2017年6月13日、九州電力玄海原発の再稼働差し止めを求めた住民訴訟で、佐賀地裁は原子炉施設の安全性に欠けるところは認められないとして、仮処分の申し立てを却下した。
高浜原発でも、川内原発でも、伊方原発でもほぼ同じ流れになっている。再稼働差し止めを求める訴訟は次々と退けられ、福島第一原発の事故以降沸き起こった脱原発の機運はすぼまり続け、全国至る所で原発が稼働する、事故以前と変わらぬ光景が取り戻されようとしている。
3月31日には浪江町、飯舘村、川俣町で、翌1日には富岡町で帰還困難区域を除いて避難指示が解除されたが、これにも欺瞞を感じずにはいられない。素人考えと言われればそれまでだが、僅か6年で放射能の危険性が弱まるとは思えない。
平たく言えば、「福島、並びに東日本は安全であるとアピールしたい政府」が、「一日も早く帰郷したい避難民」の願望に付け込んでいるようにしか見えないのだ。つまり、政府にとっての最優先事項は、外国人観光客の減少の食い止めと、2020年の東京五輪をつつがなく開催するための下地作りだということ。要するに「金目」が何よりも大事ということであり、避難民のことなど2の次3の次・・・いや、それどころかむしろ、できるだけ見て見ぬフリをし、切り捨てられるは「自己責任」の名のもとに切り捨てたい、目障りで厄介な存在くらいにしか考えていないのではないだろうか。
ついでに言えば、これは「風評被害」の問題とも繋がってくる。もともと風評被害というのは、「事実に反するネガティブな情報による損益」、もしくは「事実に即してはいるものの、過剰な伝達によって、必要以上にネガティブさが強調された情報による損益」といった意味であったはずだ。しかし今となっては、ネガティブな情報はすべて風評被害と呼ばれるようになり、相手が被災等の困窮した立場にある場合、一切のネガティブ情報の発信を行うべきではないという意味合いでこの語が用いられるようになっている。
東日本大震災に関しては、主に福島産の農作物の放射能汚染問題において語られる。被災者を支援したいという気持ちはよくわかる。だが、風評被害を無くそうとする取り組みは、農作物の放射能汚染への言及を認めようとしない、ということであり、それが安全であるか否かに関わりなく、とにかく「福島の野菜を買うべき」という主張になるだろう。
小生は、被災者の復興支援と、福島産の農作物を避けることは、矛盾しないと思う。
風評被害に対する批判が、善意で行われていることは間違いないだろう。しかしそれは、長期的に見れば甲状腺癌の増加に加担することになってしまうかもしれないのだ。放射能と甲状腺癌の因果関係は、明確にはわかっていない。長年かけて影響が出てくる事例がほとんどなので、放射線をどれだけ取り込めば癌になるかを、数値で明らかにすることができない。もちろんその影響には個人差がある。だからこそ簡単に風評被害批判ができてしまうわけだが、身の安全のために放射能を少しでも避けたいと考えている人に、福島の農作物の摂取を強要することは倫理的に許されないし、本当の意味での被災者支援にも反すると思う。
そして、福島の農作物の放射能汚染に関する言論を抑え込もうとすることは、無自覚的に「福島、並びに東日本は安全であるとアピールしたい政府」の片棒を担ぐことになってしまうのだ。
風評被害という言葉の使用に、もっと慎重にならなくてはならない。風評被害を過度に恐れていては、放射能汚染などの情報開示に及び腰になってしまう。それはつまり、被災者のためを思ってしたことが、巡り巡って逆に被災者を苦しめることになるかもしれない、ということである。真に被災者、並びに東日本の人々の安寧を願うのであれば、開示すべき情報は適切に開示されなければならない。
「やむを得ない風評被害」、もしくは「必要悪としての風評被害」もあるのだ。誤った情報に基づく風評被害は正されねばならないが、やむを得ない風評被害に対しては、無くそうとするのではなく、社会保障などによる補填で応じるべきだろう。
話を戻す。
東日本大震災を経てもなお、日本社会は原発依存から脱却できずにいる。何故だろう。
原子力産業が、もはやそれ抜きではやっていけないほど国内経済のうちの大きな比重を占めているからだろうか。原子力行政における利害関係、つまり原子力村の人的構造が、日本社会に骨絡みになっており、剔抉するのが困難であるからだろうか。あるいは、官民挙げての脱原発への取り組みは、理論上は不可能ではないものの、日本社会特有の「空気の支配」が、その実現を妨げているからだろうか。
どれも一理あると思う。しかし、これらの指摘は、福島第一原発の事故からこっち、数多くの論者によって言及されてきたことである。それこそ、耳にタコができるほど聞かされてきた。
ならば、それを踏まえてこう問わなければならない。「原発をめぐる問題点は百出し、その解決策も多数提示されているにもかかわらず、なおも日本社会が脱原発へと舵を切れないのは何故なのか」。
小生の仮説は次の通り。「経済でも、利害関係でも、空気の支配でもない、あまり意識されることのない問題点があり、それこそが脱原発を阻む大きな要因となっているのではないか」。
以下にその理路を述べる。
