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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

十六夜

2014年09月10日 | Weblog

 蝉の声も遠くなり、雷もそろそろ潜む頃だが、暑さが戻って来たようにも感じる。朝夕の涼しさは、肌寒さを感じてしまう。季節の移り変わりは、人間ではできない自然の力だと、今更に思い知る。そうして、彼岸花の咲くさまに、なぜかごんきつねを想う。

 兵十が、まだ白い煙を出している、火縄銃を取り落として、「ごん、おまえだったのか・・・」と呟くあの場面が忘れられない。人間がどんなに抗っても、自然には勝てない。また、そこで生きていくことは、自然への感謝を伴う。ごんは、人間の愚かさを描く。

 山を切り崩し、宅地を建て、生活汚水を川や海へと垂れ流す。工場を樹立させ、儲けだけを優先する。人間の心を管理しながら、不必要となれば切り捨ても平気だ。政治家に胡麻を擂り、生き残るために、裏金を使う。何重もの税金を納めさせる悪循環。

 給料も、納める金額の方が大きい。細々とした暮らしの中で、これ以上の節約はできない。その中での、原発再稼動や、戦争への加担を、視えない所で操作する。おまけに企業献金を受け取るとは厭きれてしまう。節操もなければ、自覚もない政治家。

 新聞紙上を賑やかせている蚊だが、これに隠れて遣っていることのお粗末さ。正しく莫迦に等しい。ヒトスジ縞蚊には大迷惑。日本に昔から棲んでいたし、何度も刺されている。墓掃除に行けば定番で居た。其処が蚊の住処であるのだ。今更何を云う。

 野生の住処を追って、動物園に集め、自由を奪い、束縛して、人間に見せることこそ問題だ。或いは、金に任せてペットで飼い、世話に窮して放す等、生態系が壊れる以前の、愚かしい行為だ。金があれば何を遣ってもいいのか?莫迦にするでない。

 3億円の金が降って来たら、更地になる前の邸宅を買いたい。其処は自然が残り、都内ではないので静かでもある。枇杷の樹や柿の木があり、蜜柑も豊富。然し、哀しいかな。持ち駒がないのだ。其処に施設を作って、自由に出入りできるようしたい。

 お金の使途は様々だが、生きた使い方はできないものか。全盲の方の白状に当たって、逆恨みに突き飛ばす等、考えられることではない。命のある者等が、自然との共存で暮せる住居があれば、とつくづく思う。自分さえ佳ければいいのか?哀れだな。

 今年の枇杷葉の様子。架けた袋はちらほらで、何だか淋しい。既に十年は過ぎたことから、高い枝は剪定するかな。

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