極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

サンセベリアと弥生文化

2009年02月22日 | 新弥生時代


床掃除 絞りおわりし雑巾にきみが咎める サンセベリア


ファイル:Sansevieria trifasciata1.jpg サンセベリア

今朝の冷え込みは厳しくそこらじゅう凍りつく。急な事態に備
え汲み置きの水は生活の知恵。そろそろ家事も分担と階段と玄
関の床の雑巾がけをすることとなった。きっちりと絞り切り、
解きほぐし乾かすのだが、その片付け方の悪さを雑巾を妻が見
咎めた。そうだ、いままでの自分は観葉植物だったんだなと思
った。サンセベリア(学名:
Sansevieria trifasciataは、リュウゼ
ツラン科チトセラン属の多年生多肉植物。和名はアツバチトセ
ラン(厚葉千歳蘭)。別名、サンスベリア、チトセラン、トラ
ノオ(トラノオラン)。園芸用の観葉植物としてよく流通して
おり、フクリンチトセラン
(覆輪千歳蘭、学名:S. trifasciata cv.
'Laurentii'
)、マルバチトセラン(丸葉千歳蘭、学名:S. trifasciata
cv.
'Hahnii')などの品種が知られている。ただし、同属の別種も
観賞用に栽培されており、類似の名で呼ばれることがあるので
注意を要するという。葉が剣状の「サンセベリア」の花言葉は
「寛容」。


サンセベリア ハイドロ

寛容tolerationとは、自分と異なる意見を持つ人々に対して、
一定の理解を示し、たとえ相手が誤っているとしても、暴力や
威嚇によってではなく、議論によって説得を行おうとする態度
である。かつてトマス・モアは、著書『ユートピア』で宗教的
寛容を、平和的な説諭による改宗
を勧め、異端に対する武力的
な抑圧を非難し、無神論
および唯物論については、彼らを公職
から遠ざけるべきこと、また宗教的な儀式
は私的に行うべきこ
とを説き、ジョン・ロック(『寛容についての書簡』)、
ヴォ
ルテール(
『哲学辞典』)と続き、可謬的な、不明な人間と宗
教(キリスト、イスラム)と政治の関係を「不確実はほとんど
人間の宿命である」(ヴォルテール)を認めた上で綱渡り的に
形態付けようとした。

と、書き綴ったところで、宗教の政治からの分離、外交から軍
事の分離の原則がここに込められていることを再確認するとと
もに、故ハンチントンも戦略の前に踏まえるべき論理思考だっ
たとそう思い返した。
■                                   
 かんぽ宿 彦根

「かんぽの宿」が問題となっているが、彦根にも立派な施設が
ある。簡保加盟周辺の人々を対象とした大家族主義的経営の象
徴だが日本人なら誰でも利用出来た。彦根千乃松原温泉は、こ
の施設の‘売り’だが長い時間の上で実現したものだ。結論を
急げば、‘社会’の視線で運営することが問われている。この
‘社会’の内容を確定(松原町、彦根市、滋賀県、国或いは多
国籍かと自問すれば答えも然り)させること。法律がなくとも
共同単位を基礎とした‘経営細胞’の運用如何ということに落
ち着く。

 彦根千乃松原温泉

大浴場、露天風呂付き家族風呂(バリアフリー対応)、単純温泉
(低張性弱アルカリ性低温泉)、神経痛、関節痛、冷え性、疲
労回復、健康推進等の効果が。源泉に加水・加温、レジオネラ
属菌等の衛生管理に努めているというが、‘伊吹の薬草’風呂
はお勧め。欲をいえば三階建てのフロアーを拡張し、プライベ
ート・タイム制のジャグジィー付き露天風呂と悪天候外の夜間
専用ジャグジィー風呂遊覧船を併行運用してみても面白いと思
う。

伊吹の里の薬草入浴剤 よもぎ入 20g*15包 伊吹の里の薬草入浴剤


弥生のなりわいと琵琶湖  『弥生のなりわいと琵琶湖』

滋賀県下の遺跡は250あるが、一番近い竹ヶ鼻廃寺遺跡(遺
跡の大規模な掘立柱建物群は、瓦を大量に含む層の上に建てら
れ、この層位から出土した瓦には、白鳳時代から8世紀中頃ま
でのものが含まれ、藤原京や平城京で用いられるものと共通し
ている。掘立柱建物群が整備される以前は、中央と密接なつな
がりある寺院が建っていたと考えられ、瓦を含む層に焼土がな
いことから、この寺院は焼失したのではなく、8世紀の後半頃
に計画的に廃され、替わって、掘立柱建物群が整備されたもの
と考えている。中心となる建物が見つかっていないため、確証
はないが、犬上川を介して東山道と琵琶湖を結ぶ地点にあるこ
とから、この遺跡は、犬上郡衙(が)か、これと密接な関係に
ある官衙であると考えている)は、奈良時代の遺跡といわれる
が、旧石器3ヵ所、縄文46ヵ所、弥生67ヵ所、古墳時代が
131ヵ所である。

