今やモーツァルトのピアノ・ソナタ奏者として有名になった菊池陽子の
演奏会を昨年3度ほど聴きに行きました。
これは菊池氏が雑誌で述べていたことですが「モーツァルトの曲は、
テクニック的にすごく難しいんです。譜面をなぞっているだけならば
簡単ですが、1つのパッセージを語りかけるように弾きたい時に、
どういう風に弾いたらいいのか。それにはすごくテクニックが必要なんです。
だからモーツァルトを弾くのは怖いですね。」と。
つまり、モーツァルトの表現しようとすることを解釈し咀嚼し、それを
音でどう表現、または再現することは技術的にかなり難しいということ
なのでしょうか? それに、自分の想像力や人間性を投影させて
演奏した場合、自分の中が、つまり精神もピアノ演奏技術もさらけ出されて
しまうので、怖ろしいし不安もあるということなのでしょうか!?
技術面はプロにお任せするとして、例えば、菊池氏が演奏した
ピアノ・ソナタ17番は変ロ長調ですが、第2楽章などは、哀愁がすごく
漂います。彼女は、ここをすごく丁寧に弾くので好感度バツグンです。
淡々と弾いているように感じますが、実は、情感を込めているので、指のタッチ
ひとつひとつが心に響いてくるのです。
ピアノ協奏曲27番『戴冠式』もそうでしたが、気品があって、それでいて心に響く
音だから、背すじがすっと伸びます。でも、戴冠式とは違い、このソナタは、
演奏者によって随分、雰囲気や曲の表現が違ってきそうです。深いですね。
でも、これが音楽を聴いて感動できる原点だと思います。
まだまだ私には、モーツァルトが表現しようとする根源的なものはつかめません。
モーツァルトが生きた年齢によっても、それは変化しているのでしょう。
もっともっと聴き込んでみます。
演奏会を昨年3度ほど聴きに行きました。
これは菊池氏が雑誌で述べていたことですが「モーツァルトの曲は、
テクニック的にすごく難しいんです。譜面をなぞっているだけならば
簡単ですが、1つのパッセージを語りかけるように弾きたい時に、
どういう風に弾いたらいいのか。それにはすごくテクニックが必要なんです。
だからモーツァルトを弾くのは怖いですね。」と。
つまり、モーツァルトの表現しようとすることを解釈し咀嚼し、それを
音でどう表現、または再現することは技術的にかなり難しいということ
なのでしょうか? それに、自分の想像力や人間性を投影させて
演奏した場合、自分の中が、つまり精神もピアノ演奏技術もさらけ出されて
しまうので、怖ろしいし不安もあるということなのでしょうか!?
技術面はプロにお任せするとして、例えば、菊池氏が演奏した
ピアノ・ソナタ17番は変ロ長調ですが、第2楽章などは、哀愁がすごく
漂います。彼女は、ここをすごく丁寧に弾くので好感度バツグンです。
淡々と弾いているように感じますが、実は、情感を込めているので、指のタッチ
ひとつひとつが心に響いてくるのです。
ピアノ協奏曲27番『戴冠式』もそうでしたが、気品があって、それでいて心に響く
音だから、背すじがすっと伸びます。でも、戴冠式とは違い、このソナタは、
演奏者によって随分、雰囲気や曲の表現が違ってきそうです。深いですね。
でも、これが音楽を聴いて感動できる原点だと思います。
まだまだ私には、モーツァルトが表現しようとする根源的なものはつかめません。
モーツァルトが生きた年齢によっても、それは変化しているのでしょう。
もっともっと聴き込んでみます。