百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

45歳の年

2011-11-18 21:02:27 | 自分史

11月18(金) 平成17年1月1日より 2,522日目

         歩いた歩数          その距離

本日      1 5,041歩        10,529m

総計 35,162,151歩  24,613,506

墺・伊国境ブレンナー峠を越えてミュンヘンに向かう。後64,908m 

 私の自分史の骨組み作りも昭和45年に辿り着いた。この年、私は区長になった。暮れに区の役員が大勢でやって来て来年の区長を引き受けて呉れと言うのだ。私は引っ越してきて未だ10年、名前と顔の一致しない人も多いし、区のシキタリも判らないし、神社のことも山の事も知らない。市場の仕事も陣頭指揮でないと動かない。とても無理だと断ったが、ボスのSさんが私が補佐をするから大丈夫。協力するから受けて呉れと言うので引き受けた。

 この年は大雪で、元日早々役員がやって来て、除雪の指揮を執って呉れと言う。未だ引き継ぎも済んでないと言うと、今年は貴方が区長だ。責任者だ。指令を出して欲しいと動かない。ここからこの一年が始まった。

 引継ぎで受けた箪笥から書類を出して目を通し、生存している区長経験者を呼んで酒宴を開いた。苦心談を聞き、支援もお願いした。大いに盛り上がった。

 真っ先に、前々から山林の境界で争っていたAさんとの和解をすることを山林部長に告げた。紆余曲折があったが、わたしが面識がなかったお蔭で、お盆には解決できた。また昔から区有地の返還を求めていたが、返還に応じなかったHさんも感謝状贈呈で無条件で返して呉れた。これも面識がないことが良かったようだ。返還を受けた土地は市の助成を全面的に受けて駐車場にした。

 春山で隣の畑の火を浴びて山林2反歩程が焼失した。これは顔見知りのO議員さんの仲介で円満に示談出来た。補償金は10万円也。

 何か新しい施策をと想い、区常会で「大聖寺堤」で鯉を飼うことになった。錦鯉愛好会を作り、小千谷から錦鯉を買って来て放流した。夢のある事業となったし、後には収益も挙がって区民から喜ばれた。

 市長選にSさんが出馬することになって、8月、推薦するか、しないかが問題となった。5分5分の激論で区長の意見を問われた。わたしは「地元推薦のレッテルのついているお土産がある。美味い・拙いではない。不良品ではないという印なので、わたしは区長として推薦する。応援する、しないは自由でよい。」と話した。他の候補を推す動きは表立っては無かったが、当選は出来なかった。

 市場の方は順調に成果が挙がって来た。隣の中野からの呼びかけがあって、協議してきたが、株式1対1で合併することとなり、12月「中野飯山合同青果市場」が誕生した。この後、国の市場統合の意向を受けて更に長野の「長印」と合併した。

 内金で買った家の残金は「籾がら」を何年も掛って納めて来たが、漸く全額に達したので根抵当権を解除すると言ってきた。これでやっと土地六九・七五坪の家が自分のものとなった。暮の区常会で、来年も区長をやって欲しいと要望された。多忙な一年だったが、今思い出しても楽しい四五歳だった。