徳丸無明のブログ

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キングオブコント2024 感想

2024-10-17 23:41:52 | 雑文
真夏日が連続した猛暑も緩み、すっかり短くなった秋の訪れを感じるも、日中はまだ夏を思わせる気温になることもあり、寒暖差が体にこたえてしまう今日この頃、ジャングルポケットは今後2人体制でエントリーするのかどうかが気にかかる、キングオブコントの感想をお届けします。
年々感想文の公開が遅くなってますが、今回は特に遅めになっちゃいましたね。まあオレにもいろいろあんだよ!
前回の優勝予想の記事で、「今回はお笑いの日との同日開催ではないらしい」と書きましたが、KOCの公式サイトでその発表がなかっただけで、実際は同日開催でした。すみません。
去年の「お笑いの日」では、まつもときんに君が、総出演者126人に触れ、「ホンマは127人だったんです。フジモンが来なくなっちゃったんで」と言ってましたが、なんの因果か、今年はそのきんに君が来られず。KOCの審査員は、きんに君の代わりにシソンヌのじろうが選出。きんに君が復帰したら外されるのでしょうか。そんな「じろうの行く末」が気にかかる大会となりました。

個別の評価は以下の通り。まずはファーストステージから。


ロングコートダディ・・・彼女に花束を買うため花屋に来た男。「センスがない」と言っておきながら、店員さんが作る花束に片っ端からケチをつけていく。
シンプルな構成ですよね。日常の延長というか、実際にあってもおかしくない話。東京03の飯塚が絶賛してましたが、やっぱこういうのが好きなんだなーって思いました。僕はなんか、面白さよりも、兎の小憎らしさに腹立つ感じが上回ってしまいましたし、味付け薄めが物足りなかったです。
花言葉でイヤミを伝える展開はよかったですけど、もっとあり得ない花言葉にしてもよかったかもしれません。「肉団子サラリーマン」はコンプラOK?いや、これがダメだと言いたいのではありめせん。昨今の表現の規制、ちょっと行き過ぎてると思ってますしね。「あ、これはいいんだ」と思った、ということです。
「すごくシンプルな話だなー」と思ってたら最後に劇的な展開。命を救われるも、「まだマイナスです」。そうこなくっちゃ!と思いました。
去年のカゲヤマと同様、トップバッターで高得点を叩き出し、平均得点を大きく引き上げました。

ダンビラムーチョ・・・お祭りの舞台で「富安4発太鼓」という伝統芸能(?)が披露される。それは曲中4発しか太鼓を叩かないという奇妙な芸能だった。
まずはその設定の面白さがあります。「4発しか叩かない」とあらかじめ宣言するから、ワクワクしながら見守ることになるわけです。しかしこれだと、面白いパターンって限られてきますよね。早めに4発叩いてしまうパターン、終わる直前にあわてて4発叩くパターン、フチだけ叩くパターン。あまりパターンがないから、見物客に叩かせる展開になったわけです。
かまいたちの山内が、「音響さんに強く言いそうな腕時計してる」という細部に気づいたのは鋭い。4発太鼓の起源の説明と、懐にりんご飴をしまうところ、やり方次第でもっと笑い取れるのではと思いました。
大原優一はお祭りおじさんのキャラがよく似合いますね。登場しただけで笑いが起きていました。

シティホテル3号室・・・通販番組のネタ。ゲストのタレントが唐突に、限界を超えた値下げを社長に要求する。社長はしぶしぶ値下げに応じるも、すべては台本通りだった。
たしかに、ガチと思いきやヤラセだった、というのは意表を突かれましたが、こういう手法で意表を突くというのはわりと簡単にできることです。もっとその先を観たかった、というのが正直なところ。ケンカのアクションは上手いし、タレントの好感度を犠牲に売り上げ伸ばす手口のえげつなさは笑えます。ネタ終わりのタイミングが不自然な気がしました。3品目まで観たかったです。

