極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

ベゴニアの可憐な闘いのはじまり

2009年12月21日 | 贈与経済



美しき国を 無邪気に読んでいた 北のベゴニア ジョージ・ガール 




Judith Durham (The Seekers) interview - Today show, June 16 2009

シーカズのジョージ・ガールは、高校の時にヒット。
1966年出身のオーストラリアでヒットチャート1位、
英国で3位、翌年米国で2位を記録する。彦根で「
はしだのりひことジューベルツ」が演奏会で歌って
いた印象が残っている。歌詞は、無邪気なジョージ
に早く成長したきみが見たいんだと、暖かく見守り
応援するような、そんな清々しい歌詞が受けたのだ
と思っている。

  The Seekers


Hey, there Georgy, girl,
Swingin' down the street so fancy free.
Nobody you meet could ever see,
The loneliness there,
Inside you.

Hey there Georgy, girl,
why do all the boys just pass you by?

Could it be you just don't try,
Or is it the clothes you wear?

You're always window-shopping,
But never stopping to buy.

So, shed those downy feathers,
And fly, 
A little bit.

Hey, there Georgy, girl,
There´s another Georgie deep inside,
Bring out all the love you hide,
And, oh, what a change there'd be.
The world would see, a new Georgy, girl. 

Hey, there Georgy, girl,
Dreamin' of the someone you could be.
Life is a reality,
You can't always run away.

Don´t be so scared of changing,
And rearranging yourself, 

It´s time for jumping down
From the shelf, 
A little bit.

Hey, there Georgy, girl,
There´s another Georgie deep inside,
Bring out all the love you hide,
And, oh, what a change there'd be.
The world would see, a new Georgy girl.


*Hey there, Georgy, girl.
  Wake up Georgy, girl.

* refrain


                     GEORGIE GIRL
         Written by: Jim Dale & Tom Springfield
                              


マネー資本主義
ウォール街の“モンスター”
バブルは再び起きるのか


さて、本題だ。NHK放送の『マネー資本主義』を
観て性懲りなく、グローバルマネーを独占しようと
画策する勢力の動きに警告が必要だという思いに駆
られていると、なぜかジョージ・ガールの曲が聴き
たくなった。「おい、おい、それはなしだぜ!」、
いま必要なのは「ジョージ・ガール」のような心を
取り戻し、マネー、いや、マイルド・ロンダリング
し、世界の幸福に貢献するような金融商品をシーク
(探求)しろよと、マジ、思った、わ・け・だ ^^;。



【緑の資本論のご託宣とは】

それでは、英米金融資本主義の失敗から学び、わが
国として自律的な金融・財政政策を、或いはその根
子の運用原理を打ち据えることができるかと自問す
る(「思想はつまらない」が口癖の松岡正剛のイス
ラム経済に対する切り口も参考になる)。なにか手
がかりと探したら「中沢新一の『緑の資本論』」に
漂着したのであった ^^;。とはいえ、中沢新一との
出会いは「テクーネかピレーネか」の現代の半導体
技術の基礎が版画(技術かエロスか)にあったとい
う日本文化の深層を探る対談以来の出会いからの熱
心といえない読者でいたから、過去何度もこのブロ
グでとりあげているので(『白梅と政治の季節』)、
内容を読んではいないが目星がつくというものだ。
尚、以下の下線は小生。

 ムハンマド・バーキルッ・サドル 著 黒田 壽郎 訳 

話しを戻そう。中沢の主意は、イスラームとキリス
ト教。同じ一神教的世界にありながら、その経済思
想には重大な差異がある。イスラーム的貨幣論は、
「一」を意味する「タウヒード」の構造によって組
み立てられ、徹底した唯一神信仰によって利子を厳
禁するが、キリスト教的貨幣論は「三位一体説」に
もとづく増殖性を秘め、資本主義と極めて親和的で
あるとし、この両者の圧倒的な非対称が世界の現状
を理解する鍵であり、イスラームは資本主義にとっ
てその存在自体が一つの経済学批判であることを、
『資本論』の核心である価値形態論を再構築するこ
とによって炙り出すことにあり(松岡正剛『千夜千
冊』でサミュエル・ハンチントンがイスラム資本主
義と儒教資本主義は、アングロサクソン型の資本主
義やライン型の資本主義とはまったくちがっている
のだから、これらはいずれ正面衝突するだろう、と
『文明の衝突』で言ったようなことがおこる
とは、
思わない。ハンチントンがイスラム経済をちょっと
でも理解しているとも思えないと指摘)、イスラム
教の利潤否定の思想を<鏡>に、『資本論』の核心
である価値形態論を一神教的に再構築することで、
自壊する資本主義からの脱出の道を模索することに
ある。

