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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

初冬の陽だまりに

2018年11月16日 | Weblog

 抜けるような空でなく、少し柔らかな光で、何だか陽だまりがうれしい天気だ。洗濯をしつつ、蒲団を干し、掃除機を掛ける。気温が上がらないので、動きはゆっくりであるが、庭の鉢に水を遣り、クリスマスローズの芽にほっとする。これからの季節に咲いてくれるのが待ち遠しいもの。 

 常識の一線には、個人の価値観が伴うが、忌引きで休んでいるのに、お礼に行きますと来るのはどうだろう。職員はてんてこ舞いの状態で、応対するには業務が滞る。いくら親が持って行け、と言ったと弁明するが、50代である。況してや介護の仕事を知らない訳でもない。業に来るか。

 業務の邪魔であり、忌引き中であるのだから、考えもなしにされても迷惑だ。加えて日持ちのする菓子でもある。珍しくも傷む物でもないのを、届けに来る理由がない。それよりも暇なら、早急に勤務に出てきてほしい。年齢と共に行動できる人になりたいものだと実感。厭きれてしまう。

 明日は、そのために人数が不足して、出勤になった。介護は人数もあるが、それだけでは回らないことも起きる。不測の事態であるが、相当に神経をすり減らすので、無理のない程度で、半日の出勤とした。介護の業務もすればいいとか、人数がいるではないかではないので、殊更に疲労。

 政府の遣り方にも、机上の論が全体を占め、でたらめのいい加減さではある。それを文面通りに遣れるなら、どうぞしてみてください。重労働に時間外で、きっと過労死に陥る。自分がしないのに、遣れるだろうとは言語道断。親の介護は人任せ、国の政治はアメリカ頼りでは日本沈没か。

 庭の枇杷葉が、そこら獣で咲き始め匂う。なんと心地よい香りだろう。天気は下り坂になっていくが、心には充満しよう。砂の器を観ながら、あんを視ながら、差別の根源は自分の中にあるのだと知る。幸せなど存在せず、人を信じることもしないで、生きなければならなかった人生にも。

 今の世にも根強い差別は、残っているのかもしれない。他人の心を視ることはできないからで、深く考え、相手を思い遣ることにも、差別はあるのかもと思える。善行が果たして良かったのか、違っていたのかは定かではないが、もし自分であれば、同じ事を行っていたかも知れないのだ。

 苗を少しづう増やして来たら、枇杷屋敷になってしまった。数年後には、花芽の咲き匂う。

 

 

 

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