枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

雪花の舞う・・・

2012年02月19日 | Weblog

 豪雪、根雪、名残雪、吹雪、淡雪、小雪、細雪。雪にも様々な種類がある。小説にも、雪とは書かないけれど、井上靖氏の『しろばんば』もある。枇杷葉は、寒さは苦手である。育たない訳ではなくて、花が咲いても結実しない。

 温室の中や屋内なら心配はないが、個人の家では、わざわざ温室を建ててまで、育てるところはないだろう。況してや、蜜蜂を飼って蜜を集めることまではしない。枇杷蜜は、とても円やかさがある。甘さがしつこくないのだ。香りもいい。

 それでも酔狂な人は、鉢仕立てで室内に取り込み、キャスターに乗せて育てるかもしれない。所謂、観葉植物としてだが。鉢の大きさも半端ではないので、どうあっても動きはしない。頑丈なキャスター付きが何よりだ。

 それと、コンクリートの床は戴けない。できれば木がいい。適度な室温と、冷たい風や霜に合わなければいいのだ。昼と夜の温度差が急だと、植物は弱る。そういったことも含めて、一定の温度が保てる条件が好い。

 まあ、どんな物でも小まめな愛情が必要で、室内に入れれば、管理や世話も要る。野外ではつかない虫の類も、増えることがあるからだ。そういった様々なことも含めて、育てていかなければ失敗する。命というのは、自然にあってこそ生きられる。

 我が家の枇杷葉は、雪避けと霜からの被害を少なくするために、寒冷紗をかけている。枇杷葉の実は、売り物にはならない。家族での枇杷狩りと、リエさんに送るためです。大切に実を食べ、種を取っておいて、焼酎に漬けたり、お茶にする。

 花芽茶もそうだ。たった一人でも、必要としてくれれば、願ったりなのだ。病気に打ち勝つのは、願うから叶うのである。枇杷葉はそれを援ける。私は、枇杷葉に代わって、それを実行するのです。活用すれば生きるが、使わなければ唯の塵だ。

 昨年の皆既月食。昔には、こういった前兆を、吉と出るか、凶になるか占ったらしい。歴史の中には、異変が起こっていることがある。

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春浅し・・・

2012年02月18日 | Weblog

 布団を干していたら、雪になった。ぼたん雪である。宇宙から、風に舞ってはいるものの、強かに落ちてくる。春まだ浅しの感に、慌てて布団を仕舞う填めに。昨日、一昨日は、割合暖かであったのを、油断していた。

 暫く除湿する。その後、天気が快復してきた。布団を広げ、陽射しの温かみが失せない内に、室内に取り込んだ。ありがたい、太陽の光の、何と素晴らしいことか。湿り気がない。ふと、外を見遣れば、粉雪が舞っている。

 孫は、立春に産まれた。小さな赤子を想像していたが、標準よりちょっと大きかった。嫁の実家に似たのか、こちらの祖母の方か、小太りである。母乳もよく出る。乳腺炎になったのには、きらん草を煎じ、食事の他に、団子汁を毎日作って食べさせた。

 団子汁は、もち米の挽いたのに水を加えて練り、味噌汁に仕立てる。この時、産後の肥立ちが良くなるようにと、芋茎を入れる。芋茎は、昨年に取っておいたのを、水で戻して使う。昔は、これだけであったらしいが、お腹一杯にはならない。

 そのもち米も、新しいのは灰汁が強い。できれば古米がいい。精米所があればだが、自動精米だと難しい。スーパーに行けば、米粉はあるが、もち米かはわからない。白玉粉や上新粉はあるだろう。然し、その用途となると混乱していることが多い。

 はったい粉に至っては、年代では判断できない。食べたことがないからだ。これは小麦粉を炒って挽き、鍋にかけて練るのだが、この中に砂糖を入れる。その砂糖も、昔はサトウキビを栽培して作っていた。手間のかかること夥しかった。

 祖母の、父や母の居た古里の暮らしは、どんな物も基本をしなければ育ってはいかない。酷く時間のかかる作業でもある。自分勝手なことでは片付かない。それでも子供心には、厭でならなかったし、自然は当たり前にあると思えていた。

 今年も1枝、花芽のついた白枇杷。木はあまり育ちません。赤枇杷に比べて、実を結ぶ条件が違うのだろうか?