や団・・・工場の休憩室での従業員のやり取り。本間の財布から一万円札がなくなっていることが発覚し、犯人捜しが始まる。正義感が強すぎる伊藤は、過剰な手口で中嶋を取り調べていく。
バカバカしさの極致というか、これぞコント、これぞお笑いという、安心してみられるネタですね。大好きです。
なぜか肛門に二千円札入れてる、わけのわからなさ。パンツが色違いなのは、のちの「男はユニクロで買いがち」という指摘で説明がつきましたが、二千円札は謎のまま。「説明がつく笑い」も、「説明がつかない笑い」も、両方あっていいんですよね。要はそのバランスをどうするかで、説明がつかない笑いばかりだと、付いていけなくなっちゃったりするし、説明がつく笑いだけだと、計算しすぎで堅苦しさを感じかねない。や団のこのネタはそのバランスがいいと思いました。
ただ、肛門に入れた指でビンタされたところ、「くせえ」のひとことは言わないほうがよかったですね。あそこはセリフではなく、表情だけで伝えたほうが笑えたはずです。説明過剰、ツッコミ過剰はよくない。
テーブルに中嶋を押さえつける瞬間、審査員のじろうを映していて、大事な笑いどころを撮り逃がしてしまいました。以前もカメラのスイッチング問題に触れたことありましたけど、ネタ中は無理に審査員の笑い顔撮ろうとしなくていいんじゃないでしょうか。そのへんもっと考えてほしいです。

コットン・・・自作の人形劇で遊ぶ子供と、それを見守る、偶然その場に居合わせたおじさん。その人形劇は、子供らしからぬ恋愛ドラマだった。
このネタ持ってきたのはけっこうなバクチでしたね。コントの中で人形劇を行う、しかも西村ひとりでやるというのは、コントの意義を疑問にふしてしまいます。そうすることで、西村ひとりにしか注目がいかなくなるからです。いや、劇に入り込めば、人形だけに注意が向けられてしまう。そうなると、「コントであること」の意義がわからなくなってしまうのです。最後にきょんが劇に介入してきましたが、もっと早く、中盤に入ってきて、2人のかけ合いが行われていれば・・・。恋愛劇も、よく観ればベタなストーリーですしね。人形の動きの細かさ、細部のこだわりはよかったです。

ニッポンの社長・・・野球部のネタ。監督が新一年生の素質をチェックする。一年生は、実力はあるが極端に声が小さかった。
なんか、ドリフターズがやってたようなコントですね。容赦のない暴力でバットやベンチが叩き壊されていく。「破壊」の痛快さがビシビシ伝わってきます。終盤の畳みかけがまた気持ちいい。その破壊の気持ちよさに、思わず「何言ってんの?」って訊きたくなる、聞こえるか聞こえないかくらいの小声の面白さが並走します。
メディアから暴力がどんどん排除されつつある昨今だからこそ、ドリフの時代より笑えるようになってきているのかもしれません。一方的にやられまくるのは、ケツのキャラクターによく合っていますね。声が小さい理由が不明なのも面白い。
ヒザを痛めて「無理すな」のところ、ややウケになっちゃって残念でしたね。もっと間が違っていたら大きな笑いになってたはずです。

ファイヤーサンダー・・・「毒舌散歩」という番組(有吉の「正直さんぽ」のオマージュ?)を始めたお笑い芸人。出会った人々を毒舌でイジる、という内容。その芸人のもとに警察官が訪ねてくる。彼の毒舌は、犯罪者を見抜く隠れた力を持っていた。
いやー、やっぱ面白い。この無自覚プロファイリングとでもいうべき能力設定だけでワクワクしてきます。「君は知りすぎた」の意味合いで「君は喩えすぎた」と言うところがツボ。「警察は表の顔で、実は裏の組織の工作員」というのは、サスペンス的どんでん返しとしてはありがちなので評価できませんが、これはあくまでストーリー展開のための設定ということで。まとまりがよく、完成度の高いネタでした。個人的に今大会で一番。
あと、ネタと関係ないんですけど、こてつは銃を持ったままMC席に来るなら、浜ちゃんに「お借りしてた銃、ありがとうございました」って手渡せばひと笑い作れたんじゃないかって、余計なこと考えちゃいました。

cacao・・・部員が2人だけの野球部のネタ。グラウンドが使えないから部室で練習をしようとする。
動きが素早い、というだけで単純に面白い。「部屋練」という独自のジャンルを極めた強さというか、「室内なら最強」と思わせてくれるわけですが、本来目指していた野球とズレてしまっていることに気づいていない、憐れさからくるおかしみもあります。あと、監督も一緒に練習する中で、上下関係がなくなっていってる面白さも。これだけの動きを仕上げてくるのは大変だったでしょうけど、効果音当ててる裏方さんのほうが大変なのかもしれません。暗転が妙に長くなかったですか?
それから高橋と浦田スターク、顔そっくりなんだから、せめて髪型だけでも差別化してくれ!5年目に怒られる浜ちゃんが微笑ましい。

