北の旅人

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「1956」-14歳の心象風景<23>

2009-08-03 13:44:25 | Weblog

<作文>  

                   作文
                          (S・K)

それは1月のある日、僕は学校へ行った。すると一人の生徒が、僕のうしろのほうで「今度、国語の先生がかわったよ」と云うので、僕はその声のした方をみると、N先生が国語の本をもって教室に入ってきた。

N先生は僕達のほうをみて「先生はこんど君達と一しょに国語のべんきょうをしていくのだ」と約一時間、国語の勉強についての話でおわってしまった。先生は「君達に一つ作文を書いてきてもらいたい」というのです。

僕は今夜かこうと思って、スキーにのりました。ところが、つかれてしまって作文をかくのを、すっかりわすれてしまった。それから3日、4日たったある日、先生が「作文を出して下さい」といった。僕は、しまったとおもった。

「先生、あしたまででいいですか」ときいたら、「あすまででもよい」というので僕は、こんどはわすれないようにとノートに書いた。だが又わすれた。そうして国語の時間が終って作文をだすことになった。

先生は「出していない人は何人いるか、手を上げなさい」といったので、僕は僕だけしかいないかなと思って手を上げた。すると、ほかにも5、6人いた。先生は「だめだな」といって、又「先生のいうことを守らなければ」といった。

僕は、ちいさい声で「書いてこいばいんだ、1枚でもいいんだからな…」とすぐとんでもないことをいってしまったと思ったが、先生の耳にきこえたのであろう、先生は「そういう気持ではだめだ」と、みんなのまえで云った。僕は自分だけがせっきょうされているように思った。いや、そうなのであった。

     ☆          ☆

私も作文は苦手であったことは以前書いたが、N先生が私たちに、何とか書かせようとしてくれたおかげで、半世紀以上たった今、こうして14歳の自分に会えることができ、感謝、感謝だ。

同時に、記録を残すことの大切さも痛感している。今はデジタル時代で、映像でも音声でも手軽に記録することができるが、当時は写真か、こうしたガリ版刷りで残すかしかなかった。

中学生時代に自分は何を考えていたのか。クラス会で読み返して、「俺、こんなこと考えていたんだ」と懐かしみ、「ゆっくり読んでみたいので、コピーしてほしい」と。高齢者用にとB5版からA4版に少し拡大し、製本して送っている。

メールや電話で感想を寄せてくれるなどしていて、この文集のおかげで、クラスメートとの絆がさらに深まっている。