百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

石家荘地区の思い出(正定)

2007-10-11 17:51:53 | Weblog

  10月11日  (木)  ①
                            平成17年1月1日より 1,014日目
                                        歩いた歩数       その距離
                            本日         16,163歩         11,314m
                            総計   14,174,061歩    9,921,843 m
    北京より石家荘・邯鄲・洛陽・三門峡を経て崋山に向かう。127,307m

  1990年9月15日 晴れ 気温18℃~28℃

 今日は石家荘市の隣接の正定県の視察・懇談会。正定県科技の面々、自慢話ばかりするので、頭を冷やしてやろうと、「日本の食用菌の現状と中国輸出菌茸類の評価」の話をする。

        
                       正定県科技の技師連と

  昼食は出るもの、出るもの全てが甘ったるく、未熟な落花生の茹でたものが酒のつまみ、終盤には薩摩芋の焼き芋が山のように出たのには驚いた。所変われば品変わるというところか?

 

 食後、昼寝無しで出発。一休和尚の師匠の寺という臨済寺を詣で、次いで興隆寺へ。広大な敷地に幾つもの堂があり、夫々に見事な仏像が安置されていたが、一際光るのは銅の千手観音で、高さが24m、口の幅は1っもあるという立派なもの。1000年も前の作とか、奈良の大仏さまを思わせる。

 

 この隣が日中友好果樹園。友好観光果樹園ではなく、友好果樹園の記念塔が建っていたのは、せめてもの慰めだったが、りんごの苗木は植えられたばかり。日本人の技術者の宿泊施設にと建てられた事務室の場所はゴミの山、周囲は鉄条網で囲われて居て入ることも出来ず、誰も見向きもしない場所になって居る。

         

 

 驚いたことはりんご園の隣地から飛行機が飛び立っていたことだ。しかも休む間もなく、ひっきりなしに飛び立っているではないか。聞けば、近くを一周して20元の遊覧飛行という。中国経済の発展の象徴か?人民の数の多さを物語るものか?いずれにしてもたいしたもんだ。

 

 私が寄付した筈の〔竜峡小梅〕は話だけで計画も無い様子。寄付金を返して貰い、他へ転用しようと思いながら帰途に着く。ホテルに戻り、虚しさを胸に遅い昼寝をする。やがて不貞寝も飽きて風呂に入っていると、通訳の梁君が、邢春さんより正式に夕食の招待の電話が来たと言う。

 

 梁君も一緒にと誘ったが、固辞するので一人で出かけてゆく。既にご馳走は盛られて私を待っていた。百元を超える料理とか、この心尽くしには参った。百元とは邢春さんの一ヶ月の月給だ。私の家で、月給の一か月分を費やしてまでお客の一人を遇するなんて出来ることだろうか。

        

 

 家族と写真を撮った後、食事開始。といっても小生は専ら白酒。食事の時はいつも〔先生、白酒は気をつけて!〕とブレーキをかける邢春さんだが、昨夜といい、今夜といい、「どうぞ!どうぞ!」と注いでくれる。邢春さん夫婦は不味いビール、菲菲ちゃんはジュースだが、小生一人で一本を平らげてしまう。我ながら恐れ入った。申し訳ない次第。テレビのサーカスで美女が登場したのを潮時に辞去する。

 

「大きな声を出さないで!」という注意を受けながらアパートを出る。外国人を呼んで接待するなんて、あまり感心した行為でなく、近所に気兼ねしてまで招待してくれた気持ちに、酔いを殺して、心の中で感謝しながらホテルへ戻る。