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心が通うこと・・・

2012年02月17日 | Weblog

 数十年前のことが脳裏に甦る。その人の周りを包むのは、軟らかで淡い炎だ。けれども意思は強く、たおやかではあるが、芯がしっかりと伸びている。この人独特の優しい笑顔の下には、苦しみを飲み下し、哀しみを歓びに変える覇気がある。

 いつもお蔭様で、と言い、感謝の言葉を心底云う。柳に風が纏まるように、或いは、北風に耐える梅のように、我慢でなく、当たり前と思える心根がとても佳い。自然の摂理に逆らうことなく、生きていけれることに心を砕き続ける。

 自分の未来はわからないのだが、何故かふっと視えることがある。その予感が的中する。当たるだけに嫌われる。そりゃそうです。本人にとっての不愉快な話に、ありがとうとは言えないだろう。然しながら、それが必ず当る。

 視えることは、然してどうということでもないが、その内容に依って、暗雲たる想いになったり、告げなければならない事態もある。未然に防げるからだ。それも、信じてくれなければ、何の意味も持たない。こういった力を得ている者は、数多の星の如く居ようが。

 白龍にまみえたのは、広がる田畑であった。何に導かれてか、田の畦を歩き、巨木の下に辿り着いた。それが枇杷葉だった。古里の枇杷葉は一匹の龍であったのか。未だにわからない謎だ。枇杷葉と遭わせるために、連れて行かれたのか?

 りささんに、予ねてメールしておいたドクダミを送る。鉈豆、あけび、柚子、枇杷種、枇杷葉の生葉も入れておいた。無論オムロン花芽もです。鉈豆を根気良く、疣に塗っていたら、きれいに取れますからね。鉈豆は出物・腫れ物に効くところから、疣にもそういった性質があるのでしょう。

 必要のない者には、ただの塵ですが、副作用のない薬種としては、待っていてくれる。一度に色々送ったのには、料金が同じだからです。枇杷葉だけでも、箱で送れば高くつきますから。って言うか、老婆心ですが。

 種の落ちた釣鐘草。枇杷湯の残りを遣っていたら、何故か発芽した。店頭では発芽したり、翌年に咲かないようにしているらしい。

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古梅

2012年02月16日 | Weblog

 玄関の梅の木に、今年は蕾が見えない。ここに越して来てからだから、十数年は経つ。古木とは云い難く、この数年梅の実を生らしたからか?向かって右が白梅で、左が紅梅である。その紅梅が、何時しか白梅と紅梅に分かれ、上下で異なって咲き出した。

 今年は、枝が枯れてしまっているのが目立つ。手で触ると、ぽきぽきと折れる。どうしたことであろうか。何とも説明し難い。従って蕾もつけていない。南に鉢植えであるのは、たくさんの蕾を膨らませている。殊更に白梅が好きで求めた。

 祖母が好んだのも、白梅である。今は古里の畑に、枝の剪定もされず、花を咲かせ、実をつけている。父も母も他界した。兄たちは相続だけをすればいいと、家の手入れは愚か、田畑には振り向きもしない。命は人間だけのものではないのに。

 そういった小さな物にも、命は宿っている。況して、祖先を敬うことを怠っては、その至らなさは、己に返って来るというものなのに。祖先の大切にしていた物を、自然に還すというなら、全ての命を大切にせねば。基より感謝して神に捧げることにもなる。

 サンタさんが珈琲を送ってくれた。とてもいい香りです。ありがとうこちらでも無農薬のが買えない訳ではないのですが、何分、出不精で、人混みが苦手。そこまでは、時間も相当かかる。手数料や送料を差し引いても、信頼できるサンタさんです。

 孫の誕生日が、インフルエンザで急遽中止になった。1ヶ月遅れでしよう。と言っていたが、そこはまだ小学四年生。やはり寂しかったらしく、この土曜日にすることになった。仕事であったのを、やさしい職員が代わってくれた。

 当日、我が家に娘夫婦も集まって、孫の誕生日を祝う。献立はお決まりの、手巻き寿しだ。それに先立って、今日は菜の花寿しを作る。研修があったため、Sさんにお裾分けをした。本人曰く、親が大好きです。何を言う、だんなと子どもに食べさせてくれ!