隣人・・・自宅でチンパンジーの太郎くんを飼っているおじいちゃん。太郎くんはパソコンの読み上げ機能も使いこなせる天才。仲良く暮らしていたが、おじいちゃんは動物園に太郎を引き取ってもらおうとする。「自分の歳を考えて、先立つ前に」と説明していたが、実は太郎の成長を恐れていた。
去年のKOCを観ていた人は、冒頭で「またチンパンジーかい!」とツッコミを入れてしまいます。1年越しの天丼?ちょっと卑怯な気がしなくもないです。
太郎が「今すぐ出ていくかんじですか」と言ったとき、細かいニュアンスを言っていくパートに入ったと思いました。しかしそうはならず、なんか肩透かし。もっと「チンパンジーがこんな言い回しすんの」って発言が聞きたかったです。あと、チンパンジーが人間らしいことをするって、それだけでもう面白いじゃないですか。だから「人間らしい」だけにとどまらず、もうひとひねりが必要だったかもしれません。

ラブレターズ・・・引きこもりの息子を見守る夫婦。息子は2年間外に出てないと思っていたが、外出の痕跡が次々見つかりだす。
悲しくて、やるせなくて、やがて面白き哀愁コント。「少年時代」はいい曲だ。どんぐりという道具立てを持ってきたのはなかなか絶妙で、個数の面白さとか、散らばる面白さなんかを演出できるわけですね。息子本人は登場しないことで、断片的な情報からいろいろ想像させる面白さもあります。父親は最初、家庭のことはほったらかしで、息子にも冷淡なように見えますが、向き合うのが怖かっただけで、本当は強い愛情があったことがわかってきます。
袋入りどんぐりをぶちまける演出、うまくいきましたね。これが失敗して変な感じになってたら、優勝はなかったかもしれません。どんぐりを回収しきれず、ファイナルステージの舞台に出てきたら面白かったのに、なんて思っちゃいました。


続きましてファイナルステージ。


ラブレターズ・・・海を見に来た女と、その女をナンパする外国人の男。女は実はジュビロ磐田の熱狂的ファンで、男は実は釣り人だった。
女は占い師に「坊主にすれば優勝できる」と言われたが、それは逆効果になってしまった。なのに、バリカンで刈るのを止めることができない。これ、ギャンブラーがいくら負けてもお金つっこみ続ける心理と似ていて、悲しくて笑えます。いつの間にか丸刈りは、呪いの儀式へと変形していた。
「なんてカオスな設定」(山内)、「わけわからない」(ロバート秋山)、「釣りの要素いるのか」(じろう)、「どこに向かって行ってるのか」(バイきんぐ小峠)、「ストーリーがもうちょっとあったほうがいい」(飯塚)など、審査員を困惑させたネタでしたが、でもお笑いなんて、そんなもんでいいんですよね。「よくわかんないけど、なんか面白かった」って。計算された完成度の高いコントを、「これでもくらえ」と吹き飛ばすようなネタでした。
少数精鋭のASH&Dから、初のKOCチャンピオン。本当におめでとう。ザ・ギースも獲ってくれー!

ロングコートダディ・・・ファンタジー設定。岩壁に封印されたウィザードという人外に死の呪いを解いてもらうため、アグリの涙という宝物を持ってきた男。宝物の置き場を間違えていたのだが、ウィザードの言葉がわからないため、正解にたどり着けない。
面白さは申し分なしです。ですがこれ、兎も少しは動くとはいえ、ピンでもできちゃう構成。これをどう評価するか。コットンもそうでしたけど、採点判断が難しかったと思います。笑いと構成、どちらに比重を置くか。「2人でやってるのにかけ合いがなかった」という点を重視するなら、どうしても点数低めになっちゃいます。単純に「面白さだけ」で評価されてたら、間違いなく優勝していたでしょう。
人間の言葉と全然違うのに、「やめて」が「ウグォケ」で、「動け」と応援しているみたいになっちゃうところが秀逸。一番よかったです。
セクシーピースは流行るのだろうか。

