かつて、ザ・ブルーハーツという存在が、僕らを熱くしました。
その後のヒロト&マーシーのコンビは、ザ・ハイロウズを経て、現在も、ザ・クロマニヨンズのメンバーとして、僕らを熱し続けて下さっています。
で、ここで指摘しておきたいのは、彼等の歌詞のこと。その方法論の変遷についてです。
ボブ・ディランなんかも、とっても誤解されやすいことなのですが、ごく初期の頃の歌詞には直接的なメッセージが多く含まれていたから、そのイメージがあまりにも強く、一例としては、反体制的なレッテルを貼られやすい。
つまり、ニール・ヤングや忌野清志郎的な手法は、意思の問題として、表現者として、とっくの昔に放棄しているにもかかわらず。
(小さな事象として確実に言えることは、ヒロト&マーシーのコンビは、ザ・ブルーハーツやザ・ハイロウズの曲を、決して演奏することはない。)
そこには、言葉におけるコミュニケーションの絶望的な難しさが宿っているように思えて仕方がないのです。
ですから、例えばデモ隊のように、「戦争反対!」のようなスローガンを掲げ、拳を突き上げることを、決して、しません。
あえて誤解を招きそうな表現をすれば、わけのわからない歌詞のオンパレード。
言葉の壁を越えた何か、その先を常に求め続けているからなのか、どうなのか。
だから、その意味を、意図を、僕らは考える。考え続ける。ねぇ、翼さん。
「生きる」ザ・クロマニヨンズ
その後のヒロト&マーシーのコンビは、ザ・ハイロウズを経て、現在も、ザ・クロマニヨンズのメンバーとして、僕らを熱し続けて下さっています。
で、ここで指摘しておきたいのは、彼等の歌詞のこと。その方法論の変遷についてです。
ボブ・ディランなんかも、とっても誤解されやすいことなのですが、ごく初期の頃の歌詞には直接的なメッセージが多く含まれていたから、そのイメージがあまりにも強く、一例としては、反体制的なレッテルを貼られやすい。
つまり、ニール・ヤングや忌野清志郎的な手法は、意思の問題として、表現者として、とっくの昔に放棄しているにもかかわらず。
(小さな事象として確実に言えることは、ヒロト&マーシーのコンビは、ザ・ブルーハーツやザ・ハイロウズの曲を、決して演奏することはない。)
そこには、言葉におけるコミュニケーションの絶望的な難しさが宿っているように思えて仕方がないのです。
ですから、例えばデモ隊のように、「戦争反対!」のようなスローガンを掲げ、拳を突き上げることを、決して、しません。
あえて誤解を招きそうな表現をすれば、わけのわからない歌詞のオンパレード。
言葉の壁を越えた何か、その先を常に求め続けているからなのか、どうなのか。
だから、その意味を、意図を、僕らは考える。考え続ける。ねぇ、翼さん。
「生きる」ザ・クロマニヨンズ
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