 月と木星。木星の光度がー2.6等星です。昨年より光度が減ってきていますが、まだまだ肉眼ではっきり観えます。

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宇宙を観よう!

2012年02月15日 | Weblog

 おお!晴れた。煌く木星と金星が、糸で繋がったように、天空と中天に観えている。木星の光度は減ったというものの、肉眼ではっきりと認められる。オリオンの輝きも、シリウスやプロキオンも勇姿を魅せる。プレアデスの乙女達が、衣を翻す。

 金星が宵の明星として、西の宇宙に光る。金星はヴィーナス。美の女神とされている。手元の天文年鑑によれば、今年は金環食が観える。金星の日面通過、皆既月食もある。宇宙の移り変わりを知るということは、自然を教えてもらうことに繋がる。

 宇宙を観上げ、その様子から、作物の出来を知り、或いは、天変地異を感じる。古来、人々はそうやって、畏怖の念で暮してきた。どんなに科学が発展しようと、所詮は贖えないことである。全てを以前の生活に戻すのではないが、心の通った暮らしも好い。

 自分たちの暮らしを、田を耕すことから始めたり、土に触れることに慣れれば、自分が生かされていることに思いがいくだろう。何が大切で、必要なことか。或いは、多すぎる無駄や贅沢より、風の声を聴き、雲の様を読み、木々の話に耳を傾ける。

 龍は意外にも、其処に居て、見えないのではないだろうか?大きすぎるので、気づかないだけではないのか?私を乗せた白龍は、やさしい濡れた眼をしていた。髭で掬い上げて、耳の中に下ろしてくれた。途轍もなく巨大な生き物であった。

 人間の小賢しいやり方に、自然は時折愛想を尽かす。善も悪もなく、無慈悲な裁断が行なわれるのだ。覆されても尚、人間は立ち上がっていく。手強い神に祈りを捧げる。自然もまた、強かに時を超える。時間だけが止まったように。

 鉢植えの枇杷葉と、鉢に芽を出し、育つ南天。この南天の葉は、何故か赤い。植えた覚えはなく、小鳥がした糞から発芽したらしい。

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リンパ線のマッサージ

2012年02月14日 | Weblog

 見るからに、顔の表情が強張っている。頭が痛いらしい。何だか知らん顔もできなくて、ちょっとだけリンパ腺を触る。耳の後ろがとてもよく効く。雨上がる前や、降り始めの頃が、一番辛い。以前は薬に頼って、その都度飲んでいた。

 開業医の、風変わりなDrが、薬は飲まないのがいいです。とのっけから言い、びっくりした。其処での付き合いは、3年くらいだが、枇杷葉茶を飲み始めてから、訪ねてはいない。薬も大半残ってしまった。肩凝りは相変わらずだが、蒟蒻がある。

 帰宅して直ぐにすることは、鍋に水を張り、焜炉にかけること。その中に蒟蒻を入れて、温めるのだ。煮立ってきたら湯を捨てて、タオルや手ぬぐいに包む。枇杷葉の葉を肌に当てて、その上に包んだ蒟蒻を乗せる。熱いがじっと我慢する。

 蒟蒻が温みを失くしてきたら、取り出す。この時に、枇杷葉の葉が黒くなっている箇所がある。そこが痛みの原因のところ。何回か繰り返す内に、不思議だが緑の葉のままになってくる。あまり熱いのだと、低温火傷になるので、くれぐれもご注意願います。

 トイレも近くなりますが、腎臓の働きも、同時に快復させるのです。枇杷葉茶をたっぷり飲み、尚且つ組織細胞を活性化させます。蒟蒻の隠されたパワーです。尚ナイロン袋には、決して入れないでください。効果がありませんし危険です。

 鍋で蒟蒻が温まったら、およそ30分くらいを目処に、ゆったりしましょう。実にエコロジーナ暮らしです。誰かが傍にいてくれるなら、時間を計ってもらうも佳し。居ないのなら読書や、編み物もいいですよ。私は、これを書き込んでいます。

 蒟蒻を首に当てていると、肩凝りはなくなってすっきりです。枇杷葉がなくても構いません。あるなら一緒にします。毒素を枇杷葉が吸い取ります。葉が黒くなるのはそのためです。人間の体は、冷えたら動きが鈍くなる仕組みです。

