百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

「世界の古代遺跡」を観る

2011-11-20 15:08:29 | 随想

11月20日(日) 平成17年1月1日より 2,524日目

         歩いた歩数          その距離

本日      1 5,429歩        10,800m

総計 35,191,901歩  24,634,331m

墺・伊国境ブレンナー峠を越えてミュンヘンに向かう。後44,083m

 

日曜日の朝は8時からのサンデーモーニングを見るのが楽しみで、それを見損なうと損をしたような気分になる。今日は清武会長が記者会見でボスを批判した事(違うかな?)に対しての対応を討議していたが、ボスに睨まれてはと云う思いからか、代表の記者会見を非難して、馘になったのは当然だという意見が大勢を占めたことが気に入らず、気分が悪かった。

 

 私は野球の協定には無いという盲点を突いて江川選手を強引に入団させた巨人のやり方が気にいらず、それ以来ファンでなくなったが、ボスの振る舞いや発言はごり押しに見えてならない。そんなこんなで、巨人は益々いやになった。

 

そこで、最近見えないHさんに電話して【世界の古代遺跡】のDVDが来たので観に来ないか、と誘った。彼女は東京へ行くので、ハーフコートをクリーニングに出すので、お宅へ行く心算で居た。丁度いい。片付が済んだら出掛けて行きますと快諾して呉れた。

 

第一巻はもう見たが、初めから見ることにした。【①ファラオの栄光 エジプト】は悠久のナイルの流れが見つめる古代エジプトの遺跡。エジプトを統一したナルメル、ギザにピラミッドを築いたクフ、壮大な葬祭殿を造り上げた初の女王ハトシェプト、1922年に未盗掘の墓が発見されたツタンカーメン、最も偉大な王ラムセス2世、そして神秘に包まれたクレオパトラまで、じっくりと見た。

 

彼女は大感激。これでもうエジプトには行かなくて済んだ。たとえ行ってもこれだけ細かく傍でじっくり見ることはできない。私もこのDVDを買おうとまで言って呉れた。彼女を呼んだ甲斐が有った。私も嬉しかった。

 

  

 

 

 


DVD 「世界の古代遺跡」来る

2011-11-19 17:06:33 | 随想

11月19日(土) 平成17年1月1日より 2,523日目

         歩いた歩数          その距離

本日      1 4,321歩        10,025m

総計 35,176,472歩  24,623,530m

墺・伊国境ブレンナー峠を越えてミュンヘンに向かう。後54,884m 

 

ユーキャンから始終DVD購入を誘惑する資料が送られてくる。買うまい。騙されまいと心を鬼にして踏ん張るのだが、ついつい誘惑に乗ってしまう。今回も「世界の古代遺跡」で誘惑に負けてしまった。

 

日頃から「イースター島のモアイ」や「ナスカの地上絵」が誰が何の目的で作ったのかとか、「エジプトのあの巨大なピラミッド」や「インカの天空都市マチュピチュ」はどうやって築いたのだろうか、という疑問を持って居たので、誘いに乗ってしまったのだが、今回は妻も興味を示して呉れたので大いに助かった。

 

早速梱包を開いた。上に載っていた付録の年表が目についた。広げると世界の文明を時系列に並べたカレンダーだ。エジプト文明・インダス文明・中国文明・メソポタニア文明・インカ・アテスカ・マヤと南米大陸の文明までが大きく広く描かれている中で、最下位に日本の文明度がチョコチョコと記されているではないか。縄文・弥生と永い歴史の裾にやっと飛鳥・奈良の文字が出ていた。

 

続いて、前頁写真入り120ページの「観賞ガイド」本に【ファラオの栄光=エジプト】【ローマ帝国の興亡】【神々の至宝=ギリシャ・トルコ】【東西文明の十字路=西アジア】【皇帝たちの野望=中国・インド】【祈りの造形=東南アジア】【密林のマヤ遺跡=中央アメリカ】【アンデス文明の謎=ペルー】の8本のDVDが納められたケースが出て来た。

