百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

スカイプで電話

2011-12-21 17:10:41 | パソコン

12月21日(水) 平成17年1月1日より 2,555日目
         歩いた歩数         その距離
本日      14
,812 歩       10,368m
総計 35,642,211歩 24,949,548 m
イタリヤ・オーストリヤ・ドイツミュンヘンを経てベルリンに向かう。後 296,322 m

 明日、日中友好協会の理事会が開かれることになっているので、遅まきながら承徳市対外友好協会の肖さんにスカイプで電話を掛けた。暫くご無沙汰したので、スムースには行かなかったが、どうにか通じた。

 こちらの年賀状は今日発送した。中国の子供たちは日本に向けて年賀状を出してくれたろうか?それは日中友好育英基金の会員個人に当てて書いてくれたろうか?そんなことを確かめて理事会に報告したかったし、中国の子供たちの作品展を教育委員会と学校側が受け入れる体制になったので、その対応の進捗状態はどうかも知りたいと会話中、突然通話が切れてしまった。

 改めて、電話をかけると、新しいスカイプをダウンロードしてインストールしろという。すると、あらためてメールアドレスとパスワードを要求される。何回パスワードを入れても【間違っています】という。手持ちのパスワードを入れ尽くしても受け付けられないので諦めて、先方へはメールで”電話が中断されたことをお詫びしたが、正確な動きを伝える情報は得られないままとなってしまった。 参った!

 


妻の診断に付き添って

2011-12-20 17:48:18 | 健康

  12月20日(火)  平成17年1月1日より 2,554日目
         歩いた歩数         その距離
本日      17
,712 歩       12,398m
総計 35,627,399歩 24,939,179 m
イタリヤ・オーストリヤ・ドイツミュンヘンを経てベルリンに向かう。後 306,691 m

 妻から「涙がよく出る。不整脈がひどくなった。息が止まることがある。話をしようとしても直ぐできない。左手が冷たい。手が思うようには動かない。足のむくみが辛い。こんな症状が段々と進んできているので、病名が解らないと云って検査・検査ばかりでは困る。このままでは不安だ。信頼できる先生を紹介して貰いたい。」という話があったので、今までの検査結果を添付した紹介状を書いて貰いたいと急遽病院を訪ねた。

 予約患者ではないので、初心者扱いで「どこが悪いか・何時から悪いか・何処の病院に罹っているか・薬は飲んでいるか・手術をしたことがあるか・それは何処か・などを書いて出すよう問診票を渡されえた。それには「6ヶ月も病院に通って未だに病名が判らず検査を繰り返さればかりで病状はどんどん進行していて先行き不安だ。信頼のおける医者を紹介して欲しい」と書いて出した。

 診察の順番は一番最後となり、午後1時を回っていた。今まで担当の医師は診察はせず、今までの経過を説明して、自分のほか、整形外科と神経内科と心臓専門医に診て貰うよう提案してきた。妻はそれに同意したので、私としては不本意だったがその決定に従った。いずれ何とかしなければなるまい。


年賀状 「3」

2011-12-19 14:23:49 | パソコン

 12月19日  平成17年1月1日より 2,553日目
          歩いた歩数         その距離
本日       16
,876 歩      11,813m
総計 35,609,687歩 24,926,781 m
イタリヤ・オーストリヤ・ドイツミュンヘンを経てベルリンに向かう。後 319,089 m

今朝、ブログを見て驚いた。年賀状に挿入する適当な画像を探していて難渋する中で、曾孫の端午の節句で一家の勢揃いした写真を見つけてこれをピクチャに挿入したと思っていたところ、選りに選って【安ちゃんの一周忌】の上に入っているのを知った。下書きの中には無いものがプレビューに載っていることまで判ったので、急遽、削除しようと色々試みたが、何としても消すことが出来ずに諦めざるを得なかった。

  しかしこの画面を取り入れて年賀状を仕上げするより仕方がないので、これに年賀の挨拶文を入れて年賀状を作り上げた。午後、今までの宛名書きした年賀状にプリントした。25日までに一人ひとりに添え書きを書き込んで出来たところから郵便局に持込むつもり。これでやっと一息つくことができた。

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                       吹き矢の稽古納め

