PAL spirit are cheerfl today!  萬 國 春 風 百 花 生 涯 青 春

One For All~All For One! 倭は 国の まほろば たたなずく 青垣 山隠れる 倭し美し!

闘莉王(DF)  {嬉しい 本当に}  名古屋グランパスJ1リーグ初制覇

2010年12月08日 | 環境.伝統芸術 詩歌 ペット.スポーツ ボラ-
{うれしい、本当に} 特別にナラさん(GK楢崎)
(ストイコビッチ)そしてお父さんの3人に感謝したい
~~闘莉王 (DF) (談) 

長い間 待たせてごめん」~名古屋グランパス
. {ファン・サポーター優勝報告会}---優勝報告会
12月5日久屋大通公園{光の広場}---4,500人
ファン.サポーターが詰め掛け名古屋グランパスカラーの
赤色一色に染まっていましたね!



MVP獲得(GKの僕がもらえることは価値があると思う
すべてのGKの励みにもなる--)のGK 楢崎正剛主将
{長い間、待たせてごめん われわれは優勝しました}
{チ-ム.サポ-タ- .さんの勝利です 有難うございました
皆さんの喜ぶ姿嬉しく思う これからも喜び合える
様なチームでありたい--」

{名古屋グランパス--チャチャッチャ チャッチャ}

久屋大通公園{光の広場}歓喜の声援が渦巻き~
ドラゴンズ優勝報告会では見事に応援歌を熱唱した
河村市長 {ロック調で難しい---}(笑)



落合・中日ドラゴンズ.リーグ優勝 ~
名古屋グランパスのJ1リーグ初制覇
~~
この一年名古屋の街は歓喜に満ち溢れていまたね!

雲流れる下に 幸福がある~久屋通りの花時計~
白壁町の黄昏れの~舗道にのこした ぼくの心よ




逢いにきたよ!《タロー・ジロー》~名古屋 行

名古屋駅から名港線{名古屋港--{名古屋海洋博物館}
     {南極観測船ふじ}へ 直行

霊峰{富士}から名づけられた砕氷船{南極観測船ふじ}
連続砕氷可能な氷の厚さは80cm--昭和40年(1965)
18年間活躍した砕氷船-
{南極観測船ふじ}~昭和60年(1985)名古屋市
港区入船 ガーデンふ頭に 永久係留
{南極の博物館}として当時の姿のまま保存されており
航海中に使用されていた医務室.理髪室等も
見学出来ました



昭和33年(1958)2月前年に引き続き2度目の越冬
試みた南極越冬隊~悪天候のため観測船「宗谷」が
接岸できず越冬中止--樺太犬15頭を置き去りにして
撤収--天候が回復したら迎えに行く予定だったが―

{宗谷}はそのまま引き上げ南極基地は1年間無人状態
十分な物資の輸送が出来ず越冬を断念
~~

1次隊と同行した{樺太犬}達-- 極寒の南極大陸に
置き去りにするしか方法が無かったそうです


昭和34年(1959)1月14日 第三次越冬隊が上陸
タロー・とジローの元気な姿を確認~劇的な対面
映画{南極物語}でも多くの人達が流感しましたね!


タローは北海道大学付属博物館.ジローは上野の
国立科学博物館(剥製)
--北海道稚内市の稚内市
青少年科学館にはタローとジローの幼年時代の
写真や南極観測隊に関する展示が催されています

タロー・ジロー以外の殉職した13頭の樺太犬は~
東京タワーに{南極観測で働いた樺太犬の記念像}~
堺市の大浜公園にも樺太犬の慰霊像が建っていますね
ただ その像には{去りゆく観測隊員}に向かって~
吠え続ける-15頭の樺太犬の姿が彫り込んでいますね



{日暮らしの調度}~眼も眩む国宝~徳川美術館



日本一豪華な嫁入り道具~千代姫~満二歳で
尾張徳川家へ~~三代将軍家光の長女{千代姫}の
75件が国宝とされる鏡台や貝桶.棚.蒔絵調度.染織.
金工品~豪華な嫁入り道具『源氏物語』初音の帖等々
{日暮らしの調度}に眼を眩み乍も{徳川美術館}~~
師走長柄 鮮やかな紅葉の{徳川園}を後に致しました



久しぶりの《尾張・名古屋》行き

小生にとって名古屋は--落合竜--執念の采配で
1954年以来53年振り2度目のシリーズ制覇!
大歓声.歓喜の輪! 胴上げをTV画像で感激


ドラゴンズ日本一パレードを観ようと勇んで
アーバンライダー(近鉄特急)で名古屋行きを
決行したのが3年前(2007 11)---でした
その時は残念ながら久屋大通公園光の広場までの
日本一パレードは{11.17}とのことで~
久屋大通りでは興奮・歓喜のシーンを観ることが
出来ませんでした

MY Web log(2007 11.05) --53年振り 悲願達成
中日ドラゴンズ オレ竜の完全V!
蘇れ! 名古屋城 本丸御殿!

以上にて 記載した事が懐かしく思えます



名古屋》は《大阪》同様に政令指定都市
官庁街には県庁と市役所(隣同士)---恰も
市.県の(二重行政)を象徴する風景とも
言えますね! 昨今(中京都)なる構想が提唱
されていますが~如何なものでしょうか?


