極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

見え初めしごと白き朝かな

2018年05月25日 | デジタル革命渦論

      

                                      

『呉子』
春秋戦国時代に著されたとされる兵法書。武経七書の一つ。『孫子』と併称される兵法書。前四
世紀楚の宰相であった呉子の言を集録したものという

2.材  敵(りょうてき)
冷静に敵情を分析せよ。戦って勝てろ敵か、勝ち得ない敵か、その判断は、神にまかせてはなら
ない、頼るべきは自分の目だと呉子はいう。

戦うべきでない敵――「難なるを知って退く」
次のような敵にたいしては、占うまでもなく、戦うべきでない。

1、土地が広大で、人民は富み、かつ人口も多い敵。
2、君主が人民を愛し、その恩恵がゆきわたっている敵。
3、賞罰は明確で、その発動の仕方が時を得ている敵。
3、功績のある者が高い地位を得ており、賢者や有能な者がそれぞれ常用されているような敵。
5、兵力が多く、装備が整っている敵。
6、隣国や大国の援助がある敵。

すべて、これらの条件が敵に及ばないときは、迷うことなく戦いを避けるべきである。
絶対に勝てるという条件を見極めたうえで進み、勝てそうもないとさとったならば退却すること
である。



【下の句トレッキング:見え初めしごと白き朝かな】


白樺の本を研ぎ遠き信濃路の野尻の湖を秋風の研ぐ      与謝野晶子『草の夢』

わが前の山の間にありし雲空にかへりて秋風ぞ吹く  
 同 上 『心の遠景』

上の二首を詠み、移り住みやがて都の恋しさに心のうごく秋の夕かぜ 晶子の「秋の歌」は、ど
のような情景や事象によって
描かれているのだろうかと思いつつ読んでいると、まず気付くのは
「風」である。「風」と言えば、『古今和歌
集』の藤原敏行の「あききぬとめにはさやかに見え
ねど
も風のおとにぞおどろかれぬる」の一首がすぐ思い出されるように、「風」によって「秋」
を感じるというのは、
日本人の伝統的な感覚である。しかし、晶子の「風」が必ずしもそれだけ
ではないことに、さらに気付かされる。と、述べた上で、

晶子にとって「風」は、視覚的変化以前に季節の移り行きを先取りして私たちに感じさせるもの
というだけでは
ない。「風」はどこかから吹いてきて、また、どこかへと吹き過ぎていくものな
のである。だから、これらの晶
子の歌には、「風」が吹いてくる「どこか」への思いが濃く漂っ
ている。そうした思いは、次のような歌にも繋
がっていくものである。と、評者の糸川雅子(『
秋の水』、「特集|生誕百四十年、表現者与謝野晶子に迫る」、歌壇 2018年5月号)で評した
身近にある草木の上に「秋」を見つめようとするよりも、晶子の視線は「空」や「山」といっ
た大きなものに注がれる。大きな自然の季節の量感のなかにとっぷりと浸って
、全感覚を研ぎ澄
まして、「秋」を味わい受け止
めている姿が伝わってくる。と言い淀み、読者に、それはなにか
?と起想させ次のように歌を掲げ次のように導出する。

大空の秋の銀河の水の音すなり真珠をもてあそぶ時     『太陽と薔薇』

水の音烈しくなりて日の暮るる山のならはし秋のならはし  

秋の空冷たき水の中に立つうら悲しさを語る月かな

水の縁秋のすがたの大海に見え初めしごと白き朝かな    『心の遠景』

四十代の晶子の「秋の歌」の特徴的な素材として、「水」も挙げられるだろう。それは、具体的
なある場面の「水」が詠まれるというよりは、ある場合には滴り落ちる雫の沓であったり、ある

場介には秋の空を映すものであったりする。その「水」は、存在の原初へと読み手の意識を繋い
でいくようなものであり、あたかも作者自身の淋しい心の象徴であるかのように、「秋」の情感
のなかを滴り、流れているがそれは、自己の短命の予感と大正十二年の関東大震災などの社会的
背景と「晶子の秋」が浮彫されていると言うのであるが、『落葉の賦』(「流星の道」)の重層
を知らずの通りすがりの読み手には「秋も色々、恋も色々」とでも残像を引きながら読み過ごす
ほかない。

Wind rises and fallen leaves blow from the mountain, like the smoke that makes the earth muddy.