ファイヤーサンダー・・・甲子園出場を真剣に目指す野球部員と、それをバカにする不良。不良は、「もしお前らが甲子園行ったら、全裸でフルマラソンしてやる」と言い放つ。
話が進むにつれ、不良はバカにするフリをして後押ししようとしていたことがわかる胸熱展開。隠れた友情を感じさせ、感動は徐々に高まっていきます。しかし、感動が笑いを上回ってしまったのかもしれません。そうなると、いい話ではあったとしても、コントとしての評価は落ちてしまいます。
不良が練習に打ち込んだり、サングラス替えたりといった、変化の描写が実にうまい。個人的には、甲子園行けたかどうかまで見届けたかった気がします。


心情的に一番応援していたラブレターズが優勝し、優勝予想で推していたファイヤーサンダーが3位。満足度の高い結果となりました。
去年もそうだったと記憶してますが、今大会はトップバッターのロングコートダディが高得点を出したこともあり、審査員得点、全組80点代はなし。こうなってくると、0~89点の存在意義がわからなくなってきますね。10点満点にしても同じことのように思えてきます。
得点差が少ないことにも表れてますが、今回は頭ひとつ出たネタ、爆発したネタというのはなく、平均レベルちょい高めのネタがそろいました。
賞レースではたまにネタかぶりが起きますが、今回は野球部ネタが3本。最近野球ネタが流行っているのか、単なる偶然か。
今年の浜ちゃんは、コメント2周強要などしていましたが、年々KOCにおける立ち居振る舞いが自由奔放になっていってますね。それもまた、ひとつの名物ということでいいと思います。でも今年の結果発表は抑えめで、そこは全力でやってくれよと思いました。
そして、今年もバイきんぐの西村はいらなかった。

一枚絵・『エフェソ』

2024-10-15 00:10:13 | イラスト



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森永製菓 ザ・クレープ

2024-10-11 23:51:04 | 
今日は王道の小麦粉包みです。




いいか、これがクレープなんだ。クレープとは何かといったら、つまりはこれなんだ。だからこそザ・クレープなんだ。クレープ食いたきゃこれを食え。アイスかどうかは気にするな。
そう、アイス。アイスと言えば、アイス絡みでうっかり犯罪者になるところでしてね。
どーゆーことかと言うと、ちょっと前に近所のスーパーでハーゲンダッツを買ったんですね。ハーゲンダッツのミニカップ。ほかにも、ペットボトルの炭酸ジュースとか、お菓子とか買ったと思います。
セルフレジが導入されてるスーパーでして、そっちのほうが早いんで、セルフで会計しました。バーコードを読み込みながら、お箸とかストローとか、持ち帰りできる使い捨て食器の備え付けコーナーを見ました。
すると、ハーゲンダッツ用のスプーンがありませんでした。ハーゲンダッツには、専用の白いプラスチックスプーンがあるのです。
ほかの人が全部取ってしまったのかと思い、近くにいた店員さん(セルフレジの見張り役の人)に、スプーンはないかと尋ねました。
そしたら、「もうハーゲンダッツのスプーンは製造されてない」という答えが返ってきました。
なんということでしょう。SDGsなのか、時代の流れなのか、使い捨てのプラスプーンは廃止されてしまったのです。
僕はそのスプーンでハーゲンダッツを食べるのが好きだったので、けっこうガッカリしました。なんか、雰囲気ってあるじゃないですか。同じものを食べるにしても、雰囲気のある食べ方したほうがおいしく感じるっていうのが。
僕にとっては、ハーゲンダッツの白スプーンがまさにそれだったんですよね。だからなんか、楽しみがひとつ失われてしまった気がして。
でもまあそうか、そうなったのであれば、受け入れるよりほかしょうがないと、気持ちを切り替えました。
そして、アイスが溶けないよう早く帰ろうと、レジ袋を掴んで出入り口のほうを向きました。
すると先程の店員さんが、「お会計がまだです!」と呼び止めてきました。
とっさに意味がわからず、「え?」と訊き返すと、店員さんはセルフレジを指さしながら、「お会計が終わってません」とおっしゃいました。
そこで「あっ」と気がつきました。バーコード読み取りを終え、商品をレジ袋に詰めていましたが、最後の支払いだけ終えてなかったのです。ハーゲンダッツのスプーンについて店員さんと話をしているあいだに、なんとなく、もう支払いをし終えたつもりになっていたのです。
あわてて「ああすみません」と言いつつ入金しましたが、店員さんがすぐに気づいてくれて本当によかったと思いました。気づかれなかったら、万引きになっていましたからね。スプーンについて会話しておきながらの、堂々とした万引き。危ないところでした。
それはそれとして・・・ハーゲンダッツのプラスプーン、時代に逆行して復活してくれ!

