10月20日 (土)
平成17年1月1日より 1,023 日目
歩いた歩数 その距離
本日 19,714 歩 13,800 m
総計 14,294,500 歩 10,006,150 m
北京より石家荘・邯鄲・洛陽・三門峡を経て崋山に向かう。後 43,000 m
1990年9月24日 晴れ 気温 15℃~
午前四時起床。荷造りをし、迎えを待ってホテル発は5時半。茜色に染まった北京の街を抜けると、空港への直線道路へ出る。「梁君永い間ありがとう!我が儘ばかり言って苦労掛けたネ」「イエ、先生、勉強になりました。綺麗な女と結婚してはイケナイ。早起きしないと人生の競争に負ける。ワカリマシタ!」「また来て厄介になりますヨ」「先生、手紙ください」「貴方もネ」「ハイ、・・・先生の友達が中国に来ればお世話します。」「頼みますヨ」
6時ジャスト空港着。梁君、せっせと荷物を台車に載せ、私のリックを背負って一緒に入場しようとすると、警官に制止される。航空券のない者は入ってはならないというのだ。心の準備のないまま、警官の前での別れ。後ろに人がつかえている。言葉もなく堅い握手。「先生、日本語で大丈夫か?」と不安げ。笑顔でVサイン。
さて中国へ来て初めての一人ボッチの旅。舵を失った舟のよう。アチコチ、ウロチョロしているうちに、全ての関門を通過してしまう。太極拳の人達の弁当を見て、ヤット腹の減ったのを思い出す。
それにしても荷物の検査もなく、60k以上もある荷物に何のお咎めもなく、スースーと通過したのはどうしてもヘンだ。北京空港発、929便は9:05のフライト。上海着、10:36.上海は雨降り。
此処までは全て順調だったが、乗客がどんどん降りて、機中は小生只一人となる。知らぬが仏、皆さん上海で降りるのかと不審に思っていると、「航空機は故障しています。何時直るかワカリマセン。お昼出します。」に慌ててしまう。
空港での待機中は、日中友好手を繋ぐ会の会長(故山本慈昭和尚の後任)向山登詳氏と会い、四方山話に花が咲き退屈はしなかったが、スピーカーは「929便は修理不能で断念した。北京より代行機が到着したら乗り換えてフライトする。」と。取りあえずアジア大会のテレビ観戦をする。
代行機の乗り込みは午後5:50、フライト6:05。日記を書いていると、機内に、搭乗記念のシガーレットケースとスナックが配られてきた。6:44日記のペンを置く。(飛行機の中で日記をつけてる物好きが、ほかに居るだろうか?)成田着9:28
※ 昨夜(10月19日)、邢春さんから「北京の李菲菲が男の子を産みました」と電話が入った。中国は一人っ子政策のため、誰もが男子が欲しい。孫に男子が生まれたことは何事にも代えがたい慶事だ。めでたし!めでたし!!
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