(②に続く)
高浜原発でも、川内原発でも、伊方原発でもほぼ同じ流れになっている。再稼働差し止めを求める訴訟は次々と退けられ、福島第一原発の事故以降沸き起こった脱原発の機運はすぼまり続け、全国至る所で原発が稼働する、事故以前と変わらぬ光景が取り戻されようとしている。
3月31日には浪江町、飯舘村、川俣町で、翌1日には富岡町で帰還困難区域を除いて避難指示が解除されたが、これにも欺瞞を感じずにはいられない。素人考えと言われればそれまでだが、僅か6年で放射能の危険性が弱まるとは思えない。
平たく言えば、「福島、並びに東日本は安全であるとアピールしたい政府」が、「一日も早く帰郷したい避難民」の願望に付け込んでいるようにしか見えないのだ。つまり、政府にとっての最優先事項は、外国人観光客の減少の食い止めと、2020年の東京五輪をつつがなく開催するための下地作りだということ。要するに「金目」が何よりも大事ということであり、避難民のことなど2の次3の次・・・いや、それどころかむしろ、できるだけ見て見ぬフリをし、切り捨てられるは「自己責任」の名のもとに切り捨てたい、目障りで厄介な存在くらいにしか考えていないのではないだろうか。
ついでに言えば、これは「風評被害」の問題とも繋がってくる。もともと風評被害というのは、「事実に反するネガティブな情報による損益」、もしくは「事実に即してはいるものの、過剰な伝達によって、必要以上にネガティブさが強調された情報による損益」といった意味であったはずだ。しかし今となっては、ネガティブな情報はすべて風評被害と呼ばれるようになり、相手が被災等の困窮した立場にある場合、一切のネガティブ情報の発信を行うべきではないという意味合いでこの語が用いられるようになっている。
東日本大震災に関しては、主に福島産の農作物の放射能汚染問題において語られる。被災者を支援したいという気持ちはよくわかる。だが、風評被害を無くそうとする取り組みは、農作物の放射能汚染への言及を認めようとしない、ということであり、それが安全であるか否かに関わりなく、とにかく「福島の野菜を買うべき」という主張になるだろう。
小生は、被災者の復興支援と、福島産の農作物を避けることは、矛盾しないと思う。
風評被害に対する批判が、善意で行われていることは間違いないだろう。しかしそれは、長期的に見れば甲状腺癌の増加に加担することになってしまうかもしれないのだ。放射能と甲状腺癌の因果関係は、明確にはわかっていない。長年かけて影響が出てくる事例がほとんどなので、放射線をどれだけ取り込めば癌になるかを、数値で明らかにすることができない。もちろんその影響には個人差がある。だからこそ簡単に風評被害批判ができてしまうわけだが、身の安全のために放射能を少しでも避けたいと考えている人に、福島の農作物の摂取を強要することは倫理的に許されないし、本当の意味での被災者支援にも反すると思う。
そして、福島の農作物の放射能汚染に関する言論を抑え込もうとすることは、無自覚的に「福島、並びに東日本は安全であるとアピールしたい政府」の片棒を担ぐことになってしまうのだ。
風評被害という言葉の使用に、もっと慎重にならなくてはならない。風評被害を過度に恐れていては、放射能汚染などの情報開示に及び腰になってしまう。それはつまり、被災者のためを思ってしたことが、巡り巡って逆に被災者を苦しめることになるかもしれない、ということである。真に被災者、並びに東日本の人々の安寧を願うのであれば、開示すべき情報は適切に開示されなければならない。
「やむを得ない風評被害」、もしくは「必要悪としての風評被害」もあるのだ。誤った情報に基づく風評被害は正されねばならないが、やむを得ない風評被害に対しては、無くそうとするのではなく、社会保障などによる補填で応じるべきだろう。
話を戻す。
東日本大震災を経てもなお、日本社会は原発依存から脱却できずにいる。何故だろう。
原子力産業が、もはやそれ抜きではやっていけないほど国内経済のうちの大きな比重を占めているからだろうか。原子力行政における利害関係、つまり原子力村の人的構造が、日本社会に骨絡みになっており、剔抉するのが困難であるからだろうか。あるいは、官民挙げての脱原発への取り組みは、理論上は不可能ではないものの、日本社会特有の「空気の支配」が、その実現を妨げているからだろうか。
どれも一理あると思う。しかし、これらの指摘は、福島第一原発の事故からこっち、数多くの論者によって言及されてきたことである。それこそ、耳にタコができるほど聞かされてきた。
ならば、それを踏まえてこう問わなければならない。「原発をめぐる問題点は百出し、その解決策も多数提示されているにもかかわらず、なおも日本社会が脱原発へと舵を切れないのは何故なのか」。
小生の仮説は次の通り。「経済でも、利害関係でも、空気の支配でもない、あまり意識されることのない問題点があり、それこそが脱原発を阻む大きな要因となっているのではないか」。
以下にその理路を述べる。
(②に続く)
原発反対派は差別主義者の集まりだし。
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