 かと言って、夏場のエアコンは冷えすぎになるのです。この夏場のエアコンが曲者で、冬の腰痛を引き起こすのです。四季のある日本の暮らしには、それなりの工夫が大切です。でも限度を越えたやり方は、体にいい筈がありません。

 クリスマスローズの根が、膨らんできたよ。花の蕾が出てきました。今年は、幾つ咲くかしら。

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雨模様の空に・・・

2012年02月13日 | Weblog

 布団を干したかったんだが、自然の天気には逆らえない。この時期の天の恵みを感謝する。知人が来訪する。雨が寒い、よく降る。と不平を言う。作物の出来不出来は、旧暦によることを話しながら、田畑の管理も、こういった変化を生かさねば採れないのに。

 小さなことだが、作物を生かす術は、土にあることから、寒中の荒起しや、麦を植え、大豆を作るに至る過程までは思わない。日本にはその風土に合ったやり方があり、自然の中にあってこそ育んでいける方法がある。

 他人のやり方ではなく、自分の工夫によるものには、自然は応えてくれるものだ。月の満ち欠けに気をつけ、潮の満干潮や、暦を活用した方法で、独自性が加われば、作物は天に育てられる。宮城谷昌光氏の『草原の風』に、興味を覚えて読み出した。

 中国の昔も、日本の今も、およそ天が味方してくれるのは、自然を知らなければ術がない。ということか。科学がいくら進もうと、その原点は変わらない。時によく、この本に廻りあえた幸せを感謝する。旧暦の暮らしには、その負うところが大きい。

 枇杷葉は、実に様々なことに使えるが、何でも独断ではしないのがいい。必ず、その専門の人に聴き、納得してから始めよう。私は、祖母がしていたことを覚えていて、自分で試してみて、なるほどと感じ入った。

 また、知らなかったことを、書物に依って教えられたこともある。枇杷葉には、解明できない謎も多い。科学がいくら進歩しても、不思議なことは間々ある。だが然し、決して疑ってはいけない。枇杷葉の力を信じながら、工夫を重ね、研究すればいいことだ。

 宇宙に数多の星が煌くように、地上には様々な生き物が蠢く。その一握りの生き物に、治療法が合っているのかも知れず、誰も真意は知らないのかもしれない。枇杷葉を信じて使えば、その効果は大きく、自分を生かしてもくれる。

 枇杷苗を移植したら、あらっ不思議、パンジーの苗が溢れかえった。

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花芽茶の香り・・・

2012年02月12日 | Weblog

 リエさんが、花芽茶はとても香りが良くて美味しい。と教えてくれ、思いつきで採った物が、そんなに美味しいのかと試してみた。あらまっ!!咽喉をするりと滑り、胃にとてもやさしい。食欲が湧いてくるし、体の臭いが消えていくようだ。

 花芽茶は、10月下旬から膨らんでくる。それが咲き始めるのは、その1ヶ月後だが、収穫は12月になってからだ。枝先に鈴生りの花芽を指で扱ぐ。大人の片手くらいについている花芽の、上や下を扱ぎ、箱に落としていく。

 箱一杯の花芽は、1週間以内に袋に詰められ、紙袋に入れて吊るす。ナイロン袋だと腐る。その後寒中の時期を室内で乾かすか、直ぐに冷凍庫に入れる。冷凍庫には、3年前のまで入っているが、お客様があったり、気分が優れない時に、淹れて飲でいる。

 リエさんが、殊の他お気に入りで、サンタさんには珈琲のお礼に差し上げたり、りささんには花粉症の友人、知人等にあげられるべく贈る。今年も、多少は余裕があるので、何方に上げようか?と思案中です。普段の枇杷葉茶を、飲用されなければだめですが。

 昨年Aさんにも100袋上げたのだが、あっという間に飲まれてしまった。一日に数袋を入れたようで、びっくりしました。せめて1週間に1袋です。私は、2週間は使い回します。その後、一度干して再び煮出します。それから風呂です。

 花芽茶は、採れる時期が限られているし、夏には実に生ってくれる。捨てるところを上手く生かした方法ですが、枇杷葉に感謝して飲みたいものです。代金の問題ではなく、その時にしか採れないからで、1年間に15袋が妥協です。