  

 No.3 

連載が終了した『エネルギー革命元年』を最新事業開発の考察を継続しながら、新しい事業開発
の考察として『再生医療』の事業開発を掲載していくことにする。ところで、再生医療こと、再
生医学( Regenerative medicine)とは、人体の組織が欠損した場合に体が持っている自己修復力を
上手く引き出し、その機能回復の医学分野である。

 No.3

【目 次】

・はじめに
・臨床ラッシュ 他人由来の細胞で治験へ 難病治療に広がる可能性/インタビュー 岡野栄之
(慶応義塾大学医学部長)
ロボットで脊髄損傷を治療 脳と神経のループを再構築
・パーキンソン病 インタビュー 高橋淳 京都大学iPS細胞研究所教授(神経再生学)
・3大疾病 がん 再生医療の「オプジーボ」? 免疫細胞を増強する新治療
・3大疾病 脳卒中 細胞が「薬」になって脳を刺激 慢性期脳梗塞の新治療法
・3大疾病 心筋梗塞 ヒトの「心筋」シート化 2018年度に治験開始へ
・毛髪再生 再生医療でフサフサ? 資生堂、京セラが参入
・カナダ・トロントリポート 官民の資金で成長後押し
・関連銘柄24 再生医療で広がる市場 迫る医療の「産業革命」

【ロボットで脊髄損傷を治療 脳と神経のループを再構築】
ロボットを使って身体の機能再生を目指す取り組みが始まっている。    
                 横山 渉(ジャーナリスト)
※1965年宮城県生まれ。東洋大学社会学部応用社会学科卒。産経新聞社、日刊工業新聞社を経て
キャリア情報誌の編集に携わり、その後フリーランスとなる。企業取材を得意とし、政治・経済
から環境・健康まで取材テーマは幅広い。著書に『週末1時間でできる仕事改善術』『コンサルタ
ント 独立開業ガイド』『ニッポンの暴言』。

筑波大学発のロボットベンチャー、サイバーダイン(茨城県つくば市)は、ロボットスーツを使
った脊髄損傷の機能再生を目指す治療の研究に取り組んでいる。昨年4月には慶応義塾大学と再
生医療とロボットスーツによる治療を複合した共同研究を始めることを発表した。治療に使うの
は、同社が開発したロボットスーツ「HAL(ハル)医療用下肢タイプ」(医療用HAL)。H
ALはヒトが体を動かそうとする時に脳から筋肉へと伝わる電気信号を、大ももや膝などの皮膚
表面からセンサーで読み取り、内蔵したコンピューターで信号を処理し、モーターを動かして歩
行を肋ける。作業支援用のHALはこれを応用したものだ。

世界基準を狙う

人間が体を勣かす時、脳は「勣け」という命令を脊髄を通じて筋肉に伝える。筋肉が神経系から
の命令を受けて勣くと、「勣いた」という情報が脊髄を通じて脳に戻る。いわば神経の信号が脳
と身体の間をルレブすることで、適正な状態を維持している。しかし、いったん疾患によってそ
の信号のやり取りが途切れてしまうと、このループが機能しなくなる。HALは、脳からの信号
を検出しながら、実際に身体を勣かすことで、脳と身体の神経伝達のループの再構成を促す。サ
イバーダインの山海嘉之社長は「脳神経系の機能改善・機能再生を行う「サイバニクス治療』が
誕生し、世界の標準治療になるだろう」と話す。