そんなふうにギリギリで今日も生きているうっかり犯罪者未満の僕ですが、同じスーパーで、万引きの瞬間をリアルなフェイスで目撃したこともあります。
夜でしたかね、とある日の買い物中、ひとりのおじいさんの様子が、ふと目にとまりました。80くらいで小柄の、いかにも高齢男性といった服装のおじいさんです。つねにほがらかだけど、あまり学がないタイプのようでした。
おじいさんは、日本酒のワンカップを両手に1本ずつ持っていました。ワンカップの両手持ちで歩いていたのです。
それくらいなら、わりとあることです。なぜ僕はおじいさんのことが気になったのでしょうか。最初は自分でもよくわかりませんでした。
何気なく見ていると、おじいさんはおもむろに、2本のワンカップを上着のポケットに入れました。もちろん会計前です。
すぐそばにいた店員さんが近寄り、おじいさんに声をかけました。離れていて聞こえませんでしたが、「会計前の商品は外に出しておいてください」などと言ったはずです。
僕はおじいさんの行動から目が離せなくなりました。おじいさんは万引きをしようとしていたのか?それともうっかり天然老人なのか?
距離を取りながらおじいさんを尾行することにしました。気分は万引きGメンです。
よく見てみると、おじいさんから少し離れたところに、店員さんがピッタリ付いています。店員さんは仕事をするフリをしながら、おじいさんの動向をうかがっていました。
店員さんも万引きを疑っているのです。不謹慎ながら、がぜん盛り上がってきました。
おじいさんは相変わらずワンカップを2本持ちながら、お惣菜コーナーを物色したりしていました。途中でふと見失いそうになりましたが、おじいさんは出入り口のほう、レジ付近に近づいたようで、その辺にいた数人の店員さんの様子が、あわただしくなっています。ひとりの店員さんが、「行った行った」と言い、指さしたその出口に、ほかの店員さんが走り出しました。やはりおじいさんは、ワンカップを会計せずに店を出たのです。
僕もことの顛末を見届けるため、出口へと向かいました。すると、おじいさんを追いかけた男性店員さんが、すぐに戻ってきました。その手には、ワンカップを2本たずさえていました。
男性店員さんは、ほかの店員さんのもとへ戻っていき、一件落着といった雰囲気です。おじいさんを連れてこなかったということは、放免したのでしょう。
おじいさんは明らかに万引きをし、その現場を押さえたのに、商品を回収しただけで、捕まえはしなかったのです。
なぜそんな鷹揚な対応をするのか。一瞬不思議に思いましたが、すぐに答えが出ました。
おじいさんは、万引きの常習なのです。このスーパーで、何度も万引きをくり返しており、前々から店員さんに目を付けられていた。
警察に突き出したこともあったのでしょうが、微罪なので逮捕されることなく、すぐに戻ってくる。そして、性懲りもなく万引きをくり返す。
万引き犯を取り押さえると、店員さんは、その対応に時間をさかれます。事務室に万引き犯を拘束し、警察を呼ぶ。警察が来たら事情聴取もあります。そのあいだ、最低でもひとりくらいは、ずっと対応しなければならない。そのぶん仕事ができなくなってしまうのです。
ある程度人員にゆとりのあるお店だったらいいでしょう。ですが、そのようなゆとりもなく、忙しい時間帯に万引きが発生したらどうでしょうか。
「また警察呼ばなきゃいけないの?めっちゃ時間かかるしめんどくせー!」ってなるはずです。
だからおじいさんを捕まえず、警察を呼ぶこともなかったのです。万引き常習者が万引きするたびに警察呼んでたら、膨大な時間をムダにしてしまう。だから警察は呼ばず、そのつど盗まれた商品を回収するだけにとどめることにしたのです。それがそのスーパーの取り決めだったのです。
おじいさんは、何度警察に突き出そうと、何度犯行の瞬間を取り押さえようと、またやってきて万引きする。スーパーの弱みに付け込んでいるのか。特に深くは考えておらず、ただお酒が飲みたいだけなのか。
お酒を買うお金を、本当に持ちあわせていないのか。万引きがクセになってる、クレプトマニアのようなものなのか。
詳しいことはまったくわかりませんが、とにかくおじいさんはくり返し万引きに訪れるのです。だから、店側は警察を呼ばなくなってしまった。
考え込まずにはいられませんでした。スーパーが気の毒なのは言わずもがなです。数回に1回は取り逃がし、盗まれてしまっているのかもしれませんしね。
でもおじいさんだって、何かしら苦しんでいるのかもしれない。クレプトマニアじゃなければ、アル中で、お酒を飲まずにはいられないとかですね。極度の貧困状態に置かれている、ということもありえます。
おそらくおじいさんは独り身でしょう。世話をしてくれる人がひとりでもいれば、万引きしないよう、なんらかの対処をしてくれるはずですから。
おじいさんが人間関係をすべて失い、社会的に孤立しているというのも、万引き常習の一因なのです。
これも現代社会の暗部のひとつ。どうしたらいいのでしょうか。

