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天も焦げよ(炎)~十一面悔過{南無観世音}~春寒の弥生~1267回 東大寺二月堂.修二会} 

2018年03月15日 | 環境.伝統芸術 詩歌 ペット.スポーツ ボラ-
走る 火影 揺れる あふれる涙 燃える
 燃える 燃える 松明 「修二会」



♪春寒の弥生 三月春まだき 君の肩にはらり良弁椿
ここは東大寺 足早にゆく人垣の誰となく独白く
南無観世音 折から 名残り 雪 君の手は既に
凍り尽くして居り その心 ゆらり 他所にあり
もはや二月堂 天も焦げよと松明の炎見上げつつ
何故君は泣く 雪のように火の粉が降る~♪
{修二会} {さだまさし 作詞・作曲}



東大寺.法華堂{三月堂}「北門」芭蕉の句碑

東大寺.二月堂へ往く前に 広い東大寺境内で
最初に訪ねたのが大仏殿の創建より古く
天平四年(733) 良弁僧正創建 {金鐘寺}の
一堂でもある 法華堂{三月堂}でした



水取りや 氷の僧の 沓の音 芭蕉

東大寺・三月堂「龍王之瀧」の 前

水取りや 氷の僧の 沓の音
《 水取りや 籠の僧の 沓の音 》



天下安泰.万民幸福~1267回目を迎えた
伝統行事が 粛々と行われている~
ニ月堂 {修二会}の お隣りの{法華堂}
{北門}にある 芭蕉の句碑は

《水取りや 籠の僧の 沓の音》

ところが 松尾芭蕉が 貞享元年 伊勢・伊賀
大和・近江を巡った「野ざらし紀行」の
稿本・写本の中でも 芭蕉 直筆とされている
『天理本』には [籠の僧]ではなく [氷の僧]と
なっているそうです

 二月堂に籠りて (前書)
水取りや 氷の僧の 沓の音



{天理大学付属.天理図書館は小生の地元でもあり
高校生時代から屡 受験勉強と称して利用させて
頂いていましたが 未だ芭蕉 直筆とされている
『天理本』原本を拝読させて頂いていません~~



俳壇の大御所(談)によれば~「氷の僧だから名句」
籠の僧とすれば~駄句に過ぎない

『佳景寂寞として 心すみゆくのみおぼゆ』
推敲の名手 {俳聖 芭蕉翁}



{奥の細道} 山寺 {立石寺~蝉の句}は
推敲例として 有名ですが~  
山寺や石にしみつく蝉の声   {曾良書留}
淋しさの岩にしみ込せみの声 {木がらし}
さびしさや岩にしみ込蝉のこゑ {初蝉.泊船集}


 
閑さや岩にしみ入蝉の声

{閑さや}~{岩にしみ入}~推敲にて~
『奥の細道』本文には~
「佳景寂寞として心すみゆくのみおぼゆ」
と言ったのでしょうね!



平泉中尊寺に詣でた時の{光堂・金色堂}
{五月雨の降のこしてや光堂}

蛍火の昼は消えつつ柱かな
五月雨や年ゝ降りも五百たび
五月雨の降のこしてや光堂

{随行日記}--曾良によれば日は{天気朗}
芭蕉は{五月雨}を降らし{鮮やかな光堂}となり
余にも名句として残っているのでしょうね!



{若狭⇒東大寺二月堂{若狭井}⇒{お水送り}

若狭(小浜)~下根来八幡宮.山八神事!
神宮寺境内.弓打神事.達陀~松明行列
鵜の瀬大護摩~{送水}神事が粛々と
催行された{お香水}は若狭鵜の瀬から
10日経て大和.東大寺二月堂「若狭井」に
届くとされています



{若狭国.遠敷明神.遠敷河を領して魚を取りて
遅参・二月堂のほとりに清水を涌き出ださせ
観音さまに奉上!
いみじく たぐひなき 甘泉わき出たり
石をたたみて 閼伽井とす}{二月堂縁起}
魚を採っていて参集に遅れた遠敷明神!
{二月堂縁起~}お水取り}の由来等が
記されていますね!



天平勝宝 {752年}~連綿と途切れず幾多の
辛酸を潜り抜け1250年以上に渡り
連綿と続けられている1267回目
東大寺二月堂 {修二会}「十一面悔過」



祈りの先導役の大導師を初めて務める上司永照.
教学執事.自坊を出て{戒壇院}に設けられた
[別火坊]へ練行衆(こもりの僧)よりも5日早く
準備を進められました
[修二会とは我々が安心して暮らしていけるように
季節が季節通りにやってくることを祈るものです]
本尊.十一面観音の前で罪を悔いるのが懺悔!
戦争や自然破壊まで「『過ぎる』ということを悔い
なければならない.それが懺悔やと思うんです]



厳格な清浄さで 慰霊と災害.復興への 祈願.
二月堂本尊の十一面観音に人々の罪を 懺悔
{五穀豊穣}{万民快楽}---幸せを祈る東大寺
二月堂{修二会} 今年は1267回目を迎えました