 秋に気づいた綿。いつの間にか花が終わって、綿ができていた。今年は、先日種を買いに行った。春先に蒔くらしい。

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如月に・・・

2012年02月11日 | Weblog

 先日、Aさん家にお邪魔をした時、お裾分けを戴いた。鮩である。七輪に火を熾し、鉄球に柏の葉を乗せて、その上に鮩を置いて焼いた。塩味が何とも美味しく、辛いのだが、ご飯がいくらでも食べれた。Aさんのは、酒と塩味である。加減が絶品です。

 仕上げる過程を聴けば、気が遠くなります。然し、戴くのは遠慮せず、ほくほく顔で手を出します。こういうのは、何処のお店に行っても、食べられません。お金を出して食べるなら、銀座辺りでしょうか。究極の味は、意外な所にあるのです。

 寒中に掘ったドクダミの根を、少しばかり持って行ったお返しです。こちらとして、恐縮の至りですが、何分差し上げる物がないのです。枇杷葉も植えておられる。枇杷葉茶も飲んでくれ、枇杷葉温圧療法もしてくれています。

 蒟蒻が意外に効果を上げ、体調がいいらしい。足や膝の痛みも軽くなったらしい。とてもいいことです。殆んどの人が、蒟蒻の効果には疑問を持っている。江戸時代、冷えた体を温めることに用いられていた。その効果には、何等変わりません。

 枇杷葉も、症状により、処方をきちんと守ってすれば、効果の程が現れます。然も、副作用がありません。冬の乾燥肌、花粉症、認知症、腰痛、皸、ニキビ、肌荒れ、虫刺されや擦り傷、切り傷、捻挫、結膜炎、膀胱炎に肩こり等です。

 しつこい水虫に効果があるのが、枇杷葉エキスです。強い殺菌力があり、完治します。まあ尤も、枇杷葉茶を飲むのも必要です。体の組織細胞を、作り変える働きを援けるのです。或いは、どんな物にも攻撃するのではなく、取り込んで良い方に転じてしまうのです。

 十三夜の煌々とした明るさより、更に冴え冴えとした輝きだ。月は、何故にこれほど美しいのだろう。

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豆々しい・・・

2012年02月10日 | Weblog

 暮れに黒豆を仕損じたので、寒水を使って戻し、煮ているのが出来上がった。旨い!何回も水を替えて煮立たせ、ストーブでじっくり茹でた。1週間かかった。1昨日、味付けをして口にしたら、豆がふわっとしていて、咽喉に蕩けこむ。

 黒豆の汁は、咽喉によく、甘辛いのをスプーンで飲んだ。くふふ・・・美味しいです。イタリアに移住しているMさんは、マクロビオテックの料理研究者です。今年の年賀メールで、ひよこ豆を使っての味噌を作った由が書いてあった。

 生協のチラシに載っていたので注文した。ほんにひよこの形です。だが、これだけでは少な過ぎる。後、何袋か買ってから、味噌にしよう。それこそ鬼に笑われる。豆の威力が如何ほどの物か、色々と試してみるのも悪くない。

 がんこちゃんでも、ころ豆で鬼退治をしていた。豆は、魔力があると言うが、昔には畑の肉と云われ、健康を持続する工夫が隠されている。炒って臼で挽けば黄な粉に。一晩水に浸して鍋で茹で上げ、布で濾し苦汁を入れると、豆腐になる。

 おからになり(卯の花)、揚げになり、皮は牛の餌になった。ゴミで出すなどとんでもない。豆を外した茎は、風呂焚きの焚き付けや、暖を取る焚き付けにもなった。祖母が作ってくれる豆腐の味には、今後出遭えることはない想いがする。

 豆腐を作る祖母が、立ち上がる湯気に見え隠れする姿が、昨日のことのように浮かぶ。母も居たし、幼い頃の自分もいた。火鉢に炭がくべられ、乗せた座布団の傍で、猫のミケが丸くなっていた。寒がりの私は、ミケを押しのけ手をかざす。

 祖母の綿入れのちゃんちゃんこは、古ぼけていたが、妙に暖かかった。豆腐を作ってしまうと、祖母に返さなくてはならない。その一時が心地よかった。土間でするので足元が冷たく、靴下を履いていても、しもやけになった。

 南側の、ここ数年実が生る、長崎茂木の赤枇杷の花。この花が咲き出すと、冬が来たなぁ、と思う。

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