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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

東京タワー

2018年11月20日 | Weblog

 ブラタモリで放送したのは、スカイツリーになる前で、これまでの大役を労っていた覚えがある。修学旅行には行かなかったが、一度だけ昇った。高さでは競えるはずもないが、眺めの素晴らしさに驚いた。サンシャインでは焦りまくり、スカイツリーときては足が震えた。何だってこれ程に高く?

 ふなっしーが欲しくて、行っては来たが、眼も眩む高さにまでしなくともいいのに。と恐怖感から言う。あれで、ゴジラが来てみろ!羽もないから飛ぶか、一撃で即死だろう。と空想してしまった。高所恐怖症に加えて、閉所も嫌いだ。墨田川も川下りが、ガラスで囲まれていて、酷くがっかりだ。

 リリーフランキー 東京タワーを読み終える。人間の価値には、正しいとか間違っているとか、良いや悪いでもない生き方もあるんだ。お母さん亡くなったんだ・・・父親の存在もまた、この時代にはこんなものかも。いい加減なようでも、食べて行ければいいという生き方に、ちょっとびっくりはした。

 昭和でさえ遠くなっているのだ。江戸時代など問題外だろうが、情緒も何もあったものではない。観光船の目的は、芸者でもなければ、飲めや唄えやでもない。歴史を紐解く拘りもあっていいのだ。上京して、何時も思うのが、金だけ取って、本題から外れたことを見せている。失望のどん底である。

 赤穂浪士が、吉良邸での討ち入りを果たし、回向院から泉岳寺まで歩いたのを、実行したい。宮部みゆきさんの文庫にあるが、相当の距離らしい。旧暦であるので、雪は降り頻っており、沿道の人々の感無量な顔には、拘わりになりたくない思いと、浪士を忠実な臣下と讃える者とであったようだ。

 当時の者にとっては、主君の仇討ちはご法度ながら、無念の想いを抱えるよりは正しかったのかも。武士の世界は甚だ分らないし、現代とは思考さえ異なっている。法律に兎角頼るこの世にも、無慈悲な判断が多くある。司法の裁きにも、機械が行う訳ではない。人情と云うべきか、心がありたい。

 庭に出て蒲団を干していると、噎せ返る程の香りに包まれる。枝の剪定を思いつき数本を伐るが、迂闊にもこれから咲くのも落とす。仕方がないから、花瓶に挿して台所に飾る。花芽は多少は大きくなったが、未だこれから咲く。天気であったり、雲が多いのだが風もなく暖かい。空っ風が吹くか。

 そろそろ我が家に慣れてきて、餌も食べるし、飼い主も判別するが、ちっぽけなすばるです。

 

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