 

  Edward Sylvester Morse

ところで、縄文時代とは、縄文土器が使用された時代呼称であ
ったが第に生活内容の特徴、狩猟採集経済、定住化した社会と
考えられ、「縄文」という名称は、エドワード・S・モース
Edward S.Morse 1838-1925)が1877年(明治10)大森貝塚か
ら発掘した土器を Cord Marked Pottery と報告したことに由来す
る。これに対して、
弥生時代とは北海道・沖縄を除く、日本列
島における時代区分の一つであり、縄文時代に後続し、古墳


ファイル:YoshinogariIseki.jpg

代に先行する、およそ紀元前10世紀中頃から3世紀中頃にあた
る時代の名称。水稲耕作による稲作の技術をもつ集団が、列島
外から北部九州への移住に始まり、1994年、縄文末期の岡山県
総社市の
南溝手遺跡の土器片中のプラント・オパールから、紀
元前約3500年前から陸稲(熱帯ジャポニカ)にかけ稲作されて
いたことが判明。また同県真庭市美甘姫笹原の4500年前の土器
にもプラントオパールが入っていた。水稲の温帯ジャポニカも
縄文晩期に導入され、弥生時代のはじまりが定義できない状態
にある。

 イネの花


 
佐藤洋一郎

さて、稲作のイメージを『弥生のなりわいと琵琶湖』から掴ん
でみよう。静岡大学農学部教授の佐藤洋一郎によれば、水田稲
作ではなく、縄文イネは、焼畑のような粗放な稲作で、水田で
はなかったとし、縄文時代の遺跡から出土する炭化米のDNA
分析から縄文イネが畑作に適した熱帯ジャポニカという種類が
多く、弥生時代の水田跡からも熱帯ジャポニカが多いと指摘。
弥生時代には、水田稲作という技術導入があっが、何年か稲を
耕作した後、休閑期間を設けるという“焼畑的稲作”ではない
か、イネの品種も雑多な、多様な稲作形態だったと推測する。

 長粒種のイネ

弥生時代~中世の遺跡から出る米粒の大きさは、今の品種の五
倍から六倍のバラツキがあり、一つの田圃でいろんな品種を混
ぜて栽培していた。そして、混植の根拠として災害回避挙げ、
「人口が増える、食料難になる。だからバイオテクノロジーや
遺伝子組み換えで食料増産をはかる」というのは、生物はどこ
か他の生物の遺伝子と調和をはかり、人間のご都合どおりには
いかないとして退ける。


パソナが運営する展示型農業施設「PASONA O2」 植物工場

これは一見する申し分ないように思えるが、マルサスの『人口
論』ではないが、産業革命以降の技術革新等で予想を外したよ
うに、工業産業社会の価値を農業産業に還元することで対応で
きる余地が大きいと考える。デジタル革命の「
半導体工場」の
出現が、「新石器時代」の幕開けであったことを思い返すと、
「植物工場時代」は「新弥生時代」への誘いのように私には思
える。と同時に「環境制御技術」の適用には、まだまだ隠され
た落とし穴があり、現代の‘隠し田’に相当する研究機関が、
絶対必要であることは自明のように思える。  
                           









 

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1 コメント

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로또디비 (로또디비)
2021-03-18 11:41:09
これは一見する申し分ないように思えるが、マルサスの『人口
論』ではないが、産業革命以降の技術革新等で予想を外したよ
うに、工業産業社会の価値を農業産業に還元することで対応で
きる余地が大きいと考える。デジタル革命の「半導体工場」の
出現が、「新石器時代」の幕開けであったことを思い返すと、
「植物工場時代」は「新弥生時代」への誘いのように私には思
える。と同時に「環境制御技術」の適用には、まだまだ隠され
た落とし穴があり、現代の‘隠し田’に相当する研究機関が、
絶対必要であることは自明のように思える。 로또디비
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