百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

北京で(アジア大会)

2007-10-18 17:40:21 | Weblog

10月18日  (木)  
                        平成17年1月1日より 1,021日目
                                    歩いた歩数    その距離
                        本日         15,547歩       10,883m
                        総計   14,263,601歩  9,984,521m
    北京より石家荘・邯鄲・洛陽・三門峡を経て崋山に向かう。後 64,629m

 1990年9月22日 曇り 気温 20℃~27℃

 アジア大会開幕の日。私たちはとうとうホテルの総経理に会うことが出来ず、開会式の入場券を手に入れるチャンスを失い、今日は市内観光をすることになった。タクシーの利用はアジア大会に向けられて絶望で、朝食後、地下鉄に乗り天安門へ出掛ける。お陰で、中国にも地下鉄が存在している事を確認できたし、その規模を見ることが出来た。

 

 地下鉄は、嘗ての市内を囲む城壁の下に敷設されたので市内の主要部を環状線で一周して、復興門より郊外に向かって走っている線に接続している。丁度柄杓の格好だ。

 

 安定門から乗ったが、意外に深い地下に「原爆が落ちても安全だネ」と呼びかけると、梁君は心得たりと「ソーヨ!」と返事する。全線均一料金で三角(約7円)の安さ。30分程で天安門に着く。

 

 広場にはあの惨状を思い起こさせるものは何もない。パンダがアジア大会の聖火を掲げ、鳳凰が舞い、赤・黄・桃色の花に飾られた大きな花壇が幾山も作られて“アジアの平和此処に在り!”といった印象である。

              
                      天安門前に立つ梁君 

  今日はアジア大会の影響か、人出はそれほどでないがやはり目立つのは日本人。あちらこちらから日本語の会話が聞こえてくる。また、アジア大会に総力結集という事か、公的施設は全て閉鎖されている。

        
                          戦勝記念碑

  お陰で目当ての毛沢東記念堂・故宮博物館もお休みだ。折角、三輪自転車で大金(ハイヤーより高い)を払って駆けつけたのに無駄になる。そこで午前中は王府井(ワンフーチン)をひやかし、中華料理店で昼食をとる。

             
                                            天安門前で

             
                パンダの前で(背景は人民大会堂)

 再び三輪自転車を雇い天壇公園へ。天壇は清朝の行事として、皇帝が天を祭り、五穀豊穣・天下泰平を祈念したところという。公園は広大で梁君の案内でスッカリ疲れたが、三度三輪自転車を頼み、北海公園へ。漕ぎ手の背中が汗でびっしょり、顔の汗を拭きながらの奮闘に乗っていても気が気ではない。やっと辿り着いた北海公園は4時から5時までは閉鎖と言うのでガッカリ。仕方なく歩いて紫禁城へ。

         
                         紫禁城の外堀で(梁君)

  しかし歩き疲れて四度三輪自転車を拾う。私はこんな爺さんにホテルまで漕いで行って貰うのは気の毒だ、途中で具合でも悪くしたらそれこそたいへんだ。もう少し若いのが来たら頼もうと辞退したが、梁君は訊かず「乗って!」と催促する。

  先行きを案じながら乗ったが、この爺さん、永年のキャリアーか,ファイトか汗もかかず、上り坂も空車を追い越しての力走。スッカリ感心してホテルへ着いたとき、「シンクーラ」と声掛けると、笑いながら「ハオ」と答え、梁君に「リーベンレン?」と尋ねたあたり、小生の中国語はまだまだ頼りにならぬようだ。

  部屋に戻るやいなや、テレビのスイッチを入れる。ヤッテルヤッテル。アジア大会の入場式。既に選手入場・北京市長の挨拶などは終わって、聖火を持った3人の若者によってアジア大会の火が点火されたところだった。6時半まで少数民族の鐘太鼓の競演から武術の紹介・女性のマスゲームなど盛り沢山のアトラクションが次から次へと繰り広げられ、民族の燃え盛るエネルギーを見せ付けられた。玉を咥えた巨大な龍が何頭も体をくねらせながら、サモ生きているかのように、泳ぎながら天高く舞い上がっていったのは見事だった。

          

  夕食の済んだ頃、邢春さんから電話が入った。昨夜も何回も掛けたが、十階の18号には居ないと言うので、今朝改めてホテルにアナタの部屋番号を訪ねた。そして今朝も何回も掛けた。それでも通じなかったが、やっとアナタの声が聞けた・・・。

  石家荘も学校や役所は全部半日で、家中揃ってアジア大会を見ていました。明日は東京の弟さんに「成田までの出迎えを頼みます」という。菲菲ちゃんも一緒と言うので、お別れの言葉を掛ける。「オジサン、サヨナラ!」と返ってくる。梁君と角の果物屋からハミ瓜を買って来て食べる。そのうまかったこと、邢春さんからの電話のせいかも知れない。