雲流れる下に幸福がある~久屋通りの花時計
白壁町の黄昏れの~舗道にのこした ぼくの心よ
白い街 白い街 名古屋の街

  内村直也作詞  野崎真一作曲
   石原裕次郎 (白い街)

桜田へ 鶴鳴きわたる年魚
市潟潮干にけらし 鶴鳴きわたる
     高市黒人  {万葉集 巻三}




{現世利益} 生駒聖天さんの 厄除 大根炊き {師走 壱日}

2010年12月01日 | 環境.伝統芸術 詩歌 ペット.スポーツ ボラ-
{大空の中に龍に乗れる者あり かたち唐人に似たり
青き油笠を着て葛城の嶺より馳せて胆駒山に隠る
--}



『獅子閣』(重文)~明治17年(1884)建立(擬洋風建築)

今年(2010年)の秋―{祈りの回廊} 宝山寺{獅子閣}
修復が完了~~宮大工の吉村松太郎さんが設計
二階建ての木造の客殿--出入口やベランダの窓には
色ガラスが嵌められた 明治17年建立(擬洋風建築)
『獅子閣』(重文)が特別に開かれています



冬銀河到来~生駒聖天 厄除 大根焚き {師走壱日}

釈尊が 菩提樹のもとで瞑想され--悟りを開かれた日
京都.上京区千本釈迦堂の≪諸病除け≫の大根炊きは
7日~8日が予定されており大鍋で炊かれた大根を
食べると諸病除けになる--と言われていますね!



著莪の葉の 緑の深き 師走かな 森屋慶基 (風土)
棒鱈の ねぢれ師走の 錦市    森ひろ (馬醉木)


燃ゆる胸 秘めて師走の岳目指す 徳田正樹 (河鹿 )
勅使門 入りてしづかな 師走かな 坊城俊樹 (ホトトギス)
ヘリオスの子の弾け飛ぶ師走かな 山田富朗 (遠嶺)




小春日和とも言える穏やかな今朝(2010 12.1)
生駒聖天の好物である 大根が 炊かれ
厄除けも兼ねて参拝者に振る舞われる師走壱日


{現世利益}の宝山寺--商売繁盛等にも御利益が
有ると言われ全国各地から今年も信仰心の厚い
多数の参詣者が集い談笑を交え乍 湯気溢れる
大根炊きを楽しんで居られました



大空の中に龍に乗れる者あり かたち
唐人に似たり 青き油笠を着て葛城の嶺より
馳せて胆駒山に隠る~~午の時にいたりて
住吉の松のいただきの上より西に向い
馳せ去りぬ」~(日本書記)
 

中大兄皇子の母皇極天皇が斉明天皇として再び
即位された年(六五五)の記録にもあり~~
悠久の時代から 生駒山は 神霊の宿る山---

また生駒山は今も山中にお瀧場として
霊場が点在しています
弘法大師以後 般若窟は生駒山中の霊場の中心と
なり寛平年間に生駒仙という者がいて---
菩提を求め行をしたとされています



延宝六年(1678)十月十日に 中興開山 
湛海律師が入山
された当時--その頃の山は 
鬼や化け物などの妖怪が住み着いて 人々を
脅すので 村人も 午後四時を過ぎると山には
入りませんでしたが~
庄屋さんは これは般若の岩屋の罰を受けている
からであろうと山を治めてくれる行者を探し求め
不動尊の行者として名が知れ渡っていた---
湛海に白羽の矢をたて--庄屋の話を伝え聞くや
湛海は二つ返事で生駒へ移ることを決心
庄屋を道案内として山に入られました

入山第一日目 散らばった石を取り片付け座禅が
出来る程の土地を整理して夜露が掛からない様に
菰を張りって瞑想していると--夢のなかに
財天女がお出ましになり 天女は手桶を持って
水をお汲みになり湛海を接待なさろうとされる
ご様子で何なりとも仰せの様に致しましょうと
申されました

それから三四日経った夜のこと髪の毛が針のように
尖り肌はごつごつとした岩のような大きな夜叉が
組付いてきて「ここは俺が住んでいる所だ 早く
立ち去れ」と湛海を圧し潰そうとしましたが~~
和尚は少しも慌てず~ 一心に不動明王のご真言を
唱えると 夜叉も後をも振り向かずに北の方へ逃げて
行ったと伝えられています



本尊不動明王坐像

八万枚の護摩供を終えられた 湛海はその年の
秋 八月に 本尊不動明王坐像を刻まれました
和尚は僧侶としての修練を積まれながら 多くの
仏像を刻まれ 仏画も描かれていますね
中でも不動明王を始めとする忿怒像に関しては
江戸時代随一の技術だとも評価されています

長い間の修行の上での仏像.仏画は単なる仏師には無い
鋭さを持ち 拝する者に畏敬の念を起こさせます
特に元禄十四年(一七〇一)に彫刻された厨子入り
五大明王像は国の重要文化財にも指定されています



2011 年頭に一の鳥居を飾る 注連縄

冬銀河到来~{現世利益}を願い多くの参拝者を
お迎えする大鳥居の注連縄は師走十六日の奉納
される日まで宝山寺の境内に置かれています
          多謝!   多謝!

妹がりと 馬に鞍置きて 生駒山
    うち越え来れば、黄葉散りつつ


妹許跡 馬鞍置而 射駒山
撃越来者 紅葉散筒 『万葉集 第十巻