二月堂の修二会(お水取り)3月1日未明入り
11人の練行衆(こもりの僧)2月28日.二月堂下の
参籠宿所入り.3月1日未明に本行に入り14日間.
人々が犯した罪や過ちを悔い.天下泰平を祈られます
連夜.僧を導くお松明が二月堂に上がれます



五日夜.東大寺と所縁が深い人々の{過去帳}奉読!
大仏造立を発願された聖武天皇~初代住職の
良弁僧正.寺の鎌倉再興を支援した源頼朝等々の
御名前を高低や緩急を付けて奉読されています
二月堂内の練行衆の前に現れたとされる幻の女性
{青衣女人}~厳かな声が響いていたそうですね!



{ダーン! ダーン!~二月堂 堂内では上堂した
練行衆は沓を鳴らし本尊に{参りました}と告げます
{ダン!ダン!ダン!}~~{ダダダダッ!
「差懸」(木製の履物)~沓の音は更に激しく
二月堂.舞台の下まで響き渡り練行衆は
内陣に駆け入って行きますね!



{達陀の行 } (3月12日~14日) 炎の力で
邪悪を払い 燃え盛る松明を持った火天役が
内陣に 水天役と向き合い飛び跳ねる仕草を
繰り返した後 松明が礼堂に投げ出されました



{籠松明} 11本~童子により 二月堂.舞台の
欄干から松明を空に向けて 突き出し回転!
火の粉を散らしました この御堂の舞台から
打ち振られる炎を各地から詰めかけた
2万3千人以上の方々が見みつめて
おられました!



二月堂下の 閼伽井屋にある「若狭井」から
聖水の「香水」をくむ {お水取り}
本尊の十一面観音に供えられます
春寒の弥生三月十五日未明 大和路の
春を呼ぶ煌めく{炎} 古都の祭典は世の平穏.
祈りを捧げ3月15日未明に満行 を迎えます! 



火の行{達陀}で練行衆が使った被ると呪力が
宿るとされている金襴の帽子 {達陀帽}
早朝の二月堂南側広場では古式床しい装束の
二月堂朝参講の方々に我が子の健やかな
成長を願う御家族連れが {達陀帽}を被せて
戴いていましたね!



神に近い子~{中灯 童子 敏 丸}

《東大寺 二月堂 大欄干》 聖域に入る
ことを許された 神に近い子《童子》
{中灯 童子 敏丸} として大松明を持つ
{童子}を務められたのが 生駒の小生宅の
近所にお住まいの 門谷敏也さんです



今年は御事情により御休場となりましたが~
{中灯さん~行きまぁ~すぅ} あの元気な声が
聞かれず~東大寺二月堂大欄干で乱舞した
勇壮な炎 {籠松明}を持たれた 門谷敏也さん
今年は 御家庭の御事情で~あの時の雄姿が
観られないのが~残念な限りです



{火の行}とも言われる{修二会}で使われる松明は
{二月堂.修二会}を裏で支える{童子}よって
作成されています
童子は 聖域に入ることを許された
神に近い子の資格を持った人達であり
《練行衆》に 其々 一人ずつ付かれ
門谷さんは 二月堂・大宿所で大松明の作成
食事等 練行衆の御世話で 昼夜を問わず
多忙を極められていました



門谷敏也さん宅の門前に.今年もある--
二月堂大欄干--勇壮な炎が闇夜に乱舞した
「籠松明」 《無病息災》を齎して頂く
大松明(8M)・重さは 80キロと言われる~
満行を迎えた『籠松明』を身近に眺め
手に触れる事が出来.あの日の感動が
蘇えりました~本当に有難う御座います

東大寺 二月堂の舞台に突き出された
長さが約8メートル 重さは60~70キロ
乱舞する籠松明大和路の春を呼ぶ{炎}ですね!



連綿と途切れず続く伝統行事{お水取り}特別陳列
東大寺~二月堂.修二会. 特別陳列{お水取り}
奈良国立博物館で「お水取り」がおこなわれる
期間に合わせ法会に用いられた法具.儀式の様子を
伝える文書.東大寺所縁の絵画.出土品等々が
特別陳列されています



練行衆11人.が本尊・十一面観音の前で
罪を悔い改め世界の人々の幸せや
{五穀豊穣}を祈る伝統行事で使われた
法具.所縁の絵巻.国重要文化財{17件}等
65件が特別陳列されています



ちりぬれば 匂ひばかりを 梅の花
ありとや袖に 春風の吹く
千利 連八 尓保 比者可 越 里 二 能
 藤原 有家(新古今)



これよりは恋や事業や水温む  高浜虚子

大正5年.(高商句会)で[高浜虚子]が 東京高等商業の
卒業生を送る俳句(水温む) ~そんな季語が相応しい
季節を迎えましたね!



「お水取りが 終わるまでは 暖かくならない」



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