一枚絵・『キルベット・マズィン』

2024-10-08 01:12:34 | イラスト



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ジャパンフリトレー チートス チーズ味・チェダーチーズ&ハラペーニョ味・バーベキュー味

2024-10-04 23:55:31 | 
今日はチー&スです。








世界で一番売れているパフスナックらしいですよ。キャラクターのトラはうさんくせえけど、おいしさは間違いなしです。
皆さんは、「食べ飽きたもの」ありますか?僕はいくつかあります。
ひとつは、エバラ焼肉のたれ。
子供のころ、焼肉が出たらエバラ焼肉のたれでした。焼肉以外でも、肉料理であればエバラのたれがかかってたり、からめてあったりしました。それらを食べ続けた結果、10代の半ばごろには食べ飽きてしまいました。
以前実家に里帰りしたとき、母親が焼いた肉にエバラ焼肉のたれを添えて出してくれたんですね。20年ぶりくらいで口にしたんですけど、それだけひさしぶりだったにもかかわらず、ウンザリしてしまいました。それほど「食べ飽き」は強固だったのです。

それと、麦茶。
子供のころ、夏と言えば麦茶でした。ばあちゃんがつねに、パックの麦茶を沸かして、ティーポットに入れてくれてました。冷蔵庫の扉を開けば、そこに必ず入っていました。のどが乾いたらガブ飲みしていたものです。
そしたら、いつの間にか飲み飽きていました。麦茶の独特のあの味わいに、ウンザリするようになっていたのです。
いつそうなったのか、ハッキリとは覚えていません。ですがたぶん、こちらも10代の終わりごろではないかと思います。
今でも麦茶は飲みづらいし、麦茶が混ざったブレンド茶にも抵抗があります。

あと、サツマイモ。
戦争の最中、イモばっか食べてたから嫌いになった、って戦中派の人けっこういますよね。僕もそれに近いのです。
子供のころ、ばあちゃんがしょっちゅうイモをふかして、おやつに出してくれていました。まあ昔の人ですから、おやつと言えばイモ、みたいに考えてたんでしょうね。
ちなみにばあちゃんは、サツマイモのことを「からいも」と呼んでいました。唐のいも、つまり中国のいもという意味なのでしょうか?それとも方言?詳細をご存じの方は情報提供してください。
それはともかく、僕は子供でしたので、イモのおやつを深く考えることなく、パクパク食べていたわけです。ばあちゃんは昔の人だから、ワンパターンで、イモばっかり出す。僕は子供で、単純だったから、食べ飽きるとか、もっとほかのものを食べたいとか、そーゆーことを考えることなく、出されるままにふかしイモを食べていた。
その結果、すっかりサツマイモを食べ飽きてしまいました。
ただこちらは、エバラ焼肉のたれや麦茶と違って、たまには食べるのです。イモを使ったスイーツなんか、けっこう好きですしね。スイートポテトとかね。
でも、少量しか食べられないのです。一定の量を超えると、「ウッ」となってしまう。用法用量を守って正しく摂取しなければならないのです。
それにしても、イモ嫌いの人多いのって、何かしら理由があるんでしょうか。食べ飽きやすいとか、嫌いになりやすいといった理由が。