 

今日、大阪からママの友人夫婦が子供連れでやって来て、夕方パパの車で渋温泉へ泊まりに行ったので、家は私と妻の二人。これからゆっくり【世界の古代遺跡】を観賞する予定だ。今から胸がわくわくする。

 


45歳の年

2011-11-18 21:02:27 | 自分史

11月18(金) 平成17年1月1日より 2,522日目

         歩いた歩数          その距離

本日      1 5,041歩        10,529m

総計 35,162,151歩  24,613,506

墺・伊国境ブレンナー峠を越えてミュンヘンに向かう。後64,908m 

 私の自分史の骨組み作りも昭和45年に辿り着いた。この年、私は区長になった。暮れに区の役員が大勢でやって来て来年の区長を引き受けて呉れと言うのだ。私は引っ越してきて未だ10年、名前と顔の一致しない人も多いし、区のシキタリも判らないし、神社のことも山の事も知らない。市場の仕事も陣頭指揮でないと動かない。とても無理だと断ったが、ボスのSさんが私が補佐をするから大丈夫。協力するから受けて呉れと言うので引き受けた。

 この年は大雪で、元日早々役員がやって来て、除雪の指揮を執って呉れと言う。未だ引き継ぎも済んでないと言うと、今年は貴方が区長だ。責任者だ。指令を出して欲しいと動かない。ここからこの一年が始まった。

 引継ぎで受けた箪笥から書類を出して目を通し、生存している区長経験者を呼んで酒宴を開いた。苦心談を聞き、支援もお願いした。大いに盛り上がった。

 真っ先に、前々から山林の境界で争っていたAさんとの和解をすることを山林部長に告げた。紆余曲折があったが、わたしが面識がなかったお蔭で、お盆には解決できた。また昔から区有地の返還を求めていたが、返還に応じなかったHさんも感謝状贈呈で無条件で返して呉れた。これも面識がないことが良かったようだ。返還を受けた土地は市の助成を全面的に受けて駐車場にした。

 春山で隣の畑の火を浴びて山林2反歩程が焼失した。これは顔見知りのO議員さんの仲介で円満に示談出来た。補償金は10万円也。

 何か新しい施策をと想い、区常会で「大聖寺堤」で鯉を飼うことになった。錦鯉愛好会を作り、小千谷から錦鯉を買って来て放流した。夢のある事業となったし、後には収益も挙がって区民から喜ばれた。

 市長選にSさんが出馬することになって、8月、推薦するか、しないかが問題となった。5分5分の激論で区長の意見を問われた。わたしは「地元推薦のレッテルのついているお土産がある。美味い・拙いではない。不良品ではないという印なので、わたしは区長として推薦する。応援する、しないは自由でよい。」と話した。他の候補を推す動きは表立っては無かったが、当選は出来なかった。

 市場の方は順調に成果が挙がって来た。隣の中野からの呼びかけがあって、協議してきたが、株式1対1で合併することとなり、12月「中野飯山合同青果市場」が誕生した。この後、国の市場統合の意向を受けて更に長野の「長印」と合併した。

 内金で買った家の残金は「籾がら」を何年も掛って納めて来たが、漸く全額に達したので根抵当権を解除すると言ってきた。これでやっと土地六九・七五坪の家が自分のものとなった。暮の区常会で、来年も区長をやって欲しいと要望された。多忙な一年だったが、今思い出しても楽しい四五歳だった。

 


召集令状

2011-11-17 17:54:03 | 私の青春時代

11月17(木) 平成17年1月1日より 2,521日目

         歩いた歩数          その距離

本日      1 4,594歩        10,216m

総計 35,147,110歩  24,602,977

墺・伊国境ブレンナー峠を越えてミュンヘンに向かう。後75,437m

 

  

 

