百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

中国から母親の死を悼むメールが来た

2011-11-21 17:13:10 | 自分史

11月21日(月) 平成17年1月1日より 2,525日目

         歩いた歩数          その距離

本日      1 4,857歩        10,400m

総計 35,206,758歩  24,644,731m

墺・伊国境ブレンナー峠を越えてミュンヘンに向かう。後33,683m

 今日は第3月曜日で【26パソコン同好会】の日。寄る年波で落伍者が出て当たり前な同好会に一人の新人が入会された。何処かで見た人と思って居たが思い出せない。自己紹介で中野のS・Kさんで、老人大学の同期生で3班に居た事が判って、大歓迎。同好会の会員が早速【年賀状の作成】で入れ替わり、立ち替わり親切に教えて呉れていた。有り難い。

 午後は中国から来たメールの翻訳を中国語の堪能なOさんに頼んで置いたので、メールを開いて見た。実は承徳市外事弁の傅主任からのメールだが、私は中国語は判らないのだが、「貴方のお母さんが亡くなったと肖さんから聞いた」という意味の事が書いてあるのではないかと判断したが、若しかすると肖さんのお母さんが亡くなったことを知らせるメールであれば、肖さんにお悔やみの言葉を送らなくてはならない。迷った末Oさんに翻訳を頼んだのだ。その返事が来ていた。

 拝啓

本日肖振岭さんから貴殿のご母堂が逝去されたと聞きました。ここに深い哀悼の意を表します。 また貴殿におかれましてもお体をお大事にしてください。

ここ数年来、貴方及び日本の友人の皆様から承徳隆化へのご寄付により、多くの貧困な少年児童の学業に対する援助をいただき、同時に日中両国人民の友好のよしみを促進されましたことに対し、再度感謝申し上げます。機会がありましたら承徳への再訪をお待ち申し上げております。
 
丁重なお悔やみの言葉にすっかり感謝したが、立派な翻訳文には何時も敬意をもって見ているが、これでホッとした。 実は私の母親は今から81年前、私が5歳の時になくなったのだ。私は申し訳ないが、母の葬儀のことは記憶に無いし、親戚の古老の話では大勢の人が田舎から来たので、たいへん喜んではしゃいでいたそうだ。その後、片腕をもがれた父の苦労は想像以上に大変だったし、私達一家の貧乏生活もそこから始まったという話をブログに載せたことがある。
 
  そのブログを見た肖さんが、外事弁の傅主任に話をした。肖さんが、何時ごろ母親の亡くなったと言わなかったのか、傅主任が早合点したか判らないが、傅主任は最近私の母親が亡くなったと解釈して、直ぐにメールを送って呉れたものだと思った。遠く離れた中国の要人から私の母親の死を悼んで哀悼のメールを頂けるなんて私は感謝感激だ。
 
 日本と中国の夫々の国民感情が、些細な(実は大きな)事柄から感情的にいきり立って居るのは残念なことだ。今こそ、福田総理と胡錦濤国家主席が調印した「戦略的互恵関係」の真意を理解して、これを守って行くことが日中両国の国益を増進し、アジアの安定と世界の平和と繁栄に寄与することを認識して、お互いに心の絆を繋ぎ合い、信じあって行くこそこ大切であると確認する。