それとそう、りんご。
子供のころは、晩ごはんのデザートに、しょっちゅうりんごが出てたんですよ。お菓子と違って、果物は健全で体にいいからたくさん食べさせたいっていう、母親の思惑があったのでしょうね。
りんごって保存がきくのか、1年中売ってるじゃないですか。だから食卓にもずーっと出てたんですよ。それで飽きちゃった。
りんごの食感って、やわらかくてボソボソッとしてるのと、固くてシャキッとしてるのに分かれるじゃないですか。僕ね、ボソボソしてるやつの口当たりがイヤでしてね。
シャキッとしてるなら、そんなに甘くなくてもいいんですよ。甘かろうがすっぱかろうが、歯ごたえがシャキッとしてたら、気持ちよくいただける。
でもボソボソしてたらダメ。「あーあハズレだ」という思いとともに、口の中で小さな粒に分解していくりんごを、事務的に胃に送り込むのです。
今は品種改良も進んでいるでしょうから、シャキッとしたりんごだけを買うのも難しくないのかもしれません。でも、あまり積極的に食べようとは思わないですね。
りんごジュースは好きですけどね。

それから、食べ飽きたというのとはちょっと違いますけど、ポン酢もダメなんですね。
子供のころはコドモ舌で、すっぱいものがあまり好きじゃなかったんですよ。そんな僕が、苦痛に感じていたのが冬の鍋。冬はよく晩ごはんが鍋だったのです。
母親が楽をしようとしていたのでしょうね。鍋ってほぼ具材を刻むだけですからね。
いや、楽をするのはいいんですよ。ウチは共働きで、仕事から帰って料理するのは大変だったでしょうからね。父親は昭和の人間らしく、料理をいっさい手伝ってませんでしたし。
だからこれは、たまに世間をにぎわせる、「主婦の手抜き料理論争」のたぐいではありません。一度も料理をしたことがなく、その苦労も知らない男が、「主婦は手抜きすんな」って知ったような説教をかまし、それに大きな反発が起きる、という例のアレではないのです。
なので、僕は母親の手抜きを告発しているわけではない。問題は、その種類の乏しさ、ワンパターンさです。
ウチの鍋は、ほとんどが水炊きでした。水炊きっつーのも、地域によって形は様々なようですが、ウチの水炊きは、昆布でダシを取ったスープに、一般的な肉と野菜と、あと豆腐や春雨なんかを入れ、ポン酢で食べるというものでした。
このね、ポン酢で食べる鍋ってのがね、子供の僕にとってはただひたすらすっぱいだけでしてね、全然おいしくなかったんですよ。
白菜だのネギだの水菜だのエノキだの、子供にとってはまったく魅力のない食材です。豆腐、春雨もしかり。唯一の好物は肉ですが、鍋の肉ってのが、むやみに固くて骨のついた鶏肉だったんです。噛んでも旨みは出てこないし、口当たりの悪いパサパサした身で、ポン酢の味がするだけ。
僕にとっての水炊きは、ひたすらすっぱいポン酢で、ひたすらすっぱい肉や野菜を食べなきゃならない、なんの喜びもない料理でした。鍋と一緒に食べるよう、白米も出されていましたが、すっぱい味ではご飯がまったく進みませんでした。
鍋も、1杯だけ食べて、すぐごちそうさましていました。食が異様に細くなっていたのです。
ああ、こうやって文章書いているだけで口の中がすっぱくなってくる・・・。
僕は、今にして思うのです。せめて、タレだけでも工夫してもらえなかっただろうかと。
手抜きで鍋料理を頻発するのは別にいいし、具材がワンパターンなのもいい。でも、タレを変えることは簡単にできたはずです。
ポン酢みたいな、ただすっぱいだけのタレじゃなく、子供が好みそうな、甘辛系のタレを用意してくれていたら。そうしたら、僕はもっとぱくぱく食べていたはずです。
なぜ母親はポン酢にこだわっていたのか。「鍋=ポン酢」という固定観念にとらわれていたのか。
せめてタレだけでも、子供向けのやつにしてくれていたら。僕は何度も、「すっぱいだけで全然おいしくない」と訴えていました。なのに母親は、笑ってやり過ごすばかりで、鍋料理もポン酢も変えてはくれませんでした。
たまにすき焼きが出ることもありましたが、それはごく稀なことで、あとの鍋料理はすべて水炊きでした。水炊き、水炊き、水炊きの連続だったのです。
そんなことが冬のたびにくり返されました。「すっぱい、全然おいしくない」と思いながら鍋料理を食べ続けた結果、僕はすっかりポン酢が苦手になってしまったのです。
大人になった今でも好きではありません。すっぱいもの全般も苦手です。多少は食べますけどね。餃子の酢胡椒とか、試したことないんです。
もし子供のころ、あれだけポン酢の鍋料理を食べさせられることがなければ、僕は今頃ポン酢が好きになっていたかもしれません。幼いころではなく、ある程度歳がいってから(つまり、コドモ舌じゃなくなってから)ポン酢に親しんでいれば、ポン酢をおいしいと思うようになっていたかもしれないのです。
ですがもう、後の祭りです。僕はおそらく、ポン酢が苦手なまま一生を終えることでしょう。

