枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

心が通うこと・・・

2012年02月17日 | Weblog

 数十年前のことが脳裏に甦る。その人の周りを包むのは、軟らかで淡い炎だ。けれども意思は強く、たおやかではあるが、芯がしっかりと伸びている。この人独特の優しい笑顔の下には、苦しみを飲み下し、哀しみを歓びに変える覇気がある。

 いつもお蔭様で、と言い、感謝の言葉を心底云う。柳に風が纏まるように、或いは、北風に耐える梅のように、我慢でなく、当たり前と思える心根がとても佳い。自然の摂理に逆らうことなく、生きていけれることに心を砕き続ける。

 自分の未来はわからないのだが、何故かふっと視えることがある。その予感が的中する。当たるだけに嫌われる。そりゃそうです。本人にとっての不愉快な話に、ありがとうとは言えないだろう。然しながら、それが必ず当る。

 視えることは、然してどうということでもないが、その内容に依って、暗雲たる想いになったり、告げなければならない事態もある。未然に防げるからだ。それも、信じてくれなければ、何の意味も持たない。こういった力を得ている者は、数多の星の如く居ようが。

 白龍にまみえたのは、広がる田畑であった。何に導かれてか、田の畦を歩き、巨木の下に辿り着いた。それが枇杷葉だった。古里の枇杷葉は一匹の龍であったのか。未だにわからない謎だ。枇杷葉と遭わせるために、連れて行かれたのか?

 りささんに、予ねてメールしておいたドクダミを送る。鉈豆、あけび、柚子、枇杷種、枇杷葉の生葉も入れておいた。無論オムロン花芽もです。鉈豆を根気良く、疣に塗っていたら、きれいに取れますからね。鉈豆は出物・腫れ物に効くところから、疣にもそういった性質があるのでしょう。

 必要のない者には、ただの塵ですが、副作用のない薬種としては、待っていてくれる。一度に色々送ったのには、料金が同じだからです。枇杷葉だけでも、箱で送れば高くつきますから。って言うか、老婆心ですが。

 種の落ちた釣鐘草。枇杷湯の残りを遣っていたら、何故か発芽した。店頭では発芽したり、翌年に咲かないようにしているらしい。


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