昨夜からの雨神来訪に、枇杷葉が空気の中を漂っている。水遣りはしているものの、自然からとは雲泥差だ。夏の日照りに喘ぐ日、瀕死の状態へ大量の散水及ばず祈る気持ちも強く。晩秋の頃、一息吐けた想いには感謝頻りとも。
枇杷の実には少なくても1粒は種があり、多いと4粒程。これを土に埋めれば、3ヶ月後には必ず発芽してくる。野鳥が飛来しては、種は散乱するので気づけば15㎝の状態。今年も数本、あちこちに出て生命力の確実さに驚く也。
庭の徘徊時、百日紅の花が枇杷葉にかかると生葉黒ずむを鉢の移動とした。ポリゴナムの際に置き、発育を見守る予定にし繁った樹の剪定も心心算。枇杷葉は成長も早く放置していたら雄に10mは越える為、毎年しておきたい。
お茶葉にするには、何時でもできるようで味が異なります。水道水・カルキ臭と自然水には、微妙な差あるが気づく者は少ない。自然治癒力も如何なく発揮され、免疫・抗体や細胞の再生を促せ癒せる働きが大きく継続と根気も。
自らの信念定かではなく、医者や薬に依存せず委ね疑わずの心に落ち着くとも。Aさんちの水が分けて貰え、身体の不調に変化現れたこと記憶鮮明。自然からの恩恵を、一日の糧としてにも祈りと感謝歓ばしき。