あとそう、大判焼きね。
地域によって、今川焼きとか回転焼きとか、いろんな呼び名があるようですが、小麦粉の生地であんこを包んだ、円盤状のお菓子です。その大判焼きも苦手なのです。
子供のころ、どこかにお出かけしたとき、ばあちゃんが大判焼きを買ってくれたんですね。
僕は甘いものは好きでしたけど、慣れ親しんでいたのは、チョコレートとかプリンとか、ほぼ洋菓子。和菓子はあまりなじみがありませんでした。
そしてなにより、子供のころは、あんこがやたらと甘く感じていたのです。
たぶん、時代もあったんじゃないかと思います。昔は「甘さひかえめ」みたいな考えがなかったから、あんこに砂糖がたっぷり入っていたのではないかと。
しかし、それにしても、子供の僕には、あんこは異常なほど甘かったのです。チョコはバクバク食べていたのに、あんこはひとくちでさえ耐えられなかった。
そんな僕に、ばあちゃんが大判焼きを買ってくれたことがあったのです。世代的に、お菓子と言ったらあんこもの、もしくは和菓子という固定観念があったのでしょう。
僕は大判焼きをかじると、そのひとくちだけで強烈な甘さに打ちのめされてしまいました。甘さでお腹いっぱいになるというか、もうこれ以上は絶対に食べられないというくらい、甘さにやられてしまったのです。
それに、大判焼きはあんこの量が多い。その量の多さに、視覚的にもやられてしまいました。
僕が「もういらん」と言うと、ばあちゃんは「食べなっせー!」と強要してきました。
なんか、ある種のご年配って、やたらと若者に何か食べさせようとするじゃないですか。隙あらば「食え食え」って勧めてくる人、いますよね。僕のばあちゃんがまさにその典型なのです。
とにかくたくさん食べれば食べるほどよくて、少しでも多くの食事を提供しようとする。たくさん食べさせるのを無上の喜びとしている。ばあちゃんはそんな人でした。
そして、子供の舌にはあんこが甘すぎるということを理解できず、全部食べて当たり前なのに、ひとくちだけなんてとんでもない、と考えていたのです。
僕はばあちゃんの強要によって、あんこに対する苦手意識がより強くなりました。「あんこ=甘すぎる」というイメージが固定化し、和菓子を避けるようになったのです。
ですが、大人になった今、わりと和菓子を食べるようになりました。大判焼きはやっぱりあんこ多すぎるなって思いますけど、どら焼きとか、あんバターとか、抹茶のスイーツにあんこ混ざってるやつとかは大好きですね。
なぜあんこは食べられるようになったかっつーと、自分でもよくわからんのですが、たぶん味覚の変化と、あとあんこ全般が、昔より砂糖ひかえめになってきたからではないかと思います。

しかし、昔からずっと食べてるのに、食べ飽きたものもあれば、そうでないものもあるんですよね。お米とかチョコレートとかずっと食べてますし、牛乳やコーヒーもずっと飲んでるのに、全然飽きていない。それは何が違うのでしょうか。
一時的に食べ飽きることはあっても、時間が経てばまた食べたくなるものもありますしね。ほんと、何が違うのでしょうか。