。金があり、自分達の思う様が遣れるからこそ、庶民の苦しみは無関係。勝手に死んでくれと云う。

 春爛漫の或る日。桜が満開の美しさに、思わずシャッターを切る。花の種類は様々で、春夏秋冬の趣が・・・

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国を治めるには・・・

2015年09月18日 | Weblog

 勇気と優しさ。この映画を作った人は、何処の国の人らだろう?映画の売上自体が良ければいいのか。国を治めるのには、戦争は必要ない、と言いながらも、日本に押し付けてくる。可笑しいではないか?物語であるから、構わないのだろうか?

 小さな島国であっても、国を治める者には、国民の命を守り、生活の保障を約束する義務がある。国会議員らが、勝手に強行に決められることではない筈だ。法に則った手順は愚か、国民の声を聴かず、無視しての採決など、認める訳には否。

 沖縄は、日本に返還されているのに、人々の自由も、人権も認めずに、言う事を訊けと脅かすが、そんな横暴が赦されたり、できることとも違うでしょう。民主主義は何処に行った?屁理屈を捏ね、正当化しようとも、庶民には子どもにも通用しません。

 これでオリンピックをやるの?福島の除染はどうするの?核のゴミの捨て場もないのに、原発を再稼動し、野晒しにしておくの?異常気象は、今後も益々広がっていくだろう。自然を蔑ろにし、資源を掘り尽くせば、残るのは人災だけになってしまう。

 地球を滅ぼさないで。破滅への路を進まないで。青い美しい、この惑星を壊さないで。人類の夢と希望の溢れる、輝く青い宝石を、核の灰で汚さないで。穢さないで。未来の希望に繋げていく、勇気と優しさを奪わないで。政治は国民のことを考えて。

 枇杷葉の葉が、太陽の光を受けてしっかりとしてきた。枇杷葉温圧療法で、硬くてごわごわのを採ってはいるが、軟らかいのもあって区別している。来月になれば更に、いい葉に育つ。我が家の枇杷葉のどれにも、様々な生き物が集まって棲んでいる。

 竹藪はないが、雀も宿る。烏、鵥(かけす)、時鳥、むくどり、鳶、ジョウビタキ。朝は、目覚まし代わりに起こしてくれる。夜半は、虫たちの演奏会、独奏会。静かな時間には、読書が合うが、このところ本を片手に眠ってしまう。明日は、孫の運動会である。

 海棠の、咲こうとしている瞬間。時間を気にしないでいられる休日は、やすらぎの一時。春爛漫。

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百舌鳥の声・・・

2015年09月17日 | Weblog

 雨は止んだが、不穏な天気だ。夕方の宇宙には、久々の月が昇っていた。眉月よりは僅か太い。百舌鳥の声が青空に響く。秋でんなぁ・・・、薄も風に揺れているし、空気の味も濃くなって、深呼吸をする度、胸が爽やかになる。鰯雲も広がっている。

 台風の影響で、雨が多いのだが、折りしも平家伝説を読み始めたところ。のっけから、伊勢湾台風にぶつかった。津波が押し寄せて来ても、原発の被害はなかった。壊滅的な被害を被ったが、放射能に汚染されることはなかった。原発再稼動中止。

 新聞の記事に、目眩がしそうになる。国会議員は、莫迦でも金があれば成れるんだね。歴代の首相にも、癖のある人物は多いことを知った。その時代を知恵と勇気で切り抜けることは、至難の技だろう。然し、国民の意向に沿った、政策ではあった。

 橋下龍太郎。ここらが曲者だ。国民年金を下げて、介護の導入を考え始めた。小泉純一郎に至っては、演説の言葉に惑わされて、郵政改革を承認してしまった。金利は下がる一方で、国民の暮らしに、格差が生じて、一家の担い手が消えていった。

 原発も、知らぬ間に、あれよあれよと造られていった。上手い話には裏があるが、事故が起きても、何処も誰も保障を約束しない。権力で押さえ込み、武力で統治すればいいのか。民主主義は死んでしまった。人間の心を持ち合わせない機械になる。

 鴨が多いので、鷺が目立つ。同じ鳥でも、色々な種類があり、生き方も違うが、庶民を愚弄するのは止めよ!借金だらけにして、誰がそのつけを払っていくのか。オリンピックを誘致した、当事者が払えばいい。賛成しない国民もいるんだ。莫迦やろう!