脊髄損傷の治療では、HAL単独での治療技術を研究するとともに、細胞移植と組み合わせた複
合治療の研究も進めている。移植により損傷部分に神経細胞を増やすと同時に、HALによる治
療を行うことで、神経同士のシナプス結合の強化を促進できると考えられている。iPS細胞(
人工多能性幹細胞)とHALは治療方法と効果の評価法の両方で世界的基準を狙うことができる」
(山海社長)という。

医療用HALは、すでに欧州を中心に海外で利用が進んでおり、2013年にはEUで医療機器
として認証された。ドイツでは脊髄損傷患者などへの治療に対して公的労災保険の適用も受けて
おり、すでに約5000件の臨床データを集めている。国内でも筋ジストロフィーや筋萎縮性側
索硬化症(ALS)などの治療で厚生労働省から医療機器として製造・販売の承認を受けており
昨年から公的医療保険を使ったHALの治療が始まっている。



パーキンソン病
インタビュー「2018年中に治験へ 他人のiPS細胞を移植」
高橋淳京都大学iPS細胞研究所教授(神経再生学)



パーキンソン病で、他人のiPS細胞を利用した臨床試験が2018年にも実施される。京都大
学iPS細胞研究所の高橋淳教授に聞いた。(聞き手=渡辺勉・医療ジャーナリスト)

――臨床試験はいつ始まるのか。
2018年中の実施を目標とし、現在、最終的な有効性、安全性のデータを集めているところだ。
臨床試験がうまくいけば、大日本住友製薬が細胞製剤として開発を進めることになっている。

――患者の期待は大きい。
パーキンソン病は、運動調整の重要な機能を担う中脳にある一黒質」という部分が徐々に変性し
て、一ドーパミン」と呼ばれる神経伝達物質を作る「ドーパミン神経細胞」が減ることによって
発症する。この治療は、失われたドー.パミン神経細胞を補充して薬の効き目を良くすることが
第1の目的。根治(完治)させるものではない。将来的にはドーパミン神経細胞の減少を止める
治療法と合わせて完治を目指していきたい。

――以前は自家(自分由来の細胞)移植を研究していた。他家(他人由来の細胞)移植へ変更し
たのはなぜ。
自家移植では、質と安全性を担保したドーパミン神経細胞を作製するのに1年近くかかる。費用
も膨大だ。しかし、他人に移植しても拒絶反応を起こしにくい特殊な細胞の型を持つiPS細胞
ストックを使えば、6~8週間程度ででき、費用も大幅に削減できる。

――iPs細胞を使った再生医療の発想はどこから?
欧米で1980年代末から中絶胎児の脳内のドーパミン神経細胞がたくさんある部位を取り出し
細胞をばらばらにして患者の脳に移植する約400例の臨床研究が行われた。移植後に症状改善
が見られ、20年間効果が持続したケースも報告されている。しかし、体が勝手に動くという副作
用の可能性や中絶胎児を利用するという倫理的な問題、さらに十分な細胞を築めるには複数の胎
児が必要という難しい問題もあった。その点、ES細胞(胚性幹細胞)やiPS細胞は無限に増
殖する能力かおる。特にiPS細胞は患者自身の細胞から作ることができる利点がある。2000年
には理化学研究所の故・笹井芳樹先生がマウスのES細胞からドーパミン神経細胞を分化誘導さ
せることに世界で初めて成功されており、多能性幹細胞を用いたパーキンソン病の再生医療の可
能性が見えてきた。そして、07年のヒトiPS細胞の作製成功によって、臨床応用に向けてさら
に研究が進められてきた。

課題もクリア

――iPs細胞からドーパミン神経細胞を作製する上での課題は。
基本的な問題は解決済みだ。IPS細胞を増殖させ、ドーパミン神経細胞に分化誘導するにはマ
ウスの細胞などを補助的に使う必要があったが、動物細胞に含まれる未知の感染症のリスクもあ
った。また、100%純度のドーパミン神経細胞を作りだすのが難しいという課題もあった。し
かし、これらの問題はほぼ解決でき、安全性が高く、均詞なドーパミン神経細胞が得られるよう
になった。移植後にうまく生着させることも重要なので、生着を促す物質を特定し、移植の効果
がアップすることも確かめている。

