枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

天気崩れて・・・

2018年11月12日 | Weblog

 同僚の父親が亡くなり、その虫の知らせに怯んだ。こういうのって、予期せぬことで起きるから、告げられないので困る。夏に、告知をされ、覚悟をしていたようだが、ここにきて気温の異常さに、身体がもたなかったらしい。娘としては、精一杯の介護をしての看取りだ。枇杷葉茶も飲まれて。

 あん DVDを観ながら、文庫に眼を通す。人間の本音が語られるのは、仙太郎自身が、素晴らしくもなく、底辺での生活者であるからだ。これは、ハンセン病と素直に向き合える。子どもの頃に、疑問に思っていた差別を、今も引きずっているわたくしも居る。長島愛生園、訪れて言葉もなく。

 朝の天気で、雨になりそうだと思っていたら、縦縞の雫が音もなく降りて来た。枇杷葉の枯れた葉が気になって、粗方を落とす。桑の枯葉も掃き、雨に濡れながら遣り終える。体調不良の原因には、ストレスが大きな要因だが、仕事を辞めても、心の切り替えが出来ないと、永遠の続きそうである。

 初生り枇杷葉の1本が、花芽を咲き終わらせている。駐車場の前部に植えてある。プランターでの栽培で、どうかなとも思えたが、陽射しを浴びて育ち、今年苞が膨らんできた。これは何年だったかな?品種に因って異なるのと、正確には記憶もしていない。交配も自然にするのか、と笑顔になる。

 蜜蜂を飼えばいいようなものだが、隣近所が煩いので止めた。自然に飛んで来るのに任せ、その年の生り具合にしようとは思う。それにしても、最初から成っている、長崎茂木は、隔年の差はあるが、次々に結実してくれる。その年の気温や雨量、手入れの加減にも縁ろうが、ありがたいことです。

 糠と塩も好いのかもしれない。他の肥料を遣らず、腐葉土は枯葉が落ちれば、そのままにしているし、珈琲の後を要れるくらいで、特には何もしない。声を掛けることはしているが、高くなり過ぎたりにも放置してきた。今年は、フェンスの外に伸びたので、その枝を伐って、中に来るようにはした。

 花芽が咲き終わったら、剪定する枝を決めている。何しろ、袋掛けが出来なくなって、脚立に上がって、バランスを崩したら、そのままになってしまう。結果的には、無理をせずに、足元の安全を保つのが好いようだ。冬が来て過ぎ、立春になり、初夏になればうれしいこと。枇杷の実がゆれる季節。

 秋から初冬にかけて、天の星の輝きも、光度を増すように観える。大気が澄んでくるからだ。

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