午後5時から公民館で吹き矢の稽古納めをしてその後、お別れ会をするというので出掛けたが、定刻に来た者はなく、講堂は真っ暗。諦めて帰宅しようかと迷っていると、会長がやって来た。会長は5時半から忘年会をやるというので、真剣に矢を吹いていたが、忘年会の時間に現れたのは男性のみ。女性の会計は6時近くにやってきて、宴会は7時に予約してある、という。会長と会計の打ち合わせ が不十分だったようだ。7時から始まった宴会は忘年会らしく賑やかに、来年の会員増強や近隣クラブとの交流試合などの抱負も語られた。


安ちゃんの一周忌

2011-12-17 18:47:02 | 随想

  12月18日  平成17年1月1日より 2,552日目
         歩いた歩数         その距離
本日       4
,215 歩         2,951m
総計 35,592,811歩 24,914,968 m
イタリヤ・オーストリヤ・ドイツミュンヘンを経てベルリンに向かう。後 330,902 m

 義弟安ちゃんの一周忌の法要で一年ぶりに上京した。葬儀の後、ヤボ用に振り回されて一度も東京を訪ねなかったのだ。故人のお陰で親戚の皆様方やたくさんの知人に逢うことができた。

 「お歳暮に送って貰ったりんごが美味かった。未だ食べている。」「未だ毎日歩いているかい。僕も負けぬようあるいてるよ。」「ブログを楽しみに見てるから、何でも分かる。安心してる。」なんて挨拶を受けるやら・・・

 訳のわからぬお経を読んでいた和尚に代わって、白装束の若い和尚さんが法要を営んでくれた。ハッキリとした口調で、お焼香の仕方・登壇・降壇についてまで論理正して説明されたし、佛に手向けた卒塔婆の氏名などもキチンと述べられて納得の行く法要となった。佛もさぞや満足のことだろう。此処の和尚さんも玄関に姿を見せたが、聞くところによると、チョットした手術が上手く行かず、耳が聞こえなってしまったとかで欠礼したとのこと

 お斎に席は、町内会長さんの故人のありし日の姿を偲ぶ輝かしい話があって献杯で始まったが、やがて硬さもとれた当たりから、安ちゃんから幸ちゃんの話まで出て褒め言葉や笑い話も出た。わたしもつられて立ち上がり、安ちゃんの坊っちゃん時代、青年時代、そして結婚式の話。最後に二人が造ってくれた銅板の大きな家紋が我が家の象徴として飾られている。私の宝物だ、と締め括った。

 神田の家に戻って、また町会長さんたちと飲み交わし、話が弾んで大いに呑み交わした。酔いも回って、妹夫婦が東京駅まで見送りに来てくれ、お土産まで頂戴した。その上、極上の銘酒まであって、車中飲み直したが、これがアルコール度19度あってすっかり酔った。車中、関東平野に夕日に浮かぶ黒い富士の姿が見られて好印象の一日だった。

 


年賀状 「2」

2011-12-17 17:02:39 | パソコン

  12月17日  平成17年1月1日より 2,551日目
          歩いた歩数         その距離
本日      14
,780 歩       10,346m
総計 35,588,596 歩 24,912,017 m
イタリヤ・オーストリヤ・ドイツミュンヘンを経てベルリンに向かう。後 333,853 m

 昨夜から降りだした雪は思いの外積もっていた。ウォーキングに出ると、新聞を配達する人達にあった。大雪に阻まれて難航しているようだ。歩道は人跡未踏、腰まで抜かるので車道を行く。車道は消雪パイプの水が川のように流れていている。朝早いトラックは何を急ぐか水しぶきを上げて走り去る。私は飛沫を浴びて度々立ち往生する有様。でも私はやっと年賀状に入れる写真が撮れると心弾んで歩いた。

 パソコン同好会で、生きてる証拠にしかならないような年賀状を出すようじゃダメだ、自分で撮った写真を入れてこそ年賀状が生きる、と気合を掛けてきた手前、今まで撮ってきた写真から気に入ったものを物色してきたが気に入ったものには出会わなかった。最後は、藁帽子を被った三体のお地蔵さんが雪の中で寒々と立っている姿を想像して、一日も早く雪の降る日を待っていたのだ。

 午後雪が小止みになったので、ワクワクしながら皿川堤防に出かけた。ところが大雪で三つの雪だるまが有るだけでお地蔵さんは雪の中に埋もれて居て絵にならない。ガッカリして引き返すと、中央橋の架替工事で何本もの起重機が立っていてその中で作業している人や車で活気が漲っていた。これを撮って帰ったが、これにも雪の中での活気が画面に現れず使いものにならない。もうタイムアップ。諦めて、今年撮った写真の中から探すことにした。残念至極だ。