――胎児の脳の移植では副作用が問題になっていた。
胎児の脳細胞の移植ではドーパミン神経細胞以外の神経細胞も混じることによって副作用が起こ
ると考えられている。しかし、私たちのグループが作製したドーパミン神経細胞はその他の神経
細胞をほとんど含まないので、移植しても副作用の心配はないと考えられる。



パーキンソン病とは

50歳以上の人に、1000人に1~1・5人の割合で主に発病するといわれている。日本の患者
数は約16万人。「ドーパミン」と呼れる神経伝達物質を作る「ドーパミン神経細胞」が減るこ
とによって発症する。ドーパミン神経細胞が正常な場合の20~30%くらいまで減ってしまうと体
の動きが全体的に緩慢になり、体の震えや筋肉のこわばりなどの症状が喪れると言われている。
治療には薬物療法や手術療法かおるが、症状を改善するだけで、進行を抑えて完治させることは
できない。薬物療法はドーバミンの前駆体を投与、ドーバミンを補充するのが主。飲み続けなけ
ればならない上に、薬の効果を発揮させるにはドーパミン神経細胞が不可欠。病気が進行してド
ーパミン神経細胞が減り続けると薬はだんだん効きにくくなる。手術療法もあるが、脳の深部に
電極を埋め込み、電気剌激による神経回路の調節で症状を緩和するだけで、「どちらの療法も病
気を治すものではない」(高橋教授)という。

【関連情報】
H
uman iPS cell-derived dopaminergic neurons function in a primate Parkinson’s disease model
Nature volume 548, pages 592–596 (31 August 2017), doi:10.1038/nature23664 
特開2018-068302  幹細胞培養のためのマイクロキャリア  C12M1/00@A  C12M3/00@A
◉特開2018-048144  ヒトRPE細胞医薬品およびその使用  A61K35/36  C12N5/077  A61P27/02  
◉特開2018-029604  パーキンソン病を治療するためのドーパミン作動性ニューロンおよび増殖能のある
前駆細胞  G01N33/50@Z  G01N33/15@Z  
◉特開2018-023401  多能性幹細胞の調製方法 株式会社大塚製薬工場 C12N5/074  C12N1/16@F 
◉再表2015/041219  幹細胞の増殖と分化の光遺伝学的制御方法 国立大学法人京都大学 C12N5/10
 C12N15/00@A  C07K19/00  
◉特開2015-047140  移植後の生着能を有する神経細胞と固体3次元マトリックスとの複合体 A61L27/
00@Z
  C12N5/00,202@S  C12N11/04 

◉ 再表2015/034012  新規ドーパミン産生神経前駆細胞の誘導方法 C12N5/0797 A61K35/30  A6
1P25/16  
◉特表2014-523734  新規ドーパミン産生神経前駆細胞マーカー A61K35/12 A61K35/30 A61P25/16
◉特表2013-520960  iPS細胞由来の神経細胞を用いた蛋白質ミスフォールディング病の診断方法

                                      この項つづく



昨年末、ヘルスケアベンチャーのハルメク・ベンチャーズ株式会社が、自宅で微量の血液と尿を
採取し郵送することで、「がん」や「糖尿病などの生活習慣病」のリスクチェックができる、日
本初の郵送検査キット「おうちでドック」を、2017年11月1日(水)を発売開始した。❶がん検診
を「2年以内に受診した」者の割合は52.6%と、検診受診率が低い。❷受けない理由は「受ける
時間がない(30.6%)」「費用が負担(15.9%)」など。❸がんの5年生存率に目を移すと、ステー
ジⅠで発見・対策ができれば、生存率は9割を超える。❹また、受診者と未受診者とで年間医療費
を比較すると、40万円も差異が発生する。❺訪日客は2020年に4,000万人を突破しているが、注目
の医療ツーリズムは高額で伸び悩んでいる。これを一挙に解決検査キット及び検査システムを販
売・事業を提案、開始する。