先日の満蒙開拓語り部の会のデスカっションの際に発言された「私の父が役場の軍事係で召集令状に名前を書き入れる時はとても辛かったという話を聞いた」という言葉が気になって、日頃尊敬している方に行き逢ったので、「召集令状は兵事係は配るが、兵事係が自分の判断で召集令状に名前を書き込むなんてこと、あるんですかネ?」と尋ねたら、その方は「そうだったんですよ。それは極秘で兵事係しか知らないことになっていたが、実際そうだったんですヨ」と言われた。

 

私は「そんな事は絶対ありません。そんな事は許されません。」と打ち消して呉れることを期待して質問したのに、反対にそれは秘密だが、実際はそうだったんだ、と裏打ちされて益々疑念が深まるばかりだった。

 

我慢が出来なくなくなって、軍隊の後処理を引き継いだ復員省を検索すると、陸軍が第一復員省、海軍が第二復員省となったが、後に統合して内閣の復員庁となり、現在は厚労省復員局となった。いまは社会援護局になってしまった。と出ていた。

 

そこで【召集令状】を検索して見た。中々見応えのある記事や知らなかった事例が出て来てたいへん参考になったし、兵事係が赤紙に自由に召集兵を指名出来ないことも判明して、私の信念に間違いないことも確信することが出来た。

 

幾つか参考になる項目が出て来たが、【「最後の赤紙配達人」~”悲劇の召集令状”64年目の真実~】に、兵事係とは、村の人々の事を細かく把握し、戦争中には、徴兵検査の世話、召集令状や戦死公報の配達などが主な仕事だった。親友の戦死の内報に職を辞したいと村長に申し出たが許されなかったと苦しい心の裡が語られていた。

 

召集令状は聯隊司令部から地域の警察署に運ばれ、そこから役場の兵事係を経て各家庭に手渡されたので、ここでも兵事係が独断で中に対象者の名前を書くなどと云うことはあり得ない。

 

私は交通不便な山中のにまでその日の裡には届かないのではと考えて居たが、地域の警察を経由するということで納得した。

 

ただ、【戦時召集延期者】という内々の取り決めがあって、公共機関の運転手や軍需工場の熟練工や衆議院議員などは召集されなかったという。

 

戦時中に活躍した者が老いていく中で、戦後のリベラル派が自分たちの都合よい発想で夢を語って間違った事柄を吹聴される事で、真相を誤って伝えられることは断じて許せないので、これに取り組んだがこれで安心した。一件落着!

 

 

 

 

 

 

 

 


ためしてガッテン 腰痛の巻

2011-11-16 17:48:34 | 健康

11月16日(水) 平成17年1月1日より 2,520日目

         歩いた歩数          その距離

本日      1 5,302歩        10,711m

総計 35,132,516歩  24,592,761

墺・伊国境ブレンナー峠を越えてミュンヘンに向かう。後85,653m

        
                   山に雪がやってきた

 

夜、ためしてガッテンで腰痛の原因はヘルニアではない、という説に惹かれてのめり込んだ。

 

 腰痛は椎間板ヘルニアが神経を圧迫するために起こるものと信じていたので、手術さえすれば直るものと思って居たが、手術をしても直らない者やヘルニアが神経を圧迫して居ても痛みを感じない者も居ることから、腰痛の犯人はヘルニアとは限らない。その割合は85%もあるということが判ったという。

 

ならば、何が原因なのか?最近、脳に【側座核」というのがあって、痛みの信号を受けて鎮痛物質をだして痛みを和らげるのだが、慢性的にストレスを感じると、その作用が低下するために抑えきれずに激痛を感じるのだということが判った。

 側座核はまた快楽と関連する場所なので、自分の好きな食べ物や音楽などを取り入れることで、鎮痛作用が高まることもわかってきた、と例を挙げて腰痛患者の減少を見た、と。

 ストレスを減らし、快楽を増やそうと、患者の夫が子犬を与えたところ、痛みが和らぎ、楽しい生活に戻った例などを挙げたが、腰痛を劇的に改善する回復技は取材中との事で終わってしまった。いずれにしても「ためしてガッテン」を今後も注目したい。