ゼレンスキー大統領は、アメリカの国会で、真珠湾について言及しました。で、それはちょっと、と思ったわけです。言葉の選択を間違えてしまうと、無駄に敵にしてしまう可能性もあり得る。国際的にどう捉えられているかは別にして、僕は日本人なので、少なくとも当事国のこと(当時の状況)を、少しは理解しているつもり。つまり、それを言及するならば、無差別に民間人を巻き込んだ焼夷弾攻撃や、広島・長崎でしょ、みたいな。
しかしながらゼレンスキー大統領は、我が国の国会の演説においては、そんなへまを犯しませんでした。北方領土やシベリア抑留に言及して煽るようなことをせず、大人の対応をしていました。日本に対してだけでなく、自国民に対し、そして、全世界に対して、強いメッセージを送り続けています。彼はもちろんのこと、そのブレーンたちはしたたかだなぁと思っています。
僕の上司論ってのは、極めて単純な思考でして、つまり、その命令(指示)に従って自らの命を落とすような状況に陥った時に、従うか、従わないか、みたいな。預かる物(者)の大きさを考えた時に、人の命ってのはあまりにも大きくって、僕なんぞは時として放棄してしまいたくなるような時もありますけれども、そこいらを叱咤激励してくれる上司の存在ってのは、戦場であろうが介護の現場であろうが、似たような感じなのではないでしょうか。
僕は、これまでの人生を通じて、たくさんの上司に仕えてきましたが、今現在、その指示に素直に従えるような状況にあることに、幸せと感謝を感じています。そうして、僕なりの役割を痛感しつつ、少しでも貢献したいな、と、日々、精進しています。
しかしながらゼレンスキー大統領は、我が国の国会の演説においては、そんなへまを犯しませんでした。北方領土やシベリア抑留に言及して煽るようなことをせず、大人の対応をしていました。日本に対してだけでなく、自国民に対し、そして、全世界に対して、強いメッセージを送り続けています。彼はもちろんのこと、そのブレーンたちはしたたかだなぁと思っています。
僕の上司論ってのは、極めて単純な思考でして、つまり、その命令(指示)に従って自らの命を落とすような状況に陥った時に、従うか、従わないか、みたいな。預かる物(者)の大きさを考えた時に、人の命ってのはあまりにも大きくって、僕なんぞは時として放棄してしまいたくなるような時もありますけれども、そこいらを叱咤激励してくれる上司の存在ってのは、戦場であろうが介護の現場であろうが、似たような感じなのではないでしょうか。
僕は、これまでの人生を通じて、たくさんの上司に仕えてきましたが、今現在、その指示に素直に従えるような状況にあることに、幸せと感謝を感じています。そうして、僕なりの役割を痛感しつつ、少しでも貢献したいな、と、日々、精進しています。