11月4日(金)晴れ 平成17年1月1日より 2,508日目
歩いた歩数 その距離
本日 1 4,809歩 10,366m
総計 34,945,525歩 24,461,868m
地中海からイタリヤ半島に上陸ローマ・フィレンツェからボローニャ経て墺・伊国境ブレンナー峠に向かう。後 33,682m
皇紀二千六百年記念式典が催され、日独伊三国同盟が結ばれて、「進め一億火の玉だ!」なんて言って張り切っていた昭和15年、私は海軍軍令部に勤務していた台君と小西六で働いていた岡田君の3人で富士登山に挑んだ。芝商2年生、15歳の時である。
その日、勤務先から新宿駅に直行、夕方の中央線で大月へ。富士吉田の浅間神社で登頂祈願の後、トラックに便乗して馬返しまで(バスではない)。ここから登頂開始。
山登りに懐中電燈が要ることなど考えても見なかったが、山道に街頭が有る筈もなく、仕方なしに灯りをつけた人達に交じって登って行った。2合目を過ぎた辺りで大勢の人達が続いて来た。下山の人達かと思いながら登って行くと行き止まりだった。みんな疲れて居て、黙々として引き返した。誰も「行止まりだ。道を間違えた。戻ろう!」と声を出す者さえ居なかった。
5合目辺りから雨になった。私は油紙を被って登ることになった。靴は登山靴など気の利いたものはなく、ズックだ。雨は次第に激しさを増し、雷さえ鳴り出した。身体は濡れる。足は濡れて滑る、寒さも身に沁みる。それでも富士山頂のご来光を夢見て黙々と登って行った。
7合目で消防の法被を着た若者に「登山禁止の知らせが出た。これ以上登るのは危険だから岩室に入れ」と指示された。地獄で仏に逢った気分で救われたと思った。岩室の中はいっぱいでごった返して居た。
それでも後から後から避難客が入って来て、終いには立膝の上にリックを載せ、その上に顎を載せてうずくまっている有様となってしまった。うつらうつらしていると、肩を叩かれた。「済みませんが泊まり賃を…」と言って手を差し出した。幾らだったか忘れたが、この時ばかりは【ガメツイなぁ】と思った。
夜が明けると、騒々しくなってごった返した中、仲間を呼び合いながら出て行った。雨は止んでいた。しかしガスで何も見えない。その中にみんな消えて行った。私達3人は頂上の【久須志神社】で登頂成功の印に金型で判を打ちこんで貰った。途中の岩室では焼印だったが、此処は金の印をハンマーで叩いて印をつけていた。寒暖計は摂氏4度だった。ご来光どころではなく、夢破れて寒さに震えながら下山した。
下山は須走りを一気に駆け降りた。5合目は天地の境、やっと晴れ上がって青々とした木々に出会いた。御殿場口に着いたときには濡れていた衣類は乾いていた。ズックには参った。須走りでは砂が入って何度も脱いだり履いたりした。第一回の富士登山は惨めだったが、「登山の装備は伊達じゃない。」ことを知ったのは大きな収穫だった。