توحيد,

「危ないなぁ」。読みもしないで引用にたよるのは
と思いつつも、前出の解説を鵜呑みする(下線は小
生)。

マルクスの「聖霊」。資本主義の社会に、多数の「
聖霊」が徘徊しているのだ。マルクスは商品に内在
する「聖霊」的な活動を、除去することのできない
ものとして、それを出発点にして、資本の分析を開
始している。それによって『資本論』の分析は成功
をおさめたのだが、資本の解明の仕事自体が、一つ
の循環論の中に入り込むことになったのも、事実で
ある。資本の解明によっても、資本主義の「外部」
に脱出していくことは不可能なのだ
。ここでイスラ
ームなら、冷静にこう言うだろう。商品に内在する
「聖霊」の働きを除去することは、人類に可能であ
る。イスラームの実験が、それを歴史的に証明して
きたではないか。タウヒードによって、貨幣から発
生する毒は消すことも可能なのだ。「聖霊」の増殖
的活動を資本の解明の基礎に据えたマルクスが、た
しかにそれによって外傷(トラウマ)を被ったこと
は本当だ。しかし、あの「三位一体」のドグマこそ
一神教の形成という人類の果たすべき「形而上学革
命」に深く突き刺さってしまった、後戻り不能な外
傷なのではないだろうか。 精神的外傷は、健忘や
抑圧をつくりだす、と精神分析学は教えている。そ
れは心的装置が処理しきれないほどの興奮量を生み
出して、主体を苦しめる。グローバル化した資本主
義が生み出す興奮量は、いまやイスラーム世界にも
深く侵入して、その世界を脅かしている
。このよう
な現代を無思考によしとしないならば、私たちは、
さらに深く商品の内部で働いている「聖霊」の活動
を観察してみなければならない。

  Saturnalia

ところで、キリスト教のクリスマスは、イスラーム
ではラマダーンで、ローマ人の農耕豊穣の祭りであ
るサトゥルヌス祭。クリスマスは「増殖」を祝う祭
りであるが、これには日本の正月行事が含まれるこ
とは論をまたない(『ランタナと大道無門』)。こ
のとき、資本主義社会では、サンタクロースに象徴
される「贈与の霊」が徘徊する。子供たちの頭上に
は、気前のよい贈与の精神にみちた「聖霊」が降り
かかってくる。メリー・クリスマスは資本主義と同
じように、クリスマスの「象徴」が増殖で「毎日が
クリスマス」こそが「資本主義の夢」で、イスラー
ムは、ラマダーンの月の断食の儀式を祝い欲望を断
つ、断食する者にアッラーの臨在が直観されるとい
うが、「贈与」は太陽神であるからには(『勿忘草
をまだ見ぬ恋人に
』)、イスラム vs. 反イスラムの
二項対立を解釈していても「大いなる外」(『ミニ
シクラメンと神性の発揮
』)には出られないが、そ
こは、中沢新一だはずさない。

スーク (市)  سوق

「スークの商人とそれを支持する消費者たちは、地
域共同体の原理に頼って資本主義に抗する別種の経
済システムを守ろうとしているのではない。イスラ
ームにあっては、その生活の倫理を、自己増殖をお
こなうものに対する一神教的批判の原理という、イ
スラーム世界共通の思考が支えている。その思考の
素粒子レベルにいたるまでの一貫性に対して与えら
れた名前がダウヒード(=Ones;全能)であり、アッ
ラーへの信仰なのである。そこには、人間の自然的
知性がつくりだしてしまう世界に対する、一つの透
徹した批判システムの作動をみることができる。
スラームとは、その存在自体が、一つの「経済学批
」なのだ
。原理としてのイスラームは、巨大な一
冊の生きた「緑の資本論」である。資本主義にとっ
ての「他者」は、この地球上にたしかに実在する。
イスラームはわれわれの世界にとってなくてはなら
ない
鏡なのだ」と括りる。

これを受けどうすればいいのか?「友愛政治経済」
理論の構築か?「鳩山イニシアティブ政策」(=贈
与経済)のより強固な推進か?徹底した現代経済学
の批判による新しい経済システムの模索か?いずれ
にしても、それらしいものはいまだ不明模索のなか
にあるようだ。ならば、それを探しに大海原に乗り
出そうか、ようそろ宜候)、と。

              



ベゴニア1.jpg

つい最近、経緯をわすれたが、ベゴニアを苗木をも
らい早速プランターに移植し簡単に根付き、なるほ
ど或意味簡単だねと感心した記憶が残っている。ベ
ゴニアといえば、いまは離れて暮らすが、二歳の孫
が家で、安部晋三の『美しき国へ』を読めないのだ
が一生懸命読み上げ、時折、頁めくりが出来ずに苛
立ちながらも読み続けている光景をみて思わず鳥肌
が立った経験を思い出し歌にする。可愛くなったん
だね、便りを楽しみにしていると。鑑賞のために栽
培されるベゴニアの多くは多年草の草花であるが、
球根性のもの、木立性のものもある。熱帯に分布す
る「ベゴニア」。花言葉は「片思い」「親切」。

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