北の旅人

旅行や、ちょっといい話などを。そして、時には言いたいことを、ひとこと。

「1956」-14歳の心象風景<25>

2009-08-05 12:10:44 | Weblog

<作文>
                
「僕」
                         (Y・K)

僕は時々、自分ということを考えることがあります。僕は勉強ができないので、中学三年を卒業したら、しゅうしょくしなければなりまん。

僕の親は勉強が出来れば、どんなに借金しても、どんな学校にでも入れてやるといってくれます。したけど、僕は勉強ができないからだめです。

しゅうしょくしても人に何をきかれても、こたえられないとおもいます。そんなの一つや二つぐらいならいいけど、僕ならきっとたくさんあります。だから、ぼくは、いまから何でもおぼえておこうと思います。

       ☆         ☆

こう言っていた彼は、後に周辺地域にある運輸業界のリーダーとなった。久しぶりに会ったクラス会で、スピーチの際、「俺は中学しか出ていないが、運輸省(当時)に乗り込んで、東大を卒業した官僚と堂々とやりあったこともある」と、誠に頼もしい話を披露していた。

その顔は自信に満ちていた。かつて、評論家の大宅壮一氏は、「男の顔は履歴書である」(昭和40年の流行語)と言ったが、まさに彼の顔は一仕事をやり遂げてきた男の顔だった。

仲間の一人が「しかし、皆いい顔しているよな」と言っていたが、いかにもピッタリとする気がした。遠い日に、お互いが腕白小僧にして悪戯好きだったことを思うと、なお更、そう感じたのかもしれない。ちなみに、「女の顔は請求書である」と言ったのは、作家の藤本義一氏である。