 6月に種を植えておくと、8月から9月にかけて発芽する。移植をしないと、何時までも育たない。

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ガラスの靴・・・

2015年09月16日 | Weblog

 本物があるとすれば、履けるのだろうか?ガラスでしょ・・・足が切れないかしら。シンデレラにとっては平気でも、きっと普通の人は、履けないんだろうね。何も持っていないけど、愛してくれますか。欲張らずに自分を偽らず、そういう心根を持ちたいもの。

 谷川俊太郎さんの、せんそうしない。世界中の命ある物が、自分からは戦争をしないことは明らかだ。するのはおとな。自分たちの都合勝手で、憲法を変えたり、ごり押しをしてまでも、採決をするのは、明らかに間違っている。安倍政権は退陣を!嘘吐き。

 原発の再稼動をすれば、火山の活動が更に活発になる。危険を承知での、再稼動は中止しよう。自然災害のすべてに、地球の怒りがある。沖縄の辺野古基地移設も赦されない。ここまでの長い道のりに、政府の歴代の首相は、何をした?潔く、撤退を。

 オリンピックにも、金を掛け過ぎる。施設の有意義な使い方は、国民の税金に掛かっている。国民の自由も、民主主義も奪って、政府への服従を誓わせるとは、戦争へと突き進むのみ。戦後の70年は何だったのか。自分だけの棲む、星ではないんです。

 好むと好まざるに拘らず、地球にはたくさんの命があることを。人間だけが偉いのではなく、棲むには共存の意味があることを。自然からの恵をもらうには、人間は相当のことで報いることをしなくては。そういった小さな物の命を、奪うだけではいけないの。

 驕る者は滅び行く。けれども、周りに居る物にも、それなりのとばっちりがある。災害も天災も、起こるべくして遣ってくる。予期せぬというが、自然からの警告は、既にされているのだ。愚かなり人類の行いを、見守っているんだ。核戦争に突入すれば、一瞬だ。

 海棠があった傍に、植えていた枇杷葉を、リエさんのにした。苗木が小さかったのが、今年はぐんと伸びた。

 

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珈琲が苦い?

2015年09月15日 | Weblog

 以前には、それが珈琲だと思っていた。従って、砂糖を入れるか、ミルクを注いで飲んでいたが、リエさんが連れて行ってくれた喫茶店で、無農薬を知ってからは、あの苦さは何なの?と首を傾げる。以来、サンタさんからの送ってくれるのを愛飲。

 勤務先で、各々好みに応じて淹れているが、粉の量を減らしたり、加減したりで、美味しいと言われている。市販品であるので、メーカーにも因るが、小川珈琲が多い。むろんのこと、ブレンドしてあるので、自分の気が向いたようには、淹れられるの。

 たかが珈琲であり、されど珈琲でもある。まあ、時間的なこともあるが、相手の飲みたい雰囲気を察して、手早く淹れるのが難しい。何回か遣ってみて、その奥義の深いことに想い中る。180gが千円に近いと、流石に味が違う。咽喉越しが清らかね。

 尤も、我が家で飲むのと、勤務先とのははっきり分けている。自分のボランテェアでするのに、投資はできない。自宅ではその時々に応じて、豆を挽いて淹れる。水も自然水なので、軟らかな咽喉越しだ。後口の爽やかさが堪らない。至福の時です。

 リエさん地で淹れてもらったのは、味といい、香りといい、本当に美味しかった。普段は枇杷葉茶だけに、淹れ方のコツを感じてしまった。枇杷葉茶も、種や花芽の香りは、馥郁としていてたまらないものなので、比べるべくもない。紅茶はカメリアが好い。

 日中の汗ばむ気温に、ちょっと気力を失くしかけたが、入浴介助を行う。お湯で丁寧に洗っていても、私の手を触れると、角質が思いの外剥れる。ゆっくりと手の平を当てていくと、今度はそこが温かくなる。もったいないと泣かれてしまった。感謝です。

 自分の持っている力が、効く人と、そうでない人がいるので、触ってみないことには分らない。医者でもないし、資格も無いが出来ることは違う。誰かが歓んでくれれば、由とする。商売にはできないが心は満たされる。両手の中で炎が揺らめいている。

 寒さの残る宇宙に、煌々と輝く月。セレネの美しさを観たようで、白馬に牽かせた馬車を想う。

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星月夜に・・・

2015年09月14日 | Weblog

 何という宇宙の美しさであろうか。天頂には、夏の大三角が構え、カシオペア王妃やアンドロメダ姫に、天馬ペガサスに打ち跨る、王子ペルセウス。少し離れてケフェウス王。エチオピア王家が連なる。大気が澄んでくるので実に素晴しい。

