百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

石家荘地区の思い出(北京へ)

2007-10-17 17:46:36 | Weblog

 10月17日  (水)  ①
                          平成17年1月1日より 1,020日目
                                        歩いた歩数      その距離
                           本日           15,364歩       10,755m
                           総計   14,248,054歩  9,973,638m
        北京より石家荘・邯鄲・洛陽・三門峡を経て崋山に向かう。後 75,512m

 1990年9月21日 晴れ 気温 15℃~26℃

 朝食を終わって部屋へ戻ると、邢春さんがニコニコしながら立っていた。20分も前から待っていてくれたと言う。「最後のお別れに来ました。会議のため、どうしても駅まで見送れないのです。申し訳ありません」と。ホテルの玄関での別れとなる。見えなくなるまで手を振ってくれる。涙が滲んで来る。拭っても拭っても後から後から溢れてくる。

 

 車中、麗麗さんが小箱を取り出し、「アナタの奥様への贈り物。足を直して、来年は一緒に来てください。一つはドイツ製、二つは中国製。効く様なら幾らでも送りますから、必ず電話ください」と。また涙が込み上げてくる。ここまで心配りをしてもらって、泣かずに居られるものがあるだろうか。列車の中まで見送ってくれた麗麗さんの手にキッス。言葉が通じないので非常手段だ。私の真意がつうじたのか「謝々!」と彼女も満足気。梁君曰く「先生は、どっちが好きですか?」と。

 

 一等車の同室に読売新聞社の上海支局長。イラクの選手の取材で河北賓館に滞在していたが急遽帰国することになった選手に接触しようとして、公安官に追い返されて来たところだという。「私も河北賓館に滞在していました」と奇遇の取り持つ縁で多いに語り合う。車中、退屈することもなく北京へ着く。

 

 北京は国の直轄市で河北省の管轄外のため、駅への出迎えもなく、重いトランクに梃子摺りながらハイヤーを頼み、河北飯店にやっと辿り着く。ホテル側は総経理から何も聞いてないと部屋にも案内しない。こんなことは中国では日常茶飯事なので、フロントのソファーで昼寝を決め込む。

 

 一時間ほども経ったろうか、ヤット918号室へ通される。今までの天国のような待遇とは大違い。総経理への親書も本人が居ないのでは効き目がない。邢春さん・麗麗さんへ無事北京到着を電話して、お土産を買いに友諠商店へ出掛ける。北京だけあって品物は豊富である。

 

 日本を離れて40日、北京に来てやっとJSVの任務から開放されて、心の重石を下ろした感じだ。

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