【関連特許技術】

❏ 特開2018-059756  血漿分離装置及び血漿分離方法

【概要】

1滴の血液から病患部の状態を検知できれば大幅なコストを必要とせず迅速に測定できればとい
う夢が実現できることになる。このメリットは大きい。実はわたしも1990年代にその事業調
査の体験――このブログでもその具体例を記載している――を想い起こした。上術の検査の肝は
少量の血液から血漿分離にあると言っても過言でない。またこの操作は短時間で処理しなければ
ならない。そういう諸々のことが実現可能になったといこともまたしかりである。面白い。


下図のように、遠心分離装置や吸引・加圧ポンプ等を用いる必要がなく、どのような場所でも、
微量でも、確実に、安価に、かつ速やかに、血液から血漿成分を分離することが可能な、血漿(
または血清)分離装置、及び、血漿(または血清)分離方法――
血液分離用部材を有する血液分
離部と、血漿回収部材を有する血漿回収部とを含有する血漿分離装置であって、血液分離用部材
は、疎水性の台座に載置され、かつ、血液受け入れ領域と血漿回収部に連なる血漿分離領域とを
有し、血漿分離領域は血漿回収部に向けて断面積が減少している。ここで、「血漿」とは、「血
漿または血清」を意味する――することが可能な、血漿(または血清)分離装置、及び、血漿(
または血清)分離方法の提供。


【符号の説明】1  血漿分離装置  2  コア部 3  血液分離部 31  血液分離用部材 32
分離部台座(疎水性表面) 33  血液溜め部(血液リザーバ)4  血漿回収部  41a  血漿回
収用部材  41b  血漿回収用部材  42  端部  43  接着部材  44  血漿回収エリア  45 
開口(排気口)  46  回収部流路 5  ハウジング 6  血液注入部  61  血液注入口  62 
血液溜め部(血液リザーバ形成(誘導)部)  63  血液展開観測窓7  回収ボディ部   71 
血漿展開観測窓  72  開口10  血漿分離装置 20  コア部 30  血液分離部   301 
血液分離用部材 302  分離部台座(疎水性表面) 303  受け部a 40  血漿回収部
40a  回収部カバー  40b  回収部ボディ 401  血漿回収用部材 402  端部  403 
受け部b  404  血漿回収エリア 50  ハウジング  501  ハウジングカバー  502 
ハウジングベース  60  血液注入部  601  血液注入口  602  血液溜め部(血液リザー
バ形成(誘導)部)  603  血液展開観測窓 70  回収ボディ部 701  血漿展開観測窓
702  開口 80  分離用支持部 90  付属部


  

 

【ゼロ燃料電池型電動二輪車完全変身】



● 胸が張り裂ける日々

5月21日、吉野の従兄弟の桐井栄(旧姓:中森)の送別式に出席する。壮絶な闘病の末前日の
早朝他界。宮崎の延岡市で網元の四人兄弟の三男として生まれ彼だけが宮大工をめざし大阪で仕
事をしていたが、やがて、吉野杉の美しさに魅了され桐井家の養子となり仕事してきた。昨年4
月にお邪魔させていただいたのと今年1月末にお見舞いが最後となった。一度、彼の家に泊まり
込み、酒盛りの愉快なひととき過ごし心を通わせた思い出が去来する。その時に彼の弟と二人(
十八歳と十六歳)大阪の万国博覧会の太陽の塔(点検梯子)を登り塔頂を試みるという逸話(当
然、警備員に阻止された)を聞かされている。もっと、話したかったという悔いが残る。義妹の
死別と供養もあり、今週は胸が張り裂け涙を堪えるのがやっとという日が続いた。行年六十七。

                                        合掌

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