 燃料補給に行く途中、テイカ蔓が、電柱に巻き付いているのを見つける。スカンポの花も咲いており、薄が風に揺れている。自然に親しみ、愛でることを、最近は誰もしない。気の毒になる。情緒豊かな、当たり前の風景を佇んで愉しみたい。

 テイカ蔓の香りは、濃厚ではないがミルクのようでもある。持ち帰ることは出来ないが、携帯に撮っておく。午前中は、天気も良く休日でもあったので、洗濯物と布団干しを済ませ、午後からの定期健診と歯科の予定で出てきた。眠いなぁ・・・

 赤信号が見えていなく、しまったと思う間もなく通過。車が来ていたら、即死である。一瞬、時が止まったような感覚になった。背筋が凍りついた。今までにも、事故が起きる寸前を事無きを得ている。浅見光彦の心境になる。何だろう、怖っ!!

 三連休に久々に寛いだが、のんべんだらりとはいかなかった。たんまり眠ろうと、計画はしていたが、死者の木霊を読み、浅見光彦の秘密に入った。日航機の墜落の謎も読破したいし、介護の勉強もある。時間は待ってくれないので眠れない。

 夕方帰宅したら、友人が来ていた。薬草になるとかで、やまぼうしの実をくれた。早速焼酎に漬けおく。滋養強壮だそうだが、試すのは一年後だ。自然が豊かにあることに感謝し、枇杷葉から繋がるご縁にも、想いを馳せる。ありがたいことです。

 腰痛予防と、肩の痛みに蒟蒻を温める。枇杷葉の生葉が、たちまち黒くなる。明日は、入浴当番になり、可なりの重労働が予想。胡瓜を塩揉みし、出し昆布に漬ける。茄子も、小さく切って漬物の下準備。弁当のおかずには、何をしようか思案中。

 シンデレラの実写版、DVDとブルーレイのセットが気に入らない。知人に連絡すると、映画が観られなかったので要る、とのことだ。アニメと交換条件。シンデレラの人気が高かったのは、魔法を当てにしないで、真実のエラであろうとしたからだ。

 手塚治虫氏の、ゼロマン。金星からやってきた人種で、あわよくば地球を乗っ取ろうと企てる。正義は悪に勝つ。

 

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葉月、八朔・大潮

2015年09月13日 | Weblog

 西暦1590年。徳川家康が、江戸城に入城した日。朔日・八朔と云う。昨日の不安定な天気とは打って変わって、抜けるような青空が観える。布団を干し、洗濯物を広げていく。朝夕の寒さに、布団を出すことにする。途中何度かは出しているが本決め。

 裏の住人の怒鳴り声に、堪忍袋の緒が切れ、インターホンを鳴らす。子どもを怒鳴るな。と言えば、何もしていないと母親は言い、加えて勝手に泣いているとほざく。だから、泣いているのではなく、泣き叫んでいるでしょう?言いたい事は保健師さんに。

 他人のせいにしない。親の責任です。何かというと、自分には関係ないって言うが、全て親の責任でしょう。自分達で納得して、4人もの子どもを産んでおいて、しゃらっと言う台詞ではないよ。戯言を言うでない。文句があるならって!わが子の責任は親。

 泣き叫んでいる原因は、テレビを観たいし、風呂にも入りたいそうだ。大人の頭で対応しても、強制に過ぎない。出来る訳のないことは大人なら知っているが、やらせてみたらいいではないか。親が幾ら怒った処で、幼いなりに我を通そうと叫んでいたもの。

 父親の台詞も、妻とその子の相性が悪いのを知りながらも、自分の感情のコントロールが出来ない。どうしたらいいのかわからないと喚く。挙句、顔つきが怖いから、近寄らないと言う。大きなお世話だ。この顔は親から貰った物で、今更変えられません。

 人間的に未熟の域を出ていない者が、目上の相手に対して言う台詞ではない。誰に限らず、身体的な特徴を、言葉で言表すのは、差別に等しい。これで、同業者とは呆れてしまう。男の癖にクドクドと言い訳をするのも、聴かされている方は吐き気がする。

 怒鳴らない。親の任務・責任を果たすには、接し方を工夫すること。お互い様と言うなら、挨拶は必須でしょう。今後は、こちらの状況判断で、110番も止むを得ないことを了解させる。実際、毎日、朝といわず昼であろうと、夜でも真夜中にしろ、我慢に限度。

 沖縄への辺野古埋め立てが再開された。強引な政府の遣り方に、激しい憤りを感じる。前知事の任期であったというが、選挙に破れての引退間際、姑息な手を使っての、卑怯千万だ。それが、有効であるとは認められない。話し合いとは言わないでしょ。

 西の宇宙に射るように光る、いちばんぼし。今夜は、月も無く晴れて、絶好の星月夜だ。夏の大三角が天頂で輝く。

 

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秋季体育祭にて

2015年09月12日 | Weblog

 中学校に通う孫の、二度目の体育祭である。今年は、何を思ったか土曜日。保護者の観覧席は元より、全校生徒数も70名という。声援よろしくの出で立ちで、孫の属する組を応援する。最後の方にフォークダンスがあり、参加自由と言うので出た。

 孫曰く。来なくてもいいのに、あらそう帰るわ。と返事したら居てもいいよ。である。賑やかしに出て行ってやったのを、何という言い草か。母親も渋々出て来、参加している。こういう時の、判断は即断して行動しないと、時間のロスがもったいないよ。

 踊れてもステップが踏めなくても、参加することに意義がある。地域の交流には打ってつけ。自分が主役ではなし、上手く出来なくても構わないでしょ。曲が終りに近づいた頃、ステップが分る。還暦を過ぎれば、怖い物はなし。何にでも挑戦する。

 孫は、後2cmほどで追いつく。こちらは次第に背が縮む。土曜日のため、娘を迎えに行って送る。息子が仕事で、観覧できないこともあり、頼み込んでの往復である。AM9時からPM2時過ぎまで、時雨はあったが晴れの中を遣り終えた。疲れたよ。

 文月も経っていく。月日の過ぎるのは当たり前ではあるが、待ってもくれないし、停まることもない。命は産まれて育ち、使命を終えて何処に還るのか。彼岸が近づくと共に、賽の河原を想ってみたり、三途の川の向うを遙かに偲ぶ。邂逅、木霊・・・

 帰宅して、珈琲を淹れて文庫を読む。夢中になっていて、慌てて洗濯物を取り込む。時雨があったにしては、風もあったから乾いている。庭の薔薇が2輪咲き、蕾を1つ見つけた。明日は、八朔で新月なので、用事が多い。昨晩は、星月夜であった。

 春の月には、魔力があるのか?いやいや、四季を問わず、月の光の神秘さには、魅入られてしまう。

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二百二十日、大潮

2015年09月11日 | Weblog

 台風の被害も、侮れないものを、呑気に構えていたものだと思う。広島の教訓が生かされることもなく、よそ事に考えていた節がある。原発の事故も、再び三度起きないとは言い切れない。再稼動すれば、当然のことを危惧しないという不可思議さも。

 石橋を叩いて渡る。用心にも怠りなく、渡ることが大切。石の方が重い場合、これより先には落ちない工夫がいる。石より重い時には摑まって跨る。追突の直前に身を避ける。石橋だけが落ちたら、ウルトラCの技で、橋の手前に跳ぶ。怪我の無きよう。

 これらには、常日頃から心身を鍛えておくことが求められる。体操選手にはならなくても、吾が身を守るためには励んでおく。まあ尤も、最悪の場合は、潔く覚悟を決めることだ。もしかしたら奇跡が起きて、時空が歪むかもしれない。四次元に旅立とう。

 物語の面白さは、ストーリーにある。話の筋がしっかりとしていないと、伏線も置けない。出た所勝負になってしまう。主人公、脇役、悪役の配置。小さな起承転結はむろん、大きなうねりを据えて、最後のどんでん返しを派手にやる。水戸黄門がそれ。

 歴史小説は難しいと思う。なにせ往ったことがないことを、見てきたように描かねばならない。凡その大まかでいいものでもない。読んでいて、思わず知らず惹き込まれる。その展開には息を呑む。記憶に鮮やかに甦る、吉川英治全集を再読するか。

 内田康夫、死者の木霊。最初の出版物のため、文庫で借りた。不等辺三角形、数学嫌いには苦手なタイトルで、内容も噛み砕けなかった。消化不良の印象になってしまう。作者のせいではなく、こちらが受け付けない体質が問題。興味の度合いがね。

 庭の海棠。木が弱って来ているのか、花数が少ない。それでも、この花姿が好